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武士道 / 第六章 禮儀・予も亦た君と苦を分つ

されど酷だ笑ふ可き行爲と目すべきは、彼れの語る時、傘を傾けて、又た炎々たる日光の直射する所となるを見ん、何ぞ愚の甚しきやと。然り、彼の意にして、若し『君は日下に立つ、同情に堪へず。予の傘の大なるか、或は君と深交あるならんには、予の傘下に、君を入るゝを悅びとせん。されど今君を蔽ふ能ばざるが故に、予も亦た君と苦を分つ』と云ふに非ざれば、彼の爲す所は實に愚なり。此れと等しく、否、此れにも勝りて笑ふべき些細の行爲尠しとせず、而して此等は單に動止習俗たるには非らずして、却つて他人の快感を察する思慮ある感情の所謂『體』せられたるものなり。我國禮法の儀文の生じたる習慣中には、又た一事の酷だ笑ふべきものあり。

新字:されど酷だ笑ふ可き行為と目すべきは、彼れの語る時、傘を傾けて、又た炎々たる日光の直射する所となるを見ん、何ぞ愚の甚しきやと。然り、彼の意にして、若し『君は日下に立つ、同情に堪へず。予の傘の大なるか、或は君と深交あるならんには、予の傘下に、君を入るゝを悅びとせん。されど今君を蔽ふ能ばざるが故に、予も亦た君と苦を分つ』と云ふに非ざれば、彼の為す所は実に愚なり。此れと等しく、否、此れにも勝りて笑ふべき些細の行為尠しとせず、而して此等は単に動止習俗たるには非らずして、却つて他人の快感を察する思慮ある感情の所謂『体』せられたるものなり。我国礼法の儀文の生じたる習慣中には、又た一事の酷だ笑ふべきものあり。

書き下し

されど、はなはだ笑ふべき行為と目すべきは、彼れの語る時、傘を傾けて、又た炎々たる日光の直射する所となるを見ん、何ぞ愚の甚しきやと。然り、彼の意にして、もし『君は日下に立つ、同情に堪へず。予の傘の大なるか、或は君と深交あるならんには、予の傘下に君を入るるを悦びとせん。されど今、君を蔽ふ能はざるが故に、予も亦た君と苦を分つ』と云ふに非ざれば、彼の為す所は実に愚なり。此れと等しく、否、此れにも勝りて笑ふべき些細の行為尠しとせず。而して此等は単に動止習俗たるには非らずして、却つて他人の快感を察する、思慮ある感情の所謂『体』せられたるものなり。我国礼法の儀文の生じたる習慣中には、又た一事のはなはだ笑ふべきものあり。

現代語訳

しかし、ひどく笑うべき行為と見なされるのは、その人が話すとき、傘を傾けて自分もまた炎天の日光に直接さらされるのを見て、何と愚かなことか、と思われることです。そのとおり、彼の意図が、もし、あなたは日なたに立っている、見るに忍びない。私の傘が大きいか、あるいはあなたと深い交わりがあるなら、私の傘の下にあなたを入れることを喜びとしましょう。しかし今はあなたを覆うことができないので、私もまたあなたと苦しみを分かちます、と言うのでなければ、彼のすることは実に愚かです。これと同じ、いやこれ以上に笑うべき些細な行為は少なくありません。そしてこれらは単なる動作の習慣ではなく、むしろ他人の快さを察する、思慮ある感情が体として現れたものなのです。わが国の礼法の作法が生まれた習慣の中には、もう一つひどく笑うべきものがあります。

解説

謎かけの答えです。傘を傾けて自分も日に当たる。傘に入れてあげられないなら、せめて同じ苦しみを分かつ。外から見れば無意味な所作が、言葉にすればこれだけの内容を持っている。作法とは、言葉にすると長くなる気持ちを一動作に畳んだものだという説明です。思慮ある感情が体になる、という表現が的確で、礼を身体化された思いやりとして捉えています。

この章句が説くこと

共苦所作思いやり体現

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