武士道 / 第四章 勇・敢爲堅忍の精神・獅子その児を谷に擠す
千代萩の千松が、籠に寄り來る親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さしよる有樣に、小鳥を美む稚心にも、侍の子は、ひもじい目をするが忠義ぢやとの、健氣さ、いぢらしさの昔語は、人の普く記する所なり。加之ならず、勇敢壯烈なる御伽噺の類多く、小童は褞裸に在りて尙ほ之を樂めり。而して此等の物語の、旣に少年の精神を鼓舞し、之を養ふに、勇剛の性を以てせるのみならず、又た父母の嚴として子に臨み、殘忍酷薄に失するまでも、其膽力を試練し、『獅子其兒を千似の壑に擠す』の行に出づるものありき。侍の子は艱難の深淵に投ぜられ、又たシシフアスの苦役を命ぜらるゝことありき。時としては、小兒に與ふるに凍餓の苦を以てして、即ち堅忍不拔の精神を磨勵する所以なりとしたり。
新字:千代萩の千松が、籠に寄り来る親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さしよる有様に、小鳥を美む稚心にも、侍の子は、ひもじい目をするが忠義ぢやとの、健気さ、いぢらしさの昔語は、人の普く記する所なり。加之ならず、勇敢壮烈なる御伽噺の類多く、小童は褞裸に在りて尚ほ之を楽めり。而して此等の物語の、旣に少年の精神を鼓舞し、之を養ふに、勇剛の性を以てせるのみならず、又た父母の厳として子に臨み、残忍酷薄に失するまでも、其胆力を試練し、『獅子其児を千似の壑に擠す』の行に出づるものありき。侍の子は艱難の深淵に投ぜられ、又たシシフアスの苦役を命ぜらるゝことありき。時としては、小児に与ふるに凍餓の苦を以てして、即ち堅忍不抜の精神を磨勵する所以なりとしたり。
書き下し
千代萩の千松が、籠に寄り来る親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さしよる有様に、小鳥を羨む稚心にも、侍の子は、ひもじい目をするが忠義ぢやとの、健気さ、いじらしさの昔語は、人の普く記する所なり。しかのみならず、勇敢壮烈なる御伽噺の類多く、小童は襁褓に在りてなお之を楽めり。而して此等の物語の、既に少年の精神を鼓舞し、之を養ふに、勇剛の性を以てせるのみならず、又た父母の厳として子に臨み、残忍酷薄に失するまでも、其胆力を試練し、『獅子、其児を千仞の壑に擠す』の行に出づるものありき。侍の子は艱難の深淵に投ぜられ、又たシシフォスの苦役を命ぜらるることありき。時としては、小児に与ふるに凍餓の苦を以てして、即ち堅忍不抜の精神を磨励する所以なりとしたり。
現代語訳
千代萩の千松が、籠に寄ってくる親鳥が餌を食べさせると子雀が嘴を差し寄せる様子を見て、小鳥を羨む幼い心でも、侍の子は空腹をこらえるのが忠義なのだという、健気で痛ましい昔話は、人がみな知るところです。それだけでなく、勇敢で壮烈なおとぎ話が多く、子どもはおむつのうちからそれを楽しみました。そしてこれらの物語が少年の精神を鼓舞し、勇ましく剛い性質で養っただけでなく、父母も厳しく子に臨み、残忍に過ぎるほどまでその胆力を試し、獅子がその子を千尋の谷に落とすという行いに出る者もありました。侍の子は苦難の深い淵に投げ込まれ、シシュフォスのような苦役を命じられることもありました。ときには子どもに凍えと飢えの苦しみを与え、それが堅く忍んでたわまない精神を鍛える手立てだとしました。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・闇夜単身刑場に赴くいたいけなる稚児の遠国に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて書を講ずることあり、又た一月一二次、天満宮の祭日を卜し、数輩の少年相会して、徹宵輪講をなすことありき。刑場、墓地、化物屋敷の如き荒涼たる地に賽するも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや、少年の輩は、其悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるるのみならず、而も闇夜単身刑場に赴き、梟首に印して帰るべきを命ぜらるることもありき。今日の教育論者は、かくの如く、スパルタ主義の極端に馳せて、神経を鍛冶するを畏怖し、之が為に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛残忍の性に陥らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものの如し。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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葉隠・聞書第一武士の子供は育て様(よう)あるべき事なり。先づ幼稚(ようち)の時より勇気を勧め、仮初(かりそめ)にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病気(おくびょうぎ)これあるは一生の疵(きず)なり。親々(おやおや)不覚(ふかく)にして、雷鳴の時もおじ気を付け、暗がりなどには参らぬ様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを、申し聞かせ候は不覚の事なり。又幼少にて強く叱り候えば、臆病になるなり。又悪癖(わるくせ)染み入らぬ様にすべし。染み入りてよりは、意見しても直らぬなり。物言い、礼儀など、そろそろと気を付けさせ、欲義(よくぎ)など知らざる様に、その外育て様にて、大体の生い附きならば、よくなるべし。又夫婦(めおと)仲悪しき者の子は不孝なる由、尤も母親愚(おろ)かにして、鳥獣(ちょうじゅう)さえ生まれ落ちてより、見馴れ、聞き馴るる事に移るものなり。母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔屓(ひいき)をし、子と一味(いちみ)するゆえ、その子は父に不和(ふわ)になるなり。女の浅ましき心にて、行末(ゆくすえ)を頼りて、子と一味すると見えたり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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葉隠・聞書第十一男子の育て様、先づ勇気をすゝめ、幼稚(ようち)の時より親を主君に准(なぞら)へ、不断(ふだん)の時宜(じぎ)作法給(たま)ひ、口上(こうじょう)堪忍(かんにん)道歩(みちある)みなど迄、仕習(しならい)候様いたすべし。古老斯(か)くの如く致され候由。これも奉公の稽古にて候。無精(ぶしょう)に候時は叱り候て、一日も食をくはせ申さず候。女子は幼少より第一貞心(ていしん)を教へ、男と六尺間(ろくしゃくま)より内に居合(いあ)はせず、眼を見合はせず、手次(てつ)ぎに物を取らず、物見(ものみ)寺参りなど仕(つかまつ)らすまじく候。家内にてはきびしく申付け、難儀いたしたるが、在り附(つ)き候てより退屈これなく候。下人(げにん)の仕様は賞罰あるべくと申付け、見届(みとど)けなど不念(ぶねん)にては下人私(わたくし)を構へ、後には科(とが)になり候。入念すべき事なりと。