淮南子 / 俶真訓
古者至德之世,賈便其肆,農樂其業,大夫安其職,而處士脩其道。當此之時,風雨不毀折,草木不夭,九鼎重味,珠玉潤澤,洛出丹書,河出綠圖,故許由、方回、善卷、披衣得達其道。何則?世之主有欲利天下之心,是以人得自樂其間。四子之才,非能盡善,蓋今之世也,然莫能與之同光者,遇唐、虞之時。逮至夏桀、殷紂,燔生人,辜諫者,為炮烙,鑄金柱,剖賢人之心,析才士之脛,醢鬼侯之女,葅梅伯之骸。當此之時,嶢山崩,三川涸,飛鳥鎩翼,走獸擠腳。當此之時,豈獨無聖人哉?然而不能通其道者,不遇其世。夫鳥飛千仞之上,獸走叢薄之中,禍猶及之,又況編戶齊民乎?由此觀之,體道者不專在于我,亦有繫于世矣。
新字:古者至徳之世,賈便其肆,農楽其業,大夫安其職,而処士脩其道。当此之時,風雨不毀折,草木不夭,九鼎重味,珠玉潤沢,洛出丹書,河出緑図,故許由、方回、善巻、披衣得達其道。何則?世之主有欲利天下之心,是以人得自楽其間。四子之才,非能尽善,蓋今之世也,然莫能与之同光者,遇唐、虞之時。逮至夏桀、殷紂,燔生人,辜諫者,為炮烙,鋳金柱,剖賢人之心,析才士之脛,醢鬼侯之女,葅梅伯之骸。当此之時,嶢山崩,三川涸,飛鳥鎩翼,走獣擠脚。当此之時,豈独無聖人哉?然而不能通其道者,不遇其世。夫鳥飛千仞之上,獣走叢薄之中,禍猶及之,又況編戸斉民乎?由此観之,体道者不専在于我,亦有繋于世矣。
書き下し
古者至德の世は、賈は其の肆に便し、農は其の業を樂しみ、大夫は其の職に安んじ、處士は其の道を脩む。此の時に當たりて、風雨毀折せず、草木夭せず、九鼎味を重ね、珠玉潤澤し、洛は丹書を出だし、河は綠圖を出だす。故に許由・方回・善卷・披衣は其の道を達するを得たり。何となれば則ち、世の主に天下を利せんと欲するの心有り、是を以て人其の間に自ら樂しむを得たり。四子の才、能く善を盡くすに非ず。蓋し今の世なるも、然れども能く之と光を同じくする莫き者は、唐・虞の時に遇えばなり。夏の桀・殷の紂に逮至りては、生人を燔き、諫むる者を辜し、炮烙を為し、金柱を鑄、賢人の心を剖き、才士の脛を析き、鬼侯の女を醢にし、梅伯の骸を葅にす。此の時に當たりて、嶢山崩れ、三川涸れ、飛鳥翼を鎩がれ、走獸腳を擠す。此の時に當たりて、豈に獨り聖人無からんや。然り而して其の道を通ずる能わざる者は、其の世に遇わざればなり。夫れ鳥は千仞の上に飛び、獸は叢薄の中に走るも、禍猶お之に及ぶ。又た況んや編戶の齊民をや。此に由りて之を觀れば、道を體する者は專ら我に在らず、亦た世に繫がる有り。
現代語訳
昔の至徳の世は、商人はその店に落ち着き、農民はその生業を楽しみ、大夫はその職に安んじ、隠れた士はその道を修めた。このときは、風雨も草木を折らず、草木は若死にせず、九鼎は味を重ね、珠玉は潤い、洛水は丹書を出し、黄河は緑図を出した。だから許由・方回・善巻・披衣はその道を全うできた。なぜか。世の主に天下を利しようという心があり、それで人はそのあいだで自ら楽しめたからである。四人の才は、善を尽くしきったわけではない。いまの世にも同じような人はいるだろうが、それでも彼らと光を同じくできる者がいないのは、彼らが堯や舜の時代に出会ったからである。夏の桀や殷の紂に至っては、生きた人を焼き、諫めた者を罪に落とし、炮烙を作り、金の柱を鋳、賢人の心臓を裂き、才ある士のすねを割き、鬼侯の娘を塩漬けにし、梅伯の骸を漬け物にした。このときは、嶢山が崩れ、三つの川が涸れ、飛ぶ鳥は翼を削がれ、走る獣は脚をくじいた。このときに、聖人だけがいなかったということがあろうか。それでもその道を通せなかったのは、その世に出会わなかったからである。鳥は千仞の高さを飛び、獣は藪の中を走るのに、禍いはそこまで及ぶ。まして戸籍に載った民ならなおさらだ。ここから見れば、道を体するのは自分だけによるのではなく、世にも繋がっている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新書』保傅古の王者は、太子初めて生まるれば、固より挙ぐるに礼を以てし、士をして之を負わしめ、有司斉粛し端冕して、之を南郊に見え、天に見ゆるなり。闕を過ぐれば則ち下り、廟を過ぐれば則ち趨る、孝子の道なり。故に赤子たりし自りして教え固より以て行わる。昔者周の成王幼くして繈褓の中に在り、召公は太保たり、周公は太傅たり、太公は太師たり。保は、其の身体を保つ。傅は、之に徳義を傅く。師は、之に教訓を道く。三公の職なり。是に於いて為に三少を置く、皆上大夫なり、少保・少傅・少師と曰い、是れ太子と燕する者なり。故に咳㖷にして、三公三少固より孝仁礼義を明らかにし、道を以て之を習わしめ、邪人を逐去し、悪行を見せしめず。是に於いて皆天下の端士、孝弟博聞にして道術有る者を選び、以て之を衛翼し、太子と居処出入を与にせしむ。故に太子初めて生まれて正事を見、正言を聞き、正道を行い、左右前後皆正人なり。習いて正人と之に居れば、正無きこと能わず、猶お楚に生長すれば、楚言せざること能わざるがごときなり。故に其の嗜む所を択ぶに、必ず先ず業を受けて、乃ち之を嘗むるを得、其の楽しむ所を択ぶに、必ず先ず習い有りて、乃ち之を為すを得しむ。孔子曰く、「少くして成るは天性の若く、習い貫れば自然の如し」と。
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史記 三王世家会々昭帝崩じ、宣帝初めて立つ、恩に縁りて義を行ひ、本始元年中を以て、漢の地を裂き、尽く以て広陵王胥の四子を封ず。一子は朝陽侯と為り、一子は平曲侯と為り、一子は南利侯と為り、最も愛する少子弘は、立てて以て高密王と為す。其の後胥果たして威福を作し、楚王の使者に通ず。楚王宣言して曰く、「我が先の元王は、高帝の少弟なり、三十二城を封ぜらる。今地邑益々少なし、我広陵王と共に兵を発せんと欲すと云ふ。広陵王を立てて上と為し、我復た楚の三十二城に王たること、元王の時の如くせん」と。事発覚し、公卿有司罰誅を行はんことを請ふ。天子骨肉の故を以て、法を胥に致すに忍びず、詔書を下して広陵王を治むる無からしめ、独り首悪の楚王を誅す。伝に曰く「蓬麻中に生ずれば、扶けずして自ら直し。白沙泥中に在れば、之と皆黒し」とは、土地の教化之をして然らしむるなり。其の後胥復た祝詛して謀反し、自殺し、国除かる。燕の土は墝埆にして、北は匈奴に迫り、其の人民勇にして慮少なし、故に之を誡めて曰く「葷粥氏は孝行有る無くして禽獣の心あり、以て窃盗して辺民を侵犯す。朕将軍に詔して往きて其の罪を征せしむ、万夫の長、千夫の長、三十有二君皆来たり、旗を降し師に奔る。葷粥域を徙して遠く処り、北州以て安し」と。「若の心を悉くし、怨みを作す無かれ」とは、俗に従ひて以て怨望せしむる勿かれとなり。「徳を俷る無かれ」とは、王をして徳に背かしむる勿かれとなり。「備へを廃する無かれ」とは、武備を乏しくする無く、常に匈奴に備へよとなり。「教へられし士に非ざれば徴に従ふを得ず」とは、言ふこころは礼義に習ふに非ざれば側に在るを得ずとなり。会々武帝年老い長じ、而して太子不幸にして薨じ、未だ立つる所有らず、而して旦使をして来たりて上書せしめ、身入りて長安に宿衛せんことを請ふ。孝武其の書を見、地を撃ち、怒りて曰く、「子を生まば当に之を斉魯礼義の郷に置くべし、乃ち之を燕趙に置く、果たして争ふ心有り、譲らざるの端見はる」と。
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