墨子 / 公輸
子墨子見王,曰:「今有人於此,舍其文軒,鄰有弊轝,而欲竊之;舍其錦繡,鄰有裋褐,而欲竊之;舍其粱肉,鄰有糠糟,而欲竊之。此為何若人?」王曰:「必為竊疾矣。」子墨子曰:「荆之地,方五千里,宋方五百里,此猶文軒之與敝轝也;荆有雲夢,犀兕麋鹿滿之,江漢之魚鼈黿鼉為天下富,宋所為無雉兎狐狸者也,此猶粱肉之與糠糟也;荆有長松、文梓、楩柟、豫章,宋無長木,此猶錦繡之與裋褐也。臣以三事之攻宋也,為與此同類,王曰:「善哉!雖然,公輸盤為我為雲梯,必取宋。」
新字:子墨子見王,曰:「今有人於此,舎其文軒,鄰有弊轝,而欲竊之;舎其錦繡,鄰有裋褐,而欲竊之;舎其粱肉,鄰有糠糟,而欲竊之。此為何若人?」王曰:「必為竊疾矣。」子墨子曰:「荆之地,方五千里,宋方五百里,此猶文軒之与敝轝也;荆有雲夢,犀兕麋鹿満之,江漢之魚鼈黿鼉為天下富,宋所為無雉兎狐狸者也,此猶粱肉之与糠糟也;荆有長松、文梓、楩柟、予章,宋無長木,此猶錦繡之与裋褐也。臣以三事之攻宋也,為与此同類,王曰:「善哉!雖然,公輸盤為我為雲梯,必取宋。」
書き下し
子墨子、王に見えて曰く、「今、人、此に有り。其の文軒を舍てて、鄰に弊轝有れば、之を竊まんと欲す。其の錦繡を舍てて、鄰に裋褐有れば、之を竊まんと欲す。其の粱肉を舍てて、鄰に糠糟有れば、之を竊まんと欲す。此れ何若き人と為す」と。王曰く、「必ず竊疾を為さん」と。子墨子曰く、「荆の地は方五千里、宋は方五百里なり。此れ猶お文軒の敝轝に於けるがごときなり。荆に雲夢有り、犀兕麋鹿之に滿つ。江漢の魚鼈黿鼉、天下の富を為す。宋は所謂る雉兎狐狸無き者なり。此れ猶お粱肉の糠糟に於けるがごときなり。荆に長松・文梓・楩柟・豫章有り。宋に長木無し。此れ猶お錦繡の裋褐に於けるがごときなり。臣、三事を以て之れ宋を攻むるは、此と類を同じくすと為す」と。王曰く、「善いかな。然りと雖も、公輸盤、我が為に雲梯を為れり。必ず宋を取らん」と。
現代語訳
墨子が王に会って言った。「いまここに人がいて、自分の飾り車を捨てて、隣に壊れた車があるとそれを盗もうとする。自分の錦の衣を捨てて、隣に粗末な短い服があるとそれを盗もうとする。自分の上等の穀物と肉を捨てて、隣に糠や酒粕があるとそれを盗もうとする。これはどういう人でしょうか」。王が言った。「きっと盗みの病だろう」。墨子が言った。「楚の土地は五千里四方、宋は五百里四方です。これは飾り車と壊れた車の関係です。楚には雲夢の沢があり、犀や鹿が満ちている。長江と漢水の魚や亀は天下一の豊かさです。宋には雉も兎も狐もいない。これは上等の穀物肉と糠粕の関係です。楚には長い松や美しい梓や楠や樟がある。宋には大きな木が無い。これは錦と粗末な服の関係です。私は、この三つの点で宋を攻めるのは、あの病と同じ類だと考えます」。王が言った。「よく分かった。しかし公輸盤が私のために雲梯を作ってしまった。必ず宋を取る」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」
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『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
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『墨子』非命上然り而して今、天下の士君子、或いは命を以て有りと為す。益た盖ぞ嘗て尚に聖王の事を觀ん。古者、桀の亂す所、湯、受けて之を治め、紂の亂す所、武王、受けて之を治む。此の世、未だ易わらず、民、未だ渝らざるに、桀紂に於いては則ち天下亂れ、湯武に在りては則ち天下治まる。豈に命有りと謂う可けんや。
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孫子・始計篇故に之を校ぶるに七計を以てして其の情を索む。曰く、主孰れか道有る、将孰れか能有る、天地孰れか得たる、法令孰れか行わる、兵衆孰れか強き、士卒孰れか練れたる、賞罰孰れか明らかなる、と。吾此を以て勝負を知る。
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『墨子』兼愛中然り而して今、天下の士君子曰く、然り、乃ち兼の若きは則ち善し。然りと雖も、行う可からざるの物なり。譬えば泰山を挈げて河濟を越ゆるが若し、と。子墨子言う、是れ其の譬えに非ざるなり。夫れ泰山を挈げて河濟を越ゆるは、勇健にして力有りと謂う可し。古より今に及ぶまで、未だ能く之を行う者有らざるなり。况んや兼ねて相い愛し、交ごも相い利するに乎いてをや。則ち此と異なれり。古者、聖王、之を行えり。何を以て其の然るを知るや。
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『墨子』三辯程繁、子墨子に問いて曰く、「『聖王は樂を為さず』と。昔、諸侯は聴治に倦めば、鍾鼔の樂に息い、士大夫は聴治に倦めば、竽瑟の樂に息い、農夫は春に耕し夏に耘り、秋に斂め冬に蔵むれば、聆缶の樂に息う。今、夫子は『聖王は樂を為さず』と曰う。此れ之を譬うるに猶お馬駕して稅かず、弓張りて弛めざるがごとし。乃ち血氣有る者の至る能わざる所に非ざる無からんや」と。子墨子曰く、「昔者、堯舜に《第期》なる者有り、且つ以て禮と為し、且つ以て樂と為す。湯、桀を大水に放ち、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。自ら樂を作り、命じて《九招》と曰う。武王、殷に勝ち紂を殺し、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。先王の樂に因り、又た自ら樂を作り、命じて《象》と曰う。周の成王は先王の樂に因り、命じて《騶虞》と曰う。周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に其の樂の逾いよ繁き者は、其の治、逾いよ寡し。此れより之を觀れば、樂は天下を治むる所以に非ざるなり」と。