武士道 / 第四章 勇・敢爲堅忍の精神・闇夜単身刑場に赴く
いたいけなる稚兒の遠國に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて書を講ずることあり、又た一月一二次、天滿宮の祭日をトし數輩の少年相會して、徹宵輪講をなすことありき。刑塲、墓地、化物屋敷の如き荒凉たる地に賽するも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや、少年の輩は、其悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるヽのみならず、而も闇夜單身刑塲に赴き、梟首に印して歸るべきを命ぜらるゝこともありき。今日の教育論者は斯の如く、スパルタ主義の極端に馳せて、神經を鍛冶するを畏怖し、之が爲に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛殘忍の性に陷らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものゝ如し。
新字:いたいけなる稚児の遠国に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて書を講ずることあり、又た一月一二次、天満宮の祭日をトし数輩の少年相会して、徹宵輪講をなすことありき。刑塲、墓地、化物屋敷の如き荒凉たる地に賽するも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや、少年の輩は、其悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるヽのみならず、而も闇夜単身刑塲に赴き、梟首に印して帰るべきを命ぜらるゝこともありき。今日の教育論者は斯の如く、スパルタ主義の極端に馳せて、神経を鍛冶するを畏怖し、之が為に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛残忍の性に陥らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものゝ如し。
書き下し
いたいけなる稚児の遠国に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて書を講ずることあり、又た一月一二次、天満宮の祭日を卜し、数輩の少年相会して、徹宵輪講をなすことありき。刑場、墓地、化物屋敷の如き荒涼たる地に賽するも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや、少年の輩は、其悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるるのみならず、而も闇夜単身刑場に赴き、梟首に印して帰るべきを命ぜらるることもありき。今日の教育論者は、かくの如く、スパルタ主義の極端に馳せて、神経を鍛冶するを畏怖し、之が為に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛残忍の性に陥らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものの如し。
現代語訳
まだ幼い子が遠国へ使いに出されることがあり、冬の日に朝食より先に裸足で師の家へ走って書物を講じることがあり、また月に一、二度、天満宮の祭日を選んで数人の少年が集まり、夜通し輪講をすることもありました。刑場、墓地、化け物屋敷のような荒涼とした場所に参ることも、少年たちの喜びとするところでした。ひどい場合には斬首の刑があると、少年たちはその惨たらしい光景を見ることを命じられるだけでなく、闇夜に一人で刑場へ行き、さらし首に印をつけて帰るよう命じられることもありました。今日の教育論者は、こうしてスパルタ主義の極端に走って神経を鍛えることを恐れ、そのために少年の情の厚い性質を若芽のうちに摘み取り、粗く残忍な性質に陥らせる弊害がないかを疑うようです。
解説
この章句が説くこと
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