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淮南子 / 俶真訓

夫人之事其神而嬈其精,營慧然而有求於外,此皆失其神明而離其宅也。是故凍者假兼衣于春,而暍者望冷風于秋,夫有病於內者必有色於外矣。夫梣木色青翳,而蠃瘉蝸睆,此皆治目之藥也。人無故求此物者,必有蔽其明者。聖人之所以駭天下者,真人未嘗過焉;賢人之所以矯世俗者,聖人未嘗觀焉。夫牛蹄之涔,無尺之鯉;塊阜之山,無丈之材。所以然者何也?皆其營宇狹小,而不能容巨大也。又況乎以無裹之者邪!此其為山淵之勢亦遠矣。夫人之拘於世也,必形繫而神泄,故不免於虛。使我可係羈者,必其有命在於外也。

新字:夫人之事其神而嬈其精,営慧然而有求於外,此皆失其神明而離其宅也。是故凍者仮兼衣于春,而暍者望冷風于秋,夫有病於内者必有色於外矣。夫梣木色青翳,而蠃瘉蝸睆,此皆治目之薬也。人無故求此物者,必有蔽其明者。聖人之所以駭天下者,真人未嘗過焉;賢人之所以矯世俗者,聖人未嘗観焉。夫牛蹄之涔,無尺之鯉;塊阜之山,無丈之材。所以然者何也?皆其営宇狭小,而不能容巨大也。又況乎以無裹之者邪!此其為山淵之勢亦遠矣。夫人之拘於世也,必形繋而神泄,故不免於虚。使我可係羈者,必其有命在於外也。

書き下し

夫れ人の其の神に事えて其の精を嬈し、營慧然として外に求むる有るは、此れ皆な其の神明を失いて其の宅を離るるなり。是の故に凍うる者は兼衣を春に假り、暍する者は冷風を秋に望む。夫れ内に病有る者は必ず外に色有り。夫れ梣木の色は青翳、蠃瘉蝸睆、此れ皆な目を治むるの藥なり。人故無くして此の物を求むる者は、必ず其の明を蔽う者有り。聖人の天下を駭かす所以の者は、真人未だ嘗て焉を過らず。賢人の世俗を矯むる所以の者は、聖人未だ嘗て焉を觀ず。夫れ牛蹄の涔には、尺の鯉無し。塊阜の山には、丈の材無し。然る所以の者は何ぞや。皆な其の營宇狹小にして、巨大を容るる能わざればなり。又た況んや無を以て之を裹む者をや。此れ其の山淵の勢を為すこと亦た遠し。夫れ人の世に拘わるや、必ず形繫がれて神泄る。故に虛を免れず。我をして係羈す可からしむる者は、必ず其の命の外に在る有ればなり。

現代語訳

そもそも人が自分の神に仕えてその精を乱し、あくせくと外に求めるのは、みなその神明を失って宿を離れているのである。だから凍える者は春に重ね着を借り、暑気あたりの者は秋に涼風を待つ。内に病のある者は必ず外に色が出る。梣の木の青みや、貝や蝸牛のたぐいは、みな目を治す薬である。人が理由もなくこれを求めるなら、必ずその視力を遮るものがある。聖人が天下を驚かせる手立てを、真人は通り過ぎたことがない。賢人が世俗を矯める手立てを、聖人は見たことがない。牛の蹄あとの水たまりに、一尺の鯉はいない。土くれのような山に、一丈の材木はない。そうなるのはなぜか。みなその区画が狭くて、巨大なものを容れられないからである。まして無によってこれを包む者ならなおさらだ。それが山や淵の勢いをなすには、まだ遠い。人が世に縛られるときは、必ず体が繋がれて神が漏れる。だからうつろさを免れない。私を繋いでおけないものがあるとすれば、それは命が外にあるからである。

解説

外に何かを求めていること自体を、症状として読む段です。「内に病有る者は必ず外に色有り」。目薬を探している人は、目が見えにくくなっている。同じ形で、外に求める人は内で失っている、と診ます。後半は容量の話です。「牛蹄の涔には、尺の鯉無し。塊阜の山には、丈の材無し」。器が小さいと大きいものは入らない。育たない理由を、努力ではなく容れ物の広さに置いているのが特徴です。

この章句が説くこと

凍うる者は兼衣を春に仮り暍する者は冷風を秋に望む内に病有る者は必ず外に色有り牛蹄の涔には尺の鯉無し塊阜の山には丈の材無し皆な其の営宇狭小にして巨大を容るる能わざればなり外求症状

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