牧民忠告 / 閑居
古人以休官致政,為釋重負而脫羈囚,竊嘗思之,誠有是理。方其仕也,嚴出入而慎起居,一嚬一笑,亦不敢以輕假人。蓋一身而為眾師表,少逾規矩,謗議四聞譬之特行於高屋之上,自頂至踵,在下者無不見之也。一朝代至,完身而去,詎止如釋重負脫羈而已哉。嘗見仕而休居者,往往不喜,或命子侄,或托朋友,市奸構訟,靡政不及,小有所違,則曰:「去官同見任。」使新上者,法格令馳,拒納難容,甚而撓沮排抵,為狀百端。細民無知,亦從而靡。設使己政之初,人以是薦擾,當若何?推心體之,必自知其可惡矣。
新字:古人以休官致政,為釈重負而脫羈囚,竊嘗思之,誠有是理。方其仕也,厳出入而慎起居,一嚬一笑,亦不敢以軽仮人。蓋一身而為眾師表,少逾規矩,謗議四聞譬之特行於高屋之上,自頂至踵,在下者無不見之也。一朝代至,完身而去,詎止如釈重負脫羈而已哉。嘗見仕而休居者,往往不喜,或命子侄,或托朋友,市奸構訟,靡政不及,小有所違,則曰:「去官同見任。」使新上者,法格令馳,拒納難容,甚而撓沮排抵,為状百端。細民無知,亦従而靡。設使己政之初,人以是薦擾,当若何?推心体之,必自知其可悪矣。
書き下し
古人、官を休(や)め政を致(かえ)すを以て、重負を釈(と)き羈囚(きしゅう)を脱するが為(ため)と為す。竊(ひそ)かに嘗(かつ)て之を思うに、誠に是(こ)の理有り。方(まさ)に其の仕うるや、出入を厳にし起居を慎み、一嚬一笑(いっぴんいっしょう)も、亦た敢えて軽々しく人に仮(か)さず。蓋し一身にして衆の師表(しひょう)と為れば、少しく規矩(きく)を逾(こ)ゆれば、謗議(ぼうぎ)四方に聞こゆること、之を高屋の上に特行(とっこう)するに譬(たと)う。頂(いただき)自り踵(きびす)に至るまで、下に在る者、之を見ざる無きなり。一朝代(かわ)り至らば、身を完(まっと)うして去る、詎(なん)ぞ止(た)だ重負を釈き羈を脱するが如きのみならんや。嘗て仕えて休居する者を見るに、往往にして喜ばず、或いは子姪(してつ)に命じ、或いは朋友に托し、奸を市(な)し訟(うった)えを構え、政に靡(なび)かざる無く、小しく違う所有れば、則ち曰く、「官を去るも見任(けんにん)に同じ」と。新たに上(のぼ)る者をして、法は格(さまた)げられ令は馳(は)せ、拒納(きょのう)容れ難く、甚だしきは撓沮排抵(とうそはいてい)し、状を為すこと百端なり。細民は知る無く、亦た従いて靡(なび)く。設(も)し己が政の初めに、人以て是(か)くの如く薦擾(せんじょう)せしめば、当(まさ)に若何(いかん)せん。心を推して之を体すれば、必ず自ら其の悪むべきを知らん。
現代語訳
昔の人は、官を辞め政務を返上することを、重い荷を下ろし束縛から脱することだとした。私がひそかに考えてみると、確かにその理屈は正しい。在職中は出入りを厳しく律し、起居を慎み、一つの顔つき一つの笑顔さえも軽々しく人に見せることはない。一身にして民衆の手本となる以上、少しでも規範を踏み外せば、非難が四方に広まる。それはちょうど高い屋根の上を一人歩くようなもので、頭から足先まで、下にいる者に見えないところはないのと同じである。ある日交代の時が来て、身を全うして去るなら、それはただ重荷を下ろし束縛を脱するというだけのものではないはずだ。しかし、かつて官を辞めて隠居する者を見ると、多くはそれで満足せず、子や甥に命じたり友人に頼んだりして、悪事を働き訴訟を仕組み、政務に口出ししないことがなく、少しでも意に沿わないことがあると、「官を辞めても現職と同じだ」と言う。新任者に対しては、法令を妨げ、正当な要求すら受け入れず、甚だしくは妨害し排斥し、あらゆる手段で邪魔をする。無知な民衆もそれに引きずられてしまう。もし自分が着任した当初に、人からこのように邪魔をされたらどう思うだろうか。自分の身に置き換えて考えれば、それがどれほど嫌なことか、必ず自分でわかるはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
牧民忠告・閑居進みては則ち安居して以て其の志を行い、退きては則ち安居して以て其の未だ能わざる所を修む。則ち是れ進むも亦た為す有り、退くも亦た為す有るなり。近世の士大夫は、惟だ進むに狃(な)れ、退けば則ち昏然(こんぜん)として猷為(ゆうい)する所無く、甚だしきは愧(は)じを茹(くら)い慚(はじ)を懐(いだ)き、蹙縮(しゅくしゅく)して敢えて一たびも戸を出でず。夫れ軒冤(けんえん)は、古人以て儻來(とうらい)の物と為すなり。其の有るも何の加うる所ぞ、其の無きも何の損する所ぞ。良貴(りょうき)の我に在るを思わず、惟だ物に仮(か)りて以て重軽と為さば、則ち其の人品の卑下なること、論ぜざれども知るべし。
-
牧民忠告・受代其の政に在るや、民は徳沢を被(こうむ)り、訟(うった)え清く盗み息(や)み、豪強は消沮(しょうそ)し、同僚は悦服す。則ち之を去るの日、車を弊(やぶ)り馬を贏(つか)らすと雖も、行嚢(こうのう)蕭然(しょうぜん)たるも、其の楽しみは万金を獲、千駟(せんし)を受くる者にも翅(ただ)ならざる有り。前輩、外官より執政に至る者、人を済(すく)うの功を論ずれば、皆自ら以て県を為すに及ばざること遠甚(えんじん)なりと為す。嗚呼、志の物に及ぶ有る者は、其れ州県を簿(うす)んじて為すに屑(いさぎよ)しとせざること勿かれ。
-
牧民忠告・閑居士の仕うるや、其の任有れば斯(ここ)に其の責有り、其の責有れば斯に其の憂有り。一県の責を任ずる者は則ち一県を憂え、一州の責を任ずる者は一州を憂え、一路の責、天下の責を任ずる者は、則ち一路と天下とを以て憂う。蓋し任重ければ則ち責重く、責重ければ則ち憂深し。古人の三揖(さんゆう)して進み、一揖して退く所以の者は、以(ゆえ)有るなり。堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文(ぶん)・武(ぶ)の君と為り、臯(こう)・夔(き)・稷(しょく)・契(せつ)・伊(い)・傅(ふ)・周(しゅう)・召(しょう)の臣と為ると雖も、因(よ)りて未だ嘗て其の責を憂えずして以て楽と為さざるはあらず。彼の位を以て楽と為す者は、茍(いやしく)も其の位にある者なり。嗚呼、大聖大賢は、宜(よろ)しく其の任ずる所に難(かた)からざるべきに、猶お且つ自ら暇逸(かいつ)せざること此くの如し。吾が才は遠く聖賢に逮(およ)ばず、顧(かえ)って其の位を楽しみて其の去るを重んずべけんや。
-
牧民忠告・上任官を治むるは家を治むるが如し、古人嘗(かつ)て是の訓(おし)え有り。蓋し一家の事、緩急巨細と無く、皆当に知るべき所なり。知らざる所有れば、則ち治めざる所有るなり。況んや民を牧するの長は、百責の叢(あつ)まる所、庠序(しょうじょ)の若き、伝置(でんち)の若き、倉廥(そうかい)の若き、囹圄(れいご)の若き、溝洫(こうきょく)の若き、橋障(きょうしょう)の若き、凡そ司(つかさど)る所の者甚だ衆(おお)し。時を相(み)力を度(はか)り、弊るる者は之を葺(ふ)き、汚るる者は之を潔くし、堙(うず)もるる者は之を疏(とお)し、缺くる者は之を補い、旧(もと)より無き所の者は之を経営す。若し曰わく、「彼の修めざる、何ぞ我が事に預(あずか)らん、瞬夕代(か)わり去らば、自ら苦しむこと奚(なん)為れぞ」と。此の念一たび萌さば、則ち庶務皆墮(おこた)らん。前輩謂う、「公家の務め、一毫も其の心を尽くさざれば、即ち苟禄(こうろく)と為り、罪を天に獲(う)」と。
-
牧民忠告・拜命普天率土(ふてんそっと)、生人窮まり無きなり、然れども国の寵霊(ちょうれい)を受けて民の司牧(しぼく)と為る者、能(よ)く幾何(いくばく)の人ぞ。既に命を受けて以て斯の民を牧すれば、而(しか)も公廉の心を守る能わざれば、是れ自ら愛せざるなり、寧(なん)ぞ世の誚(そし)る所と為らざらんや。況んや一身の微、享(う)くる所能く幾ばくぞ、厥(そ)の心溪壑(けいがく)にして、適(まさ)に以て自ら賊(そこな)う。一たび罪及べば、上は国恩を孤(そむ)き、中は親を辱めに貽(のこ)し、下は郷鄰朋友をして詬(はじ)を蒙り羞(はじ)を包ましむ、千金を任(にな)うと雖も、一夕縲紲(るいせつ)の苦しみを償うに足らず。其の已に敗るるを戚(うれ)うるよりは、曷(なん)ぞ未然を厳にするに若かんや。嗟(ああ)爾(なんじ)官有る者、宜しく深く戒むべき所なり。
-
牧民忠告・受代嘗(かつ)て世の交代する者を見るに、多く争う所有り、要(つと)めて皆旧官の広からざるの致す所なり。或いは其の居に居りて徒(うつ)らず、或いは其の田を専らにして分かたず、或いは其の公物を匿(かく)して尽くは以て相授けず、新しき者をして不平を懐(いだ)きて訴うる所無からしむるは、甚だ士君子善後の道に非ざるなり。夫れ利の義と与(とも)に、勢い並び処(お)らず、義親しめば則ち利疎(うと)く、利近ければ則ち義遠し。況んや民の師帥(しすい)と為りて、専ら利を務むれば、其の怨みを聚(あつ)め侮りを納るること、市井の小人を視るにも若(し)かず。故に君子の政に従うや、寧(むし)ろ公にして貧しく、私にして富まず。寧ろ譲りて己を損すとも、競いて人を損せず。