武士訓 / 卷五・第5段
世俗の說に。正直の頂に神やどるといふを。武術になぞらへていへば。我胸中に。高天原といふ廣博の地あり。其地に。固有の神明をやどしたてまつる。其神明にうつたへて。邪穢をはらひ。精明をいたし。理非を決斷して。善惡を差別し。泰然とたちて。寂然とうごかず。頭より腰にいたるまで。たゞちにしてすこしもまがらず。心眼をひらいて眸子をまじろかざるところ。正直の頭に神やどるの理に比すべし。儒書に頭容直ければ。心も又直しとあるにひとし。たゞし言句にてはさとしがたきものあり。つとめまなんで默識すべし。古歌に「奥山にこゝろをいれてたづねずばふかきもみぢのいろを見ましや」とよめるごとし。先をとるといふは。わざをもつていふにあらず。かゝるにあらず。まつにもあらず。氣の位をさしていへり。
新字:世俗の説に。正直の頂に神やどるといふを。武術になぞらへていへば。我胸中に。高天原といふ広博の地あり。其地に。固有の神明をやどしたてまつる。其神明にうつたへて。邪穢をはらひ。精明をいたし。理非を決断して。善悪を差別し。泰然とたちて。寂然とうごかず。頭より腰にいたるまで。たゞちにしてすこしもまがらず。心眼をひらいて眸子をまじろかざるところ。正直の頭に神やどるの理に比すべし。儒書に頭容直ければ。心も又直しとあるにひとし。たゞし言句にてはさとしがたきものあり。つとめまなんで黙識すべし。古歌に「奥山にこゝろをいれてたづねずばふかきもみぢのいろを見ましや」とよめるごとし。先をとるといふは。わざをもつていふにあらず。かゝるにあらず。まつにもあらず。気の位をさしていへり。
書き下し
世俗の說に。正直の頂に神やどるといふを。武術になぞらへていへば。我胸中に。高天原といふ廣博の地あり。其地に。固有の神明をやどしたてまつる。其神明にうつたへて。邪穢をはらひ。精明をいたし。理非を決斷して。善惡を差別し。泰然とたちて。寂然とうごかず。頭より腰にいたるまで。たゞちにしてすこしもまがらず。心眼をひらいて眸子をまじろかざるところ。正直の頭に神やどるの理に比すべし。儒書に頭容直ければ。心も又直しとあるにひとし。たゞし言句にてはさとしがたきものあり。つとめまなんで默識すべし。古歌に「奥山にこゝろをいれてたづねずばふかきもみぢのいろを見ましや」とよめるごとし。先をとるといふは。わざをもつていふにあらず。かゝるにあらず。まつにもあらず。氣の位をさしていへり。
現代語訳
世俗の説に、正直の頭に神が宿るというのを、武術になぞらえて言えば、わが胸中に高天原という広大な地があり、その地に固有の神明を宿し奉る。その神明に訴えて、邪穢を祓い、精明を致し、理非を決断して善悪を差別し、泰然と立って、寂然と動かず、頭から腰に至るまで直ちにして少しも曲がらず、心眼を開いてひとみをまたたかないところ、これは正直の頭に神宿るの理に比べることができる。儒書に「頭の容が直ければ、心もまた直し」とあるのと同じである。ただし、言葉では悟りにくいものがある。つとめ学んで黙識すべきである。古歌に「奥山に心を入れて尋ねずば深き紅葉の色を見ましや」と詠んだとおりである。先を取るというのは、技をもって言うのではない。かかるのでもなく、待つのでもない。気の位を指して言うのである。
解説
この章句が説くこと
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