牧民忠告 / 救荒
凡有祈禱,不必勞眾。齋居三日,以思己愆;民有冤歟?己有贓歟?政事有未善歟?報國之心有未誠歟?無則如儀行事,有則必俟追改而後禱焉。夫動天地,感鬼神,非至誠不可;纖毫之慝未除,則彼此邈然矣。
新字:凡有祈禱,不必労眾。斎居三日,以思己愆;民有冤歟?己有贓歟?政事有未善歟?報国之心有未誠歟?無則如儀行事,有則必俟追改而後禱焉。夫動天地,感鬼神,非至誠不可;繊毫之慝未除,則彼此邈然矣。
書き下し
凡そ祈祷有るは、必ずしも衆を労せず。斎居(さいきょ)すること三日、以て己の愆(あやまち)を思う。民に冤(えん)有りや?己に贓(ぞう)有りや?政事に未だ善からざる有りや?報国の心に未だ誠ならざる有りや?無くば則ち儀の如く事を行い、有らば則ち必ず追改を俟ちて而る後に禱(いの)る。夫れ天地を動かし、鬼神を感ぜしむるは、至誠に非ざれば不可なり。繊毫(せんごう)の慝(とく)未だ除かざれば、則ち彼我邈然(ばくぜん)たり。
現代語訳
そもそも祈祷を行うにあたっては、必ずしも大勢の人を動員する必要はない。三日間身を慎んで過ごし、自分の過ちを省みる。民に冤罪はないか、自分に不正な蓄財はないか、政治に至らぬ点はないか、国に報いる心に誠実さの欠けるところはないか。何もなければ通常の儀式どおりに行い、何かあれば必ずそれを改め正した後に祈祷すべきである。そもそも天地を動かし、神々を感応させるのは、至誠がなければ不可能である。ごくわずかな悪であっても取り除かれていなければ、自分と天地・神々との隔たりは大きいままなのである。
解説
本条は、祈祷という宗教的儀礼を単なる形式行為に終わらせず、まず自らの行いを省みることを先決とすべきだと説く。冤罪の有無、不正蓄財の有無、政治の不備、国への忠誠心の欠如という四つの自己点検項目を挙げ、問題があればまずそれを正すことが祈りに先立つとする発想は、外面的な儀式よりも内面の誠実さを重んじる態度である。至誠がなければ天地も神々も動かないという主張は、結果を求める前に自らを正すべきだという普遍的な教訓に通じる。現代の組織においても、成果や好転を願うなら、まず自らの不正や怠慢、対応の不備を点検し是正することが先決であり、外形的な対策や願掛けだけでは物事は動かないという示唆を持つ。
この章句が説くこと
祈禱内省至誠自己点検
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