貞観政要 / 規諫太子
在宗周之積德,乃執契而膺期;賴昌、發而作貳,啟七百之鴻基。逮扶蘇之副秦,非有虧於聞望,以長嫡之隆重,監偏師於亭障。始禍則金以寒離,厥妖則火不炎上;既樹置之違道,見宗祀之遄喪。伊漢氏之長世,固明兩之遞作。高惑戚而寵趙,以天下而爲謔。惠結皓而因良,致羽翼於寥廓。景有慚於鄧子,成從理之淫虐;終生患於強吳,由發怒於爭博。徹居儲兩,時猶幼沖,防衰年之絕議,識亞夫之矜功,故能恢弘祖業,紹三代之遺風。據開博望,其名未融。哀時命之奇舛,遇讒贼於江充,雖備兵以誅亂,竟背義而凶終。宣嗣好儒,大猷行闡,嗟被尤於德教,美發言於忠謇。始聞道於匡、韋,終穫戾於恭、顯。太孫雜藝,雖異定陶,馳道不絕,抑惟小善。猶見重於通人,當傳芳於前典。中興上嗣,明、章濟濟,俱達時政,咸通經禮,極至情於敬愛,惇友於於兄弟,是以固東海之遺堂,因西周之繼體。五官在魏,無聞德音。或受譏於妲己,且自悦於從禽。雖才高而學富,竟取累於荒淫。暨貽厥於明皇,構崇基於三世。得秦帝之奢侈,亞漢武之才藝。遂驅役於群臣,亦無救於凋弊。中撫寬愛,相表多奇。重桃符而致惑,納巨鹿之明規。竟能掃江表之氛穢,擧要荒而見羈。惠處東朝,察其遺蹟。在聖德其如初,實御床之可惜。悼愍懷之雲廢,遇烈風之吹沙。盡性靈之狎藝,亦自敗於凶邪。安能奉其粢盛,承此邦家!
新字:在宗周之積徳,乃執契而膺期;頼昌、発而作貳,啓七百之鴻基。逮扶蘇之副秦,非有虧於聞望,以長嫡之隆重,監偏師於亭障。始禍則金以寒離,厥妖則火不炎上;既樹置之違道,見宗祀之遄喪。伊漢氏之長世,固明両之逓作。高惑戚而寵趙,以天下而為謔。恵結皓而因良,致羽翼於寥廓。景有慚於鄧子,成従理之淫虐;終生患於強呉,由発怒於争博。徹居儲両,時猶幼沖,防衰年之絶議,識亜夫之矜功,故能恢弘祖業,紹三代之遺風。拠開博望,其名未融。哀時命之奇舛,遇讒贼於江充,雖備兵以誅乱,竟背義而凶終。宣嗣好儒,大猷行闡,嗟被尤於徳教,美発言於忠謇。始聞道於匡、韋,終穫戻於恭、顕。太孫雑芸,雖異定陶,馳道不絶,抑惟小善。猶見重於通人,当伝芳於前典。中興上嗣,明、章済済,倶達時政,咸通経礼,極至情於敬愛,惇友於於兄弟,是以固東海之遺堂,因西周之継体。五官在魏,無聞徳音。或受譏於妲己,且自悦於従禽。雖才高而学富,竟取累於荒淫。暨貽厥於明皇,構崇基於三世。得秦帝之奢侈,亜漢武之才芸。遂駆役於群臣,亦無救於凋弊。中撫寛愛,相表多奇。重桃符而致惑,納巨鹿之明規。竟能掃江表之氛穢,挙要荒而見羈。恵処東朝,察其遺跡。在聖徳其如初,実御床之可惜。悼愍懐之雲廃,遇烈風之吹沙。尽性霊之狎芸,亦自敗於凶邪。安能奉其粢盛,承此邦家!
書き下し
宗周の徳を積むに在りて、乃ち契を執りて期に膺る。昌・発の貳と作るに頼りて、七百の鴻基を啓く。扶蘇の秦に副たるに逮(およ)びては、聞望に虧くる有るに非ず。長嫡の隆重を以て、偏師を亭障に監す。始めの禍は則ち金は寒を以て離れ、厥(そ)の妖は則ち火は炎上せず。既に樹置の道に違う、宗祀の遄(すみ)やかに喪ぶるを見る。伊(こ)れ漢氏の世を長くするは、固より明両の遞(かわ)るがわる作るなり。高は戚に惑いて趙を寵し、天下を以て謔(たわむれ)と為す。恵は皓を結びて良に因り、羽翼を寥廓に致す。景は鄧子に慚ずる有り、理の淫虐に従うを成す。終に患いを強呉に生じ、怒りを争博に発するに由る。徹は儲両に居り、時に猶お幼沖なり。衰年の絶議を防ぎ、亜夫の功を矜るを識る。故に能く祖業を恢弘し、三代の遺風を紹(つ)ぐ。拠りて博望を開くも、其の名未だ融(あき)らかならず。時命の奇舛(きせん)なるを哀しみ、讒賊に江充に遇う。兵を備えて以て乱を誅すと雖も、竟に義に背きて凶終す。宣の嗣は儒を好み、大猷行われ闡(ひら)かる。嗟(ああ)徳教に尤(とが)を被り、忠謇に言を発するを美とす。始め道を匡・韋に聞き、終に戻を恭・顕に穫(え)たり。太孫は芸を雑(まじ)う。定陶に異なりと雖も、馳道絶えず。抑(そもそ)も惟れ小善なり。猶お通人に重んぜられ、当に芳を前典に伝うべし。中興の上嗣、明・章は済済たり。倶に時政に達し、咸な経礼に通ず。至情を敬愛に極め、友于を兄弟に惇(あつ)くす。是を以て東海の遺堂を固くし、西周の継体に因る。五官は魏に在り、徳音を聞くこと無し。或いは譏りを妲己に受け、且つ自ら禽に従うを悦ぶ。才高く学富むと雖も、竟に累を荒淫に取る。厥(そ)れを明皇に貽(のこ)すに暨(およ)び、崇基を三世に構う。秦帝の奢侈を得、漢武の才芸に亜(つ)ぐ。遂に群臣を駆役し、亦た凋弊を救う無し。中撫は寛愛、相表に奇多し。桃符を重んじて惑いを致し、巨鹿の明規を納る。竟に能く江表の氛穢を掃い、要荒を挙げて羈を見(あら)わす。恵は東朝に処る。其の遺蹟を察するに、聖徳其れ初めの如きに在り、実に御床の惜しむべきなり。愍懐の廃せらるるを悼み、烈風の沙を吹くに遇う。性霊の芸に狎るるを尽くし、亦た自ら凶邪に敗る。安くんぞ能く其の粢盛を奉じ、此の邦家を承けんや。
現代語訳
周が徳を積んだ時、天命を受けました。文王・武王が後継ぎとなったおかげで、七百年の大いなる基を開きました。扶蘇が秦の太子となった時も、名声に欠けるところはなかった。長子として重んじられ、辺境で軍を監督しました。しかし禍が始まり、妖しい兆しが現れた。後継ぎを立てる道に背いたため、宗廟がたちまち滅びるのを見ました。漢が長く続いたのは、太子が代々よく立ったからです。高祖は寵姫に惑って趙王を可愛がり、天下を戯れとした。恵帝は商山四皓を招き、張良の助けで、羽翼を得ました。景帝は鄧公に恥じ、道理に背く残虐を行った。ついに呉との争いが患いとなり、それは博打の争いから怒りが起きたのです。武帝は太子の時、まだ幼かった。晩年の議論を防ぎ、周亜夫が功を誇るのを見抜いた。だから祖業を広げ、三代の遺風を継げました。博望苑を開いたものの、その名はまだ明らかでない。運命の食い違いを悲しみ、江充という讒賊に遭った。兵を備えて乱を誅そうとしたが、ついに義に背いて悪しき最期を遂げました。宣帝の跡継ぎは儒学を好み、大いなる道が開かれた。ああ、徳教によって咎を受け、忠実な直言を美とした。初めは匡衡や韋玄成に道を聞き、終わりには弘恭や石顕から災いを得ました。太孫は雑芸を好んだ。定陶王とは違い、馳道を絶やさなかった。それは小さな善です。それでも識者に重んじられ、前の書物に名を伝えるべきです。中興の跡継ぎ、明帝と章帝は立派でした。ともに時勢の政治に通じ、経書と礼に通じた。敬愛の情を極め、兄弟の友愛を篤くした。だから東海王の遺した堂を固くし、西周の継承にならった。曹丕は魏にあって、徳の評判を聞かない。妲己になぞらえて謗られ、狩りに耽ることを喜んだ。才は高く学は富んでも、ついに放蕩によって累を招いた。明帝に伝えた頃には、三代にわたって基を築いていた。秦の始皇の奢侈を得て、漢の武帝の才芸に次いだ。ついに群臣を酷使し、衰えを救えなかった。中撫軍は寛大で愛情深く、外見に奇異が多かった。桃符を重んじて惑い、巨鹿の明らかな諫めを受け入れた。ついに江南の穢れを掃き、辺境まで従えました。晋の恵帝は東宮にあった。その足跡を見れば、聖徳が初めのままであれば、御床の言葉は惜しむべきものでした。愍懐太子が廃されたのを悼み、烈風が砂を吹くような目に遭った。性情のままに芸に耽り、自ら凶悪と邪悪に敗れた。どうして祭祀を奉じ、この国家を継げましょうか。
解説
この章句が説くこと
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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史記 蕭相国世家何頓首して曰く、「帝之を得たり。臣死すとも恨みず」と。何田宅を置くに必ず窮処に居り、家を為るに垣屋を治めず。曰く、「後世賢ならば、吾が倹を師とせよ。賢ならずんば、勢家の奪ふ所と為ること毋からん」と。孝恵二年、相国何卒し、謚して文終侯と為す。後嗣罪を以て侯を失ふ者四世、絶ゆ、天子輒ち複た何の後を求め、封じて酇侯を続がしむ、功臣之に比するを得る莫し。
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『春秋左氏伝』昭公七年 其の父薪を析く晉侯間有り。子產に莒の二方鼎を賜ふ。子產豐施の為に州田を韓宣子に歸して曰く、「日(さき)に君夫の公孫段を以て、能く其の事に任ふと為して、之に州田を賜ふ。今祿無くして早世し、久しく君の德を享くるを獲ず。其の子敢へて有たず、敢へて以て君に聞せず、私かに諸を子に致す」と。宣子辭す。子產曰く、「古人言有りて曰く、『其の父薪を析くも、其の子負荷する克はず』と。施將に其の先人の祿に任ふる能はざるを懼る。其れ況んや能く大國の賜に任へんや。縱ひ吾子政を為して可なりとも、後の人若し屬(たまたま)疆埸の言有らば、敝邑戾を獲て、豐氏其の大討を受けん。吾子州を取らば、是れ敝邑を戾より免れしめて、豐氏を建置するなり。敢へて以て請ふと為す」と。宣子之を受け、以て晉侯に告ぐ。晉侯以て宣子に與ふ。宣子初言の為に、之を有つを病み、以て原縣を樂大心に易ふ。
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