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茶の本 / 第三章 道教と禅道・南方禅を説いた慧能

禅を哲学的に見れば昔の禅学は一方において那伽閼剌樹那(二四)のインド否定論に似ており、また他方においては商羯羅阿闍梨の組み立てた無明観(二六)に似たところがあるように思われる。今日われらの知っているとおりの禅の教理は南方禅(南方シナに勢力があったことからそういわれる)の開山シナの第六祖慧能(六三七―七一三)が始めて説いたに違いない。慧能の後、ほどなく馬祖大師(七八八滅)これを継いで禅を中国人の生活における一活動勢力に作りあげた。馬祖の弟子百丈(七一九―八一四)は禅宗叢林を開創し、禅林清規を制定した。馬祖の時代以後の禅宗の問答を見ると、揚子江岸精神の影響をこうむって、昔のインド理想主義とはきわ立って違ったシナ固有の考え方を増していることがわかる。

書き下し

禅を哲学的に見れば、昔の禅学は一方において那伽閼剌樹那のインド否定論に似ており、また他方においては商羯羅阿闍梨の組み立てた無明観に似たところがあるように思われる。今日われらの知っているとおりの禅の教理は、南方禅の開山、シナの第六祖慧能が始めて説いたに違いない。慧能の後、ほどなく馬祖大師これを継いで、禅を中国人の生活における一活動勢力に作りあげた。馬祖の弟子百丈は禅宗叢林を開創し、禅林清規を制定した。馬祖の時代以後の禅宗の問答を見ると、揚子江岸精神の影響をこうむって、昔のインド理想主義とはきわ立って違ったシナ固有の考え方を増していることがわかる。

現代語訳

禅を哲学的に見れば、昔の禅学は一方でナーガールジュナのインド否定論に似ており、他方でシャンカラが組み立てた無明の見方に似たところがあるように思われます。今日私たちが知っているとおりの禅の教理は、南方禅の開祖、中国の第六祖である慧能が初めて説いたに違いありません。慧能の後、ほどなく馬祖大師がこれを継いで、禅を中国人の生活における一つの活動する力に作り上げました。馬祖の弟子である百丈は禅の修行道場を開き、禅林の規則を定めました。馬祖の時代以後の禅の問答を見ると、長江のほとりの精神の影響を受けて、昔のインドの理想主義とは際立って違う、中国固有の考え方を増していることが分かります。

解説

禅が中国のものになっていく過程が跡づけられます。慧能が説き、馬祖が生活の力に変え、百丈が道場の規則を定めた。思想から制度へという道筋です。そして問答の内容が、インドの理想主義から中国固有の考え方へ移っていく。外から来た思想が土地に馴染む過程が、禅において最も明瞭に見えるという指摘です。師導には慧能の『六祖壇経』を収めており、その転換点を直接読むことができます。

この章句が説くこと

慧能土着制度問答

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