武士道 / 第四章 勇・敢爲堅忍の精神・謙信が信玄に塩を送る
其志をも感ぜずして、一矢に射落さんこそ無骨なれと云ひけり。アントニー及びオクタビアスの二人の、フイリピの野にブルタスを僵して、嗟嘆働哭したるが、如きは此れ實に勇士の常情なり。上杉謙信の、武田信玄と兵を構ふること十四年、怨恨甚だ深し。然るに信玄病んで死せりと聞くや、謙信は箸を投じて長歎したりと云ふ。又た謙信の信玄に鹽を遺りたるは、武邊の美談なりとして傳へらる信玄の領地甲信二國は海に濱せず、鹽を東海より買ふ。然るに北條氏陰かに其鹽を閉ぢて、甲信に送るを禁じたるより、甲信の民大いに困み、一種の兵糧攻に異ならざりき。上杉謙信之を聞き、書を信玄に寄せて日く、聞く北條氏、公を困むるに鹽を以てすと、此れ不勇不義の至なり。
新字:其志をも感ぜずして、一矢に射落さんこそ無骨なれと云ひけり。アントニー及びオクタビアスの二人の、フイリピの野にブルタスを僵して、嗟嘆働哭したるが、如きは此れ実に勇士の常情なり。上杉謙信の、武田信玄と兵を構ふること十四年、怨恨甚だ深し。然るに信玄病んで死せりと聞くや、謙信は箸を投じて長嘆したりと云ふ。又た謙信の信玄に塩を遺りたるは、武辺の美談なりとして伝へらる信玄の領地甲信二国は海に浜せず、塩を東海より買ふ。然るに北条氏陰かに其塩を閉ぢて、甲信に送るを禁じたるより、甲信の民大いに困み、一種の兵糧攻に異ならざりき。上杉謙信之を聞き、書を信玄に寄せて日く、聞く北条氏、公を困むるに塩を以てすと、此れ不勇不義の至なり。
書き下し
其志をも感ぜずして、一矢に射落さんこそ無骨なれと云ひけり。アントニー及びオクタビアスの二人の、フィリピの野にブルータスを僵して、嗟嘆働哭したるが如きは、此れ実に勇士の常情なり。上杉謙信の、武田信玄と兵を構ふること十四年、怨恨甚だ深し。然るに信玄病んで死せりと聞くや、謙信は箸を投じて長歎したりと云ふ。又た謙信の信玄に塩を遺りたるは、武辺の美談なりとして伝へらる。信玄の領地甲信二国は海に濱せず、塩を東海より買ふ。然るに北条氏ひそかに其塩を閉ぢて、甲信に送るを禁じたるより、甲信の民大いに困み、一種の兵糧攻に異ならざりき。上杉謙信之を聞き、書を信玄に寄せて曰く、聞く、北条氏、公を困むるに塩を以てすと、此れ不勇不義の至なり。
現代語訳
その志も感じないで、一矢で射落とすのは無骨なことだ、と言いました。アントニーとオクタヴィアヌスの二人が、フィリッピの野でブルータスを倒して嘆き泣いたようなことは、実に勇士の常の心情です。上杉謙信は武田信玄と十四年にわたって戦い、恨みは非常に深かった。ところが信玄が病で死んだと聞くと、謙信は箸を投げ捨てて長く嘆いたといいます。また謙信が信玄に塩を送ったことは、武辺の美談として伝えられています。信玄の領地である甲斐と信濃の二国は海に面しておらず、塩を東海から買っていました。ところが北条氏がひそかにその塩を止め、甲斐と信濃へ送ることを禁じたため、二国の民は大いに困り、一種の兵糧攻めと変わりありませんでした。上杉謙信はこれを聞き、書を信玄に寄せて言いました。聞くところでは北条氏が公を困らせるのに塩を用いているという。これは勇なく義なきことの極みである、と。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言仲尼曰く、「史に君子の道三つ有り。仕えずして上を敬い、祀らずして鬼を敬い、直にして能く人に曲がる」と。
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