牧民忠告 / 閑居
士之仕也,有其任斯有其責,有其責斯有其憂。任一縣之責者則憂一縣,任一州之責者憂一州,任一路之責、天下之責者,則以一路與天下而憂也。蓋任重則責重,責重則憂深。古人之所以三揖而進、一揖而退者,有以也。雖堯、舜、禹、湯、文、武之為君,臯、夔、稷、契、伊、傅、周、召之為臣,因未嘗不憂其責而以為樂也。彼以位為樂者,茍其位者也。嗚呼,大聖大賢,宜不難於其所任,猶且不自暇逸如此,吾才遠不逮聖賢,顧可樂其位而重其去也哉?
新字:士之仕也,有其任斯有其責,有其責斯有其憂。任一県之責者則憂一県,任一州之責者憂一州,任一路之責、天下之責者,則以一路与天下而憂也。蓋任重則責重,責重則憂深。古人之所以三揖而進、一揖而退者,有以也。雖堯、舜、禹、湯、文、武之為君,皋、夔、稷、契、伊、傅、周、召之為臣,因未嘗不憂其責而以為楽也。彼以位為楽者,苟其位者也。嗚呼,大聖大賢,宜不難於其所任,猶且不自暇逸如此,吾才遠不逮聖賢,顧可楽其位而重其去也哉?
書き下し
士の仕うるや、其の任有れば斯(ここ)に其の責有り、其の責有れば斯に其の憂有り。一県の責を任ずる者は則ち一県を憂え、一州の責を任ずる者は一州を憂え、一路の責、天下の責を任ずる者は、則ち一路と天下とを以て憂う。蓋し任重ければ則ち責重く、責重ければ則ち憂深し。古人の三揖(さんゆう)して進み、一揖して退く所以の者は、以(ゆえ)有るなり。堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)・文(ぶん)・武(ぶ)の君と為り、臯(こう)・夔(き)・稷(しょく)・契(せつ)・伊(い)・傅(ふ)・周(しゅう)・召(しょう)の臣と為ると雖も、因(よ)りて未だ嘗て其の責を憂えずして以て楽と為さざるはあらず。彼の位を以て楽と為す者は、茍(いやしく)も其の位にある者なり。嗚呼、大聖大賢は、宜(よろ)しく其の任ずる所に難(かた)からざるべきに、猶お且つ自ら暇逸(かいつ)せざること此くの如し。吾が才は遠く聖賢に逮(およ)ばず、顧(かえ)って其の位を楽しみて其の去るを重んずべけんや。
現代語訳
士が仕えるとき、その任務があればこそ責任があり、責任があればこそ憂いがある。一県の責任を任される者は一県を憂え、一州の責任を任される者は一州を憂え、一路の責任、天下の責任を任される者は、一路と天下とをもって憂える。任務が重ければ責任も重く、責任が重ければ憂いも深い。古人が三度会釈して進み、一度会釈して退いたのには理由がある。堯・舜・禹・湯王・文王・武王のような君主も、臯陶・夔・稷・契・伊尹・傅説・周公・召公のような臣下も、その責任を憂えることをそのまま楽しみとしなかったことはない。地位そのものを楽しみとする者は、ただその地位にとどまろうとするだけの者である。ああ、大聖大賢でさえ、自分の任務にそれほど困難を感じないはずなのに、それでもこれほど怠けず励んでいた。私の才は遠く聖賢に及ばないのに、むしろ地位を楽しんでその地位を去ることを重く見てよいだろうか。
解説

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