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茶の本 / 第二章 茶の諸流・日本に伝わった茶

日本はシナ文化の先蹤を追うて来たのであるから、この茶の三時期をことごとく知っている。早くも七二九年聖武天皇奈良の御殿において百僧に茶を賜うと書物に見えている。茶の葉はたぶん遣唐使によって輸入せられ、当時流行のたて方でたてられたものであろう。八〇一年には僧最澄茶の種を携え帰って叡山にこれを植えた。その後年を経るにしたがって貴族僧侶の愛好飲料となったのはいうまでもなく、茶園もたくさんできたということである。宋の茶は一一九一年、南方の禅を研究するために渡っていた栄西禅師の帰国とともにわが国に伝わって来た。彼の持ち帰った新種は首尾よく三か所に植え付けられ、その一か所京都に近い宇治は、今なお世にもまれなる名茶産地の名をとどめている。

書き下し

日本はシナ文化の先蹤を追うて来たのであるから、この茶の三時期をことごとく知っている。早くも七二九年、聖武天皇奈良の御殿において百僧に茶を賜うと書物に見えている。茶の葉はたぶん遣唐使によって輸入せられ、当時流行のたて方でたてられたものであろう。八〇一年には僧最澄、茶の種を携え帰って叡山にこれを植えた。その後年を経るにしたがって貴族僧侶の愛好飲料となったのはいうまでもなく、茶園もたくさんできたということである。宋の茶は一一九一年、南方の禅を研究するために渡っていた栄西禅師の帰国とともにわが国に伝わって来た。彼の持ち帰った新種は首尾よく三か所に植え付けられ、その一か所、京都に近い宇治は、今なお世にもまれなる名茶産地の名をとどめている。

現代語訳

日本は中国文化の足跡を追ってきたので、この茶の三つの時期をすべて知っています。早くも七二九年、聖武天皇が奈良の御殿で百人の僧に茶を賜ったと書物に見えます。茶の葉はおそらく遣唐使によって輸入され、当時流行のたて方でたてられたのでしょう。八〇一年には僧の最澄が茶の種を持ち帰り、比叡山に植えました。その後、年を経るにつれて貴族や僧の好む飲み物になったのは言うまでもなく、茶園もたくさんできたそうです。宋の茶は一一九一年、南方の禅を学ぶために渡っていた栄西禅師の帰国とともにわが国に伝わりました。彼が持ち帰った新種は首尾よく三か所に植えられ、その一か所、京都に近い宇治は、今もなお世にまれな名茶の産地の名をとどめています。

解説

日本が茶の三つの時期をすべて知っている、という指摘が要です。中国では断絶したものが、追いかけた側には全部残った。最澄、栄西と、茶を運んだのがいずれも留学僧であることも見逃せません。宇治の名が今も残るという結びは、この本が書かれた明治末にも、千年前の植え付けが生きていることを示しています。文化の受け手が保存者になるという、周縁の役割がここでも働いています。

この章句が説くこと

伝来僧侶宇治保存継承

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