淮南子 / 天文訓
天墬未形,馮馮翼翼,洞洞灟灟,故曰太昭。道始于虛霩,虛霩生宇宙,宇宙生氣。氣有涯垠,清陽者薄靡而為天,重濁者凝滯而為地。清妙之合專易,重濁之凝竭難,故天先成而地後定。天地之襲精為陰陽,陰陽之專精為四時,四時之散精為萬物。積陽之熱氣生火,火氣之精者為日;積陰之寒氣為水,水氣之精者為月。日月之淫為精者為星辰。
新字:天墬未形,馮馮翼翼,洞洞灟灟,故曰太昭。道始于虚霩,虚霩生宇宙,宇宙生気。気有涯垠,清陽者薄靡而為天,重濁者凝滞而為地。清妙之合専易,重濁之凝竭難,故天先成而地後定。天地之襲精為陰陽,陰陽之専精為四時,四時之散精為万物。積陽之熱気生火,火気之精者為日;積陰之寒気為水,水気之精者為月。日月之淫為精者為星辰。
書き下し
天墬未だ形あらず、馮馮翼翼、洞洞灟灟たり。故に太昭と曰う。道は虛霩に始まり、虛霩は宇宙を生じ、宇宙は氣を生ず。氣に涯垠有り。清陽なる者は薄靡して天と為り、重濁なる者は凝滯して地と為る。清妙の合するは專ら易く、重濁の凝るは竭き難し。故に天先ず成りて地後に定まる。天地の襲精は陰陽と為り、陰陽の專精は四時と為り、四時の散精は萬物と為る。積陽の熱氣は火を生じ、火氣の精なる者は日と為る。積陰の寒氣は水と為り、水氣の精なる者は月と為る。日月の淫にして精と為る者は星辰と為る。
現代語訳
天と地がまだ形をなさず、ぼんやりと広がり、深くうごめいていた。だからこれを太昭という。道はうつろな広がりに始まり、うつろな広がりが宇宙を生み、宇宙が気を生んだ。気には境目がある。清く軽いものは薄く広がって天となり、重く濁ったものは凝り固まって地となった。清く妙なるものが合わさるのはたやすく、重く濁ったものが凝るのは尽きにくい。だから天が先に成って地が後に定まった。天地の重なった精が陰陽となり、陰陽のもっぱらの精が四季となり、四季の散じた精が万物となった。積もった陽の熱い気が火を生み、火の気の精なるものが日となった。積もった陰の寒い気が水となり、水の気の精なるものが月となった。日と月からあふれて精となったものが星となった。
解説
この章句が説くこと
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