武士道 / 第七章 至誠信實・人を盗と呼べば彼れ即ち盗をなさん
モンテスキユーは、徃時、貴族の商業に關與するを禁じたる其社會政策こそ、富の勢權に吸收せらるゝを防遏したる所以にして、頗る稱すべきものなれと論ぜひしにあらずや。、富と勢權との分離は、富の分配を略ぼ均等ならしむ。)『西羅馬帝國衰亡時代の社會』の著者ヂル教授は、羅馬帝國衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を營むを許し、從つて富と勢權とが、少數なる元老門閥の專有に歸したる事實にあるを辯ぜり。されば封建時代に於ける日本の商業は、社會狀態の抑壓によりて、自由なる發展を遂ぐること能はず、而も商賣の業の侮蔑せられたるより、自から、世上の名聞に意無き輩を、其範圍に吸集したり。西諺にも、『人を盜と呼べ彼れ即ち盜をなさん』と云へるが如く、假に某の職業を稱するに汚名を以てせんか、此れに居るもの亦た、其汚名に適したる態度に出づべきは自然の數にして、ヒユー、ブラツクも、『尋常なる良心は、之に對する要求に應じて醒起し、而して容易に此れに期待する道德標凖の區域に墮落す』と曰へり。
新字:モンテスキユーは、往時、貴族の商業に関与するを禁じたる其社会政策こそ、富の勢権に吸収せらるゝを防遏したる所以にして、頗る称すべきものなれと論ぜひしにあらずや。、富と勢権との分離は、富の分配を略ぼ均等ならしむ。)『西羅馬帝国衰亡時代の社会』の著者ヂル教授は、羅馬帝国衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を営むを許し、従つて富と勢権とが、少数なる元老門閥の専有に帰したる事実にあるを弁ぜり。されば封建時代に於ける日本の商業は、社会状態の抑圧によりて、自由なる発展を遂ぐること能はず、而も商売の業の侮蔑せられたるより、自から、世上の名聞に意無き輩を、其範囲に吸集したり。西諺にも、『人を盗と呼べ彼れ即ち盗をなさん』と云へるが如く、仮に某の職業を称するに汚名を以てせんか、此れに居るもの亦た、其汚名に適したる態度に出づべきは自然の数にして、ヒユー、ブラツクも、『尋常なる良心は、之に対する要求に応じて醒起し、而して容易に此れに期待する道徳標凖の区域に堕落す』と曰へり。
書き下し
モンテスキューは、往時、貴族の商業に関与するを禁じたる其社会政策こそ、富の勢権に吸収せらるるを防遏したる所以にして、すこぶる称すべきものなれと論ぜしにあらずや。富と勢権との分離は、富の分配をほぼ均等ならしむ。『西羅馬帝国衰亡時代の社会』の著者ディル教授は、羅馬帝国衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を営むを許し、従つて富と勢権とが、少数なる元老門閥の専有に帰したる事実にあるを弁ぜり。されば封建時代に於ける日本の商業は、社会状態の抑圧によりて、自由なる発展を遂ぐること能はず、而も商売の業の侮蔑せられたるより、自から、世上の名聞に意無き輩を、其範囲に吸集したり。西諺にも『人を盗と呼べ、彼れ即ち盗をなさん』と云へるが如く、仮に某の職業を称するに汚名を以てせんか、此れに居るもの亦た、其汚名に適したる態度に出づべきは自然の数にして、ヒュー・ブラックも、『尋常なる良心は、之に対する要求に応じて醒起し、而して容易に此れに期待する道徳標準の区域に堕落す』と曰へり。
現代語訳
モンテスキューは、昔、貴族が商業に関わることを禁じたあの社会政策こそ、富が権力に吸収されるのを防いだ理由であり、大いに称賛すべきものだ、と論じたではありませんか。富と権力の分離は、富の分配をほぼ均等にします。『西ローマ帝国衰亡期の社会』の著者ディル教授は、ローマ帝国衰亡の一因が、明らかに貴族に商業を営むことを許し、したがって富と権力が少数の元老貴族の専有に帰した事実にある、と論じました。ですから封建時代の日本の商業は、社会状態の抑圧によって自由な発展を遂げられず、しかも商売の仕事が侮蔑されていたため、おのずと世間の評判を気にしない者たちをその範囲に集めました。西洋の諺にも、人を盗人と呼べばその人は盗みをするようになる、とあるように、仮にある職業を汚名で呼べば、そこにいる者もその汚名にふさわしい態度に出るのは自然の道理です。ヒュー・ブラックも、普通の良心はそれに対する要求に応じて目覚め、また容易にそこに期待される道徳の水準まで堕落する、と言いました。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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