呂氏春秋 / 不苟③
秦繆公見戎由余,說而欲留之,由余不肯。繆公以告蹇叔。蹇叔曰:「君以告內史廖。」內史廖對曰:「戎人不達於五音與五味,君不若遺之。」繆公以女樂二八人與良宰遺之。戎王喜,迷惑大亂,飲酒,晝夜不休。由余驟諫而不聽,因怒而歸繆公也。蹇叔非不能為內史廖之所為也,其義不行也。繆公能令人臣時立其正義,故雪殽之恥,而西至河雍也。
新字:秦繆公見戎由余,説而欲留之,由余不肯。繆公以告蹇叔。蹇叔曰:「君以告内史廖。」内史廖対曰:「戎人不達於五音与五味,君不若遺之。」繆公以女楽二八人与良宰遺之。戎王喜,迷惑大乱,飲酒,昼夜不休。由余驟諫而不聴,因怒而帰繆公也。蹇叔非不能為内史廖之所為也,其義不行也。繆公能令人臣時立其正義,故雪殽之恥,而西至河雍也。
書き下し
秦の繆公、戎の由余を見て、說びて之を留めんと欲す。由余肯ぜず。繆公以て蹇叔に告ぐ。蹇叔曰く、「君以て內史廖に告げよ。」內史廖對えて曰く、「戎人は五音と五味とに達せず。君、之を遺るに若かず。」繆公、女樂二八人と良宰とを以て之に遺る。戎王喜び、迷惑大亂し、酒を飲み、晝夜休まず。由余驟々諫むれども聽かず。因りて怒りて繆公に歸すなり。蹇叔、內史廖の為す所を為す能わざるに非ざるなり。其れ義として行わざるなり。繆公能く人臣をして時に其の正義を立てしむ。故に殽の恥を雪ぎ、而して西のかた河雍に至れるなり。
現代語訳
秦の繆公は戎の使者由余に会って気に入り、引き止めようとしたが、由余は承知しなかった。繆公が蹇叔に相談すると、蹇叔は「内史廖にお尋ねください」と言った。内史廖は「戎人は音楽や美食を知りません。君は戎王にそれらを贈るのがよいでしょう」と答えた。繆公は女性の楽人十六人と料理人を戎王に贈った。戎王は喜び、惑い乱れて酒に溺れ、昼夜休まなかった。由余はしきりに諫めたが聞き入れられず、ついに怒って戎を去り繆公に帰服した。蹇叔は内史廖のような策を行えなかったのではない。義としてそれをしなかったのである。繆公は臣下それぞれに時に応じて正義を立てさせることができた。だから殽の戦いの恥を雪ぎ、西方の河雍にまで至ったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公五年 私讎は公に及ばず五年春、晉、柏人を圍む。荀寅・士吉射、齊に奔る。初め、范氏の臣王生、張柳朔を惡む。諸を昭子に言ひ、柏人に為(をさ)たらしむ。昭子曰く、「夫れ而(なんぢ)の讎に非ずや」と。對へて曰く、「私讎は公に及ばず。好むも過ちを廢せず、惡むも善を去らず。義の經なり。臣敢へて之に違はんや」と。范氏の出づるに及び、張柳朔其の子に謂ふ、「爾主に從ひ、之を勉めよ。我は將に止まりて死せんとす。王生我に授けたり。吾以て之を僭(たが)ふべからず」と。遂に柏人に死す。夏、趙鞅、衛を伐つ。范氏の故なり。遂に中牟を圍む。齊の燕姬子を生む。成らずして死す。諸子、鬻姒の子荼嬖せらる。諸大夫其の大子と為らんことを恐れ、公に言ひて曰く、「君の齒長ぜり。未だ大子有らず。之を若何せん」と。公曰く、「二三子、憂虞に間(まじ)はらば、則ち疾疢有らん。亦た姑く樂しみを謀れ。何ぞ君無きを憂へん」と。公疾あり。國惠子・高昭子をして荼を立てしめ、群公子を萊に寘く。秋、齊の景公卒す。
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呂氏春秋・士節①士の人と為りや、理に當りては其の難を避けず、患いに臨みては利を忘れ、生を遺れて義を行い、死を視ること歸するが如し。此の如き者有れば、國君も得て友とせず、天子も得て臣とせず。大なる者は天下を定め、其の次は一國を定めむるは、必ず此の如き人に由る者なり。故に人主の大いに功名を立てんと欲する者は、此の人を求むることに務めざる可からざるなり。賢主は人を求むるに勞して、事を治むるに佚す。
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呂氏春秋・知分⑤白圭、鄒の公子夏后啓に問いて曰く、「踐繩の節、四上の志、三晉の事、此れ天下のなり。晉に處るを以て、迭々晉の事を聞けども、未だ嘗て踐繩の節、四上之の志を聞かず。願わくは得て之を聞かん。」夏后啓曰く、「鄙人なり。焉ぞ以て問うに足らん。」白圭曰く、「願わくは公子の讓る毋からんことを。」夏后啓曰く、「以て為す可しと為す。故に之を為す。之を為すは、天下も禁ずること能わず。以て為す可からずと為す。故に之を釋つ。之を釋つるは、天下も使しむること能わず。」白圭曰く、「利も使しむること能わざるか。威も禁ずること能わざるか。」夏后啓曰く、「生も以て之を使しむるに足らざれば、則ち利曷ぞ以て之を使しむるに足らん。死も以て之を禁ずるに足らざれば、則ち害曷ぞ以て之を禁ずるに足らん。」白圭以て應うる無し。夏后啓辭して出づ。凡そ賢不肖を使うは異なり。不肖を使うには賞罰を以てし、賢を使うには義を以てす。故に賢主の其の下を使うや必ず義にし、賞罰を審らかにし、然る後賢不肖盡く用を為す。
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史記 張丞相列伝年十歳なり。高祖、即(も)し万歳の後に全からざらんことを憂ふ。趙堯は年少くして、符璽御史為り。趙人方与公、御史大夫周昌に謂ひて曰く、「君の史趙堯は、年少しと雖も、然れども奇才なり。君必ず之を異とせよ。是れ且に君の位に代はらんとす」と。周昌笑ひて曰く、「堯は年少く、刀筆の吏のみ。何ぞ能く是に至らんや」と。居ること頃之(しばらく)して、趙堯、高祖に侍す。高祖独り心楽しまず、悲歌す。群臣、上の然る所以を知らず。趙堯進みて請ひ問ひて曰く、「陛下の楽しまざる所以は、趙王年少くして戚夫人と呂后と卻(げき)有るが為に非ずや。万歳の後に趙王自ら全うすること能はざらんことを備ふるにあらずや」と。高祖曰く、「然り。吾私かに之を憂ふれども、出づる所を知らず」と。堯曰く、「陛下独り宜しく趙王の為に貴彊の相を置くべし。呂后・太子・群臣の素より敬憚する所に及べば乃ち可なり」と。高祖曰く、「然り。吾之を念ひて是くの如くせんと欲す。而れども群臣誰か可なる者ぞ」と。堯曰く、「御史大夫周昌、其の人堅忍質直にして、且つ呂后・太子及び大臣より皆素より之を敬憚す。独り昌のみ可なり」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち周昌を召して、謂ひて曰く、「吾固く公を煩はさんと欲す。公彊ひて我が為に趙王に相たれ」と。周昌泣きて曰く、「臣初めて起ちて陛下に従ふ。陛下独り柰何ぞ中道にして之を諸侯に棄つるや」と。高祖曰く、「吾極めて其の左遷なるを知る。然れども吾私かに趙王を憂ふ。念ふに公に非ずんば可なる者無し。公已むを得ず彊ひて行け」と。是に於て御史大夫周昌を徙して趙の相と為す。既に行きて之を久しくして、高祖御史大夫の印を持ちて之を弄びて曰く、「誰か以て御史大夫と為すべき者ぞ」と。趙堯を孰視して曰く、「以て堯に易ふる無し」と。遂に趙堯を拝して御史大夫と為す。堯も亦前に軍功の食邑有り。御史大夫を以て従ひて陳豨を撃ちて功有るに及び、封ぜられて江邑侯と為る。高祖崩じ、呂太后、使をして趙王を召さしむ。其の相周昌、王をして疾と称して行かざらしむ。
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『春秋左氏伝』文公三年 秦、西戎に覇たり春、莊叔諸侯の師に會して沈を伐つ、其の楚に服するを以ってなり。沈潰ゆ。凡そ民、其の上を逃るるを潰と曰ひ、上に在るを逃と曰ふ。衛侯陳に如く、晉の成を拜するなり。夏四月、乙亥、王叔文公卒す。來りて赴ぐ。弔すること同盟の如くす、禮なり。秦伯晉を伐つ。河を濟りて舟を焚き、王官及び郊を取る。晉人出でず。遂に茅津より濟り、殽の尸を封じて還る。遂に西戎に霸たり、孟明を用ゐればなり。君子是を以って知る、秦の穆公の君為るや、人を舉ぐることの周きなり、人に與することの壹なるなり。孟明の臣為るや、其の解(おこた)らざるなり、能く懼れて思ふなり。子桑の忠なるや、其の人を知るなり、能く善を舉ぐるなり。《詩》に曰く、「于(ここ)に以って蘩を采る、沼に于てし沚に于てす。于に以って之を用ゐる、公侯の事なり」と。秦の穆之れ有り。「夙夜解らず、以って一人に事ふ」と。孟明之れ有り。「厥の孫謀を詒(のこ)し、以って子を燕翼す」と。子桑之れ有り。秋、宋に螽雨る、隊ちて死するなり。楚の師江を圍む。晉の先僕楚を伐ちて以って江を救ふ。冬、晉江の故を以って周に告ぐ。王叔桓公・晉の陽處父、楚を伐ちて、以って江を救ふ。方城に門し、息の公子朱に遇ひて還る。
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『春秋左氏伝』哀公十七年 何の賤しきことか之れ有らん夏六月、趙鞅、衛を圍む。齊の國觀・陳瓘、衛を救ふ。晉人の師を致す者を得たり。子玉、服せしめて之を見て曰く、「國子、實に齊の柄を執りて、瓘に命じて曰く、『晉師を辟くること無かれ』と。豈に敢へて命を廢せんや。子又何ぞ辱くせん」と。簡子曰く、「我、衛を伐つことを卜せしも、未だ齊と戰ふことを卜せず」と。乃ち還る。楚の白公の亂に、陳人、其の聚を恃みて楚を侵す。楚既に寧し。將に陳の麥を取らんとす。楚子、帥を大師子穀と葉公諸梁とに問ふ。子穀曰く、「右領差車と左史老とは、皆令尹・司馬を相けて以て陳を伐てり。其れ使ふ可きなり」と。子高曰く、「率賤しければ、民之を慢る。命を用ゐざらんことを懼る」と。子穀曰く、「觀丁父は鄀の俘なり。武王以て軍率と為す。是を以て州・蓼に克ち、隨・唐を服し、大いに群蠻を啟く。彭仲爽は申の俘なり。文王以て令尹と為す。實に申・息を縣とし、陳・蔡を朝せしめ、畛を汝に封ず。唯だ其れ任ずるのみ。何の賤しきことか之れ有らん」と。子高曰く、「天命は諂はず。令尹、陳に憾み有り。天若し之を亡ぼさば、其れ必ず令尹の子に是れ與へん。君盍ぞ焉を舍かざる。臣懼る、右領と左史とは、二俘の賤しき有りて、其の令德無きことを」と。王、之を卜す。武城尹吉なり。師を帥ゐて陳の麥を取らしむ。陳人之を御ぎて敗れ、遂に陳を圍む。

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