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武士道 / 第八章 名譽・蚤を告げた町人を斬る

名譽の名の下に武士道の許さゞる非行を犯すことあり、躁急火性の慢心者が、微細の汚辱を受くるにより、或は耻ならざるを耻となすによりて、赫怒一番、即ち刀を按じ、無益の爭鬪を釀し、因つて無辜を殺すことも尠からざりき。俗話に傳ふ、善意の町人が、侍の背に蚤の飛べるを告げたれば、蚤は畜生に沸く蟲なり、尊貴の武士を畜生視するは無禮至極なりとの、簡單奇怪の理由を以て、忽ち彼を一刀に切り捨て、復た顧みざりしといふは、作話にも程こそあれ、豈に笑ふべきの甚だしきにあらずや。但し此類の俗話の傳へらるゝ所以に、三つの原因あり。一は即ち此等が平民を畏怖せしめんが爲に作意せられたるものなる事、二は即ち武士が其の名譽の分限を濫用したる事、三は即ち羞惡の念の侍の間に在りて、强大なる發育を成したる事是れなり。

新字:名誉の名の下に武士道の許さゞる非行を犯すことあり、躁急火性の慢心者が、微細の汚辱を受くるにより、或は耻ならざるを耻となすによりて、赫怒一番、即ち刀を按じ、無益の争鬪を醸し、因つて無辜を殺すことも尠からざりき。俗話に伝ふ、善意の町人が、侍の背に蚤の飛べるを告げたれば、蚤は畜生に沸く虫なり、尊貴の武士を畜生視するは無礼至極なりとの、簡単奇怪の理由を以て、忽ち彼を一刀に切り捨て、復た顧みざりしといふは、作話にも程こそあれ、豈に笑ふべきの甚だしきにあらずや。但し此類の俗話の伝へらるゝ所以に、三つの原因あり。一は即ち此等が平民を畏怖せしめんが為に作意せられたるものなる事、二は即ち武士が其の名誉の分限を濫用したる事、三は即ち羞悪の念の侍の間に在りて、强大なる発育を成したる事是れなり。

書き下し

名誉の名の下に、武士道の許さざる非行を犯すことあり。躁急火性の慢心者が、微細の汚辱を受くるにより、或は恥ならざるを恥となすによりて、赫怒一番、即ち刀を按じ、無益の争闘を醸し、因つて無辜を殺すことも尠からざりき。俗話に伝ふ、善意の町人が、侍の背に蚤の飛べるを告げたれば、蚤は畜生に湧く虫なり、尊貴の武士を畜生視するは無礼至極なりとの、簡単奇怪の理由を以て、たちまち彼を一刀に切り捨て、復た顧みざりしといふは、作話にも程こそあれ、あに笑ふべきの甚だしきにあらずや。但し此類の俗話の伝へらるる所以に、三つの原因あり。一は即ち此等が平民を畏怖せしめんが為に作意せられたるものなる事、二は即ち武士が其の名誉の分限を濫用したる事、三は即ち羞悪の念の、侍の間に在りて強大なる発育を成したる事、是れなり。

現代語訳

名誉の名のもとに、武士道が許さない非行を犯すことがありました。気が短く怒りっぽい慢心した者が、わずかな辱めを受けたことにより、あるいは恥でないものを恥と考えたことにより、かっと怒って刀に手をかけ、無益な争いを起こし、そのために罪のない者を殺すことも少なくありませんでした。俗話に伝えるところでは、善意の町人が侍の背中に蚤が跳ねているのを教えたところ、蚤は畜生にわく虫だ、貴い武士を畜生と見るのは無礼の極みだという、単純で奇怪な理由で、たちまち彼を一刀に斬り捨てて振り返りもしなかったといいます。作り話にも程があり、笑うべきことの甚だしいものではないでしょうか。ただしこの種の俗話が伝えられた理由には三つあります。一つはこれらが平民を怖れさせるために作られたものであること、二つは武士が名誉の限度を濫用したこと、三つは恥じ悪む念が侍の間で非常に強く育っていたこと、です。

解説

名誉の弊害が、具体的な逸話で示されます。蚤を教えただけの町人を斬った話。新渡戸はこれを作り話だと退けつつ、そういう話が伝わる理由を三つ挙げます。平民を怖れさせる目的、武士による名誉の濫用、そして恥の感覚が強すぎたこと。二つ目と三つ目は自分たちの側の非を認めるものです。武士道を紹介する本が、その徳が暴走した事例を三つの原因に分けて分析しています。

この章句が説くこと

名誉濫用暴走弊害

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