廟堂忠告 / 應變第八
事機之發,有常有變。常者,中人處之而有餘;變者,雖上智亦有所不足。樽俎之下,卒然而報兵,遽然而聞寇,則當詳其虗實,度其逆順,殆不可一聞其言,輒倉皇上變,徵發百出,未見敵而先自撓也。且事固有聲虗以釣實,乘間以拘利,傳微為巨,以無形為有形,疑似之間,不可不察。若夫國有大奸,境有大敵,彼既非常,而吾則以非常之計備之。若乃泥文守經,終見動輒有礙,而事亦無所濟矣。故古人遇此,權以濟才,隨宜應變,如丸轉於盤而不出於盤,如水委曲赴海而不悖於海。王啇聞大水之言,君臣皆驚,而啇獨必其無事。桓溫將移晉祚,聲誅王謝,而謝安雍容談咲以折其鋒。回紇吐蕃合兵涇陽,郭子儀單騎以往喻。盖宰相者,非常之任也,居非常之任,獨不能為非常之事可乎?故前輩謂鎮定大事,非至公至誠不能,或死或生,舉置度外。嗚呼,世常以大臣國家柱石者,其謂茲與?
新字:事機之発,有常有変。常者,中人処之而有余;変者,雖上智亦有所不足。樽俎之下,卒然而報兵,遽然而聞寇,則当詳其虚実,度其逆順,殆不可一聞其言,輒倉皇上変,徴発百出,未見敵而先自撓也。且事固有声虚以釣実,乗間以拘利,伝微為巨,以無形為有形,疑似之間,不可不察。若夫国有大奸,境有大敵,彼既非常,而吾則以非常之計備之。若乃泥文守経,終見動輒有礙,而事亦無所済矣。故古人遇此,権以済才,随宜応変,如丸転於盤而不出於盤,如水委曲赴海而不悖於海。王啇聞大水之言,君臣皆驚,而啇独必其無事。桓温将移晋祚,声誅王謝,而謝安雍容談咲以折其鋒。回紇吐蕃合兵涇陽,郭子儀単騎以往喩。盖宰相者,非常之任也,居非常之任,独不能為非常之事可乎?故前輩謂鎮定大事,非至公至誠不能,或死或生,舉置度外。嗚呼,世常以大臣国家柱石者,其謂茲与?
書き下し
事機の發するや、常有り變有り。常なる者は中人も之に處して餘り有り、變なる者は上智と雖も亦足らざる所有り。樽俎の下、卒然として兵を報じ、遽然として寇を聞かば、則ち當に其の虗實を詳らかにし、其の逆順を度るべし。殆ど其の言を一聞して輒ち倉皇として變を上し、徵發百出して、未だ敵を見ずして先ず自ら撓(みだ)るべからざるなり。且つ事固より聲を虗しくして以て實を釣り、間に乘じて以て利を拘え、微を傳えて巨と為し、無形を以て有形と為すもの有り、疑似の間、察せざるべからず。若し夫れ國に大奸有り境に大敵有らば、彼既に非常なれば、吾は則ち非常の計を以て之に備う。若し乃ち文に泥み經を守らば、終に動くに輒ち礙有るを見て、事も亦濟す所無し。故に古人此れに遇わば、權りて以て才を濟し、宜しきに隨いて變に應ず。丸の盤に轉じて盤を出でざるが如く、水の委曲して海に赴きて海に悖らざるが如し。王啇、大水の言を聞くに、君臣皆驚くも、啇獨り其の無事なるを必とす。桓溫、將に晉祚を移さんとし、聲(こわ)を王謝を誅せんとするに、謝安、雍容として談咲し以て其の鋒を折る。回紇吐蕃、兵を涇陽に合わすに、郭子儀單騎にて以て往きて喻す。盖し宰相とは非常の任なり。非常の任に居りて、獨り非常の事を為す能わざる可けんや。故に前輩謂えらく、大事を鎮定するは、至公至誠に非ざれば能わず、或いは死し或いは生くるも、舉げて度外に置くと。嗚呼、世常に大臣を以て國家の柱石とする者は、其れ茲を謂うか。
現代語訳
事の起こり方には、通常のものと非常のものがある。通常のことであれば凡庸な人物が対処しても十分間に合うが、非常のことであれば、たとえ最高の知恵を持つ者でも対応しきれないことがある。宴席の最中に突然戦の急報が入り、にわかに敵襲を聞いたならば、まずその真偽を詳しく調べ、事の是非を見極めるべきである。一度その報告を聞いただけであわてふためいて上奏し、あちこちに兵を動員し、敵の姿も見ないうちから自ら動揺してはならない。そもそも物事には、噂を流して真実を釣り出したり、隙に乗じて利益を得ようとしたり、些細なことを大げさに伝えたり、実体のないものをあるように見せかけたりすることがある。真偽紛らわしいことは、よく見極めなければならない。もし国内に大悪人がおり、国境に大敵がいるならば、相手がすでに尋常でない以上、こちらも尋常でない策で備えるべきである。もし杓子定規に文言や既定路線にこだわるならば、行動するたびに支障が生じ、物事は成し遂げられない。だから昔の人はこうした場合、臨機応変に才知を働かせ、状況に応じて対応を変えた。丸い玉が盆の中を転がりながらも盆から出ないように、水が曲がりくねりながらも最終的に海に注ぎ、海の理に背かないように。漢の王商は洪水の噂を聞いたとき、君臣がみな驚く中、王商だけは何事もないと確信した。東晋の桓温が帝位を奪おうと王氏・謝氏の誅殺を口にしたとき、謝安はゆったりと談笑してその鋭鋒をくじいた。ウイグルと吐蕃が涇陽で兵を合わせたとき、郭子儀は単騎で赴いてこれを説得した。そもそも宰相とは、非常時にこそ担うべき重責である。非常の任にありながら、非常の事態に対応できないでよいだろうか。だから先人は、大事を鎮め定めるのは、至って公平で誠実でなければできぬこと、死のうと生きようと、そうしたことは度外視せよと言った。ああ、世間で大臣を国家の柱石とするのは、まさにこのことを言うのだろう。
解説

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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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