武士道 / 第十三章 刀・武士の魂・威力と美趣と畏敬と恐懼
刀劍の靈德奇氣を帶ぶるは、即ち良工の精魂之に寓し、祭神の威德之に宿るが故に非らずや。日本刀の美術の完璧たるは、トレド又たダマスカスの名劍の企及するところに非らずして。而も亦た美術の賦與する能はざる精氣を存す。氷刄燦として玉匣を脫すれば、大氣忽ち凝つて雨露を滴らし、碧花を開き、晃々たる百鍊の龍身は光芒を吐くし犀利の銳鋒は歷史を懸け、未來を繫ぎ、彎曲せる刀背は、絕美を結ぶに絕大の力を以てす。一たび之を觀れば、威力、美趣、畏敬、恐懼の念の凛乎として交も人に迫るあり。刀劍若し啻に美觀悅樂の具たらんには、其用たるや、害無し。されど一旦之を手にすれば、誘惑忽ち生じて、之を濫用せんとすること尠からず。刀刄屢ば平和なる其鞘を頴脫するあり或は新刀を獲て之を無辜の辰に試むるの兇暴を敢てするものありき。
新字:刀剣の霊徳奇気を帯ぶるは、即ち良工の精魂之に寓し、祭神の威徳之に宿るが故に非らずや。日本刀の美術の完璧たるは、トレド又たダマスカスの名剣の企及するところに非らずして。而も亦た美術の賦与する能はざる精気を存す。氷刄燦として玉匣を脱すれば、大気忽ち凝つて雨露を滴らし、碧花を開き、晃々たる百錬の竜身は光芒を吐くし犀利の鋭鋒は歴史を懸け、未来を繋ぎ、彎曲せる刀背は、絶美を結ぶに絶大の力を以てす。一たび之を観れば、威力、美趣、畏敬、恐懼の念の凛乎として交も人に迫るあり。刀剣若し啻に美観悦楽の具たらんには、其用たるや、害無し。されど一旦之を手にすれば、誘惑忽ち生じて、之を濫用せんとすること尠からず。刀刄屡ば平和なる其鞘を頴脱するあり或は新刀を獲て之を無辜の辰に試むるの兇暴を敢てするものありき。
書き下し
刀剣の霊徳奇気を帯ぶるは、即ち良工の精魂之に寓し、祭神の威徳之に宿るが故に非らずや。日本刀の美術の完璧たるは、トレド又たダマスカスの名剣の企及するところに非らずして、而も亦た美術の賦与する能はざる精気を存す。氷刃燦として玉匣を脱すれば、大気たちまち凝つて雨露を滴らし、碧花を開き、晃々たる百錬の竜身は光芒を吐き、犀利の鋭鋒は歴史を懸け、未来を繋ぎ、彎曲せる刀背は、絶美を結ぶに絶大の力を以てす。一たび之を観れば、威力、美趣、畏敬、恐懼の念の凛乎として、こもごも人に迫るあり。刀剣もしただに美観悦楽の具たらんには、其用たるや害無し。されど一旦之を手にすれば、誘惑たちまち生じて、之を濫用せんとすること尠からず。刀刃しばしば平和なる其鞘を頴脱するあり。或は新刀を獲て之を無辜の民に試むるの兇暴を敢てするものありき。
現代語訳
刀剣が霊妙な徳と不思議な気を帯びるのは、優れた工人の魂がそこに宿り、祭る神の威徳がそこに宿るからではないでしょうか。日本刀の美術としての完璧さは、トレドやダマスカスの名剣が及ぶところではなく、しかも美術が与えることのできない精気を備えています。氷のような刃が鞘を脱すれば、大気がたちまち凝って露を滴らせ、青い花を開き、輝く百度鍛えた竜の身は光を吐き、鋭い切っ先は歴史を懸け未来を繋ぎ、湾曲した峰は絶美を結ぶのに絶大な力をもってします。ひとたびこれを見れば、威力と美しさと畏敬と恐れの念が、凛として代わる代わる人に迫ります。刀剣がもし美しさを楽しむ道具にすぎないなら、その用途に害はありません。しかしひとたびこれを手にすると、誘惑がたちまち生まれて、濫用しようとすることが少なくありません。刃がしばしば平和な鞘から抜け出ることがあります。あるいは新しい刀を得て、それを罪のない民に試すという凶暴を敢えてする者もありました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第十三章 刀・武士の魂・刀匠の工場は至聖処なりき刀を賤むるは即ち其主を侮辱する所以にして、床上の刀を越ゆるの軽忽をなすものあらば、禍直ちに其身に及ぶ。刀は尊貴なるが故に、おのづから美術家の伎倆、主人の虚栄の之に伴ふあり。世泰平にして、佩刀の、僧正の錫杖、帝王の玉笏と択ぶ所無きの日に在りては、殊に其の然るものありき。柄には鮫皮絹糸を巻き、鍔には金銀を鏤め、鞘には五彩を抹漆し、燦煥の美は、反つて刀刃の威を奪ふものがごとし。されど其外飾はただに翫具たるに過ぎざるのみ、刀身の真価はかつて増減あること無し。刀匠はただに工人たる者に非らずして、かへつて天意感通の美術家なり、其工場は至聖処なりき。晨朝斎戒沐浴して其業に従ひ、心魂気魄を打つて錬鉄を鍛冶し、揮槌、入湯、砥礪の如き、皆厳粛なる祭式なり。
-
『武士道』第十三章 刀・武士の魂・漫に剣を携えず齢既に十五歳、成人の域に達するや、自由の行動を許さるるを以て、今や腰間、鉄断つべきの秋水に誇ると共に、身に兇器を帯ぶるが故に、乃ち責任の観念、自重の態度、心に生ず。彼は『漫に剣を携へず』。刀は忠義、名誉の象徴なり。身辺かつて大刀小刀の二剣を放たず。室に在りては書斎、床間を飾り、夜は主人の枕頭を護る。常住不断の伴侶なるが故に、即ち之を愛翫し、呼ぶに寵称を以てす。之を尊敬するよりして、殆ど之を崇拝す。史学の祖ヘロドトスはスキタイ民族の鉄製偃月刀に犠牲を捧ぐるを一奇聞なりとして記述すと雖、日本にては、神社又た家庭の、刀剣を崇めて礼拝すべき神体となせるもの少からず。凡作の短刀も亦た之を蔑にせず。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・刀は武士の魂なり氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、発狂もしくは病的刺戟によりて精神錯乱せるものの行為なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は、狂信、錯乱、又は発奮の片影をも存せず、却つて冷静の極、始めて能く之を行ひ得て、其美を称せらる。トラン博士は自殺を分つて、合理又は仮似なるものと、不合理又たは真正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。此等の惨憺たる法度より見るも、亦た武士道の常経より見るも、刀剣の具の武士社会の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。曰く、『刀は武士の魂』なりと。格言にも是あり。
-
『武士道』第十三章 刀・武士の魂・五歳にして真剣を佩ぶ刀の武士道に於けるや、威力剛勇の儀象なり。マホメットは宣言すらく、『剣は天堂地獄の鍵なり』と。而して此語は正に日本人の感想を反響せるものなり。士分の男児は幼にして既に剣を用ふることを学び、五歳に及べば士服を着け、碁盤に乗り、其の弄びたる玩具の小刀を棄て、真剣を佩びて、以て武士の分限を与へらるるの大礼に会す。此の武門に入るの第一礼既に終はりたるの後は、小児も父の門を出づるに、たとひ日常は銀塗の木刀を以て之に代ふと雖、なお其身分に応じたる此の微号を帯びざる無し。ようやく長ずるや、鈍刀にもせよ、常に真剣を佩き、擬刀を投じ、而して新たに得たる刃よりも更に鋭き喜悦の情を以て、踊躍奮然、其尖端を木石に試む。
-
『武士道』第十三章 刀・武士の魂・人を殺すのが大嫌い〔クセラム湧シャリヤ:OCRの乱れ〕然るに爰に吾人の考ふべき一要件あり、曰く武士道は漫に刀刃を用ふるを可とするものなる乎と。答へて曰く、断じて然らずと。剣は其良用を貴しとなす。故に之れが濫用を咎め、之を憎めり。其所を得ずして刃を揮ふものは暴漢なり、兇人なり。重厚の士は剣を用ふるの時を識る、而して其時の来る甚だ稀なり。故勝海舟伯は、幕末の乱世に出て、暗殺自刃公行し、空吹く風も腥かりし日に当り、英邁の才、柳営の枢機に参して、屢ば兇刃の其背後を覗ふことありしと雖、自から曾て其刃に衂ることをなさざりき。伯晩年一友の為、其特癖ある平民的口調を以て往時を談じて云へることあり。『私は人を殺すのが大嫌ひで、一人でも殺したものは無いよ。みんな逃して、殺すべきものでも、マア(マア)と言つて放つて置いた。ナニ、蚤や虱は殺すから、さう思へば善いのだが、殺人は極嫌ひだつた。それは河上玄哉が教へてくれた、「あなたは、さう人を殺しなさらぬが、それはいけません。南瓜でも茄子でも、あなたは取つてお上んなさるだらう。
-
『武士道』第十五章 武士道の感化・薔薇は刺針を蔵す其神(一字不明)は、馴雅〔硫〕製たる花に非らずして、野性を帯び自然なり。我国土の特産なり。其偶有性は、之を他国土の花と斉しうするものありと雖、其本質は依然として我風土に自発自生す。されど其国産たるが故にのみ吾人の之を愛好するに非らず。其高雅優麗にして日本国民の美感を動かすの大なるは、高く群芳に絶す。吾人は欧洲人と共に薔薇を翫賞する能はず、其花や、我国華の単純なるに似ず。而も亦た薔薇の窈窕として其陰に刺針を蔵する、風前に脆く散じて泥汚に委せんことを厭悪し畏懼し、頑として寧ろ枝頭に腐死せんことを欲する、又た其色妖冶、其香醲厚なる、此等の特質は大いに之を我桜花と其趣を異にす。