史記 / 老子韓非列伝
非見韓之削弱、數以書諫韓王、韓王不能用。於是韓非疾治國不務修明其法制、執勢以御其臣下、富國彊兵而以求人任賢、反舉浮淫之蠹而加之於功實之上。以為儒者用文亂法、而俠者以武犯禁。寬則寵名譽之人、急則用介冑之士。今者所養非所用、所用非所養。悲廉直不容於邪枉之臣、觀往者得失之變、故作孤憤・五蠹・內外儲・說林・說難十餘萬言。
新字:非見韓之削弱、数以書諫韓王、韓王不能用。於是韓非疾治国不務修明其法制、執勢以御其臣下、富国彊兵而以求人任賢、反舉浮淫之蠹而加之於功実之上。以為儒者用文乱法、而俠者以武犯禁。寛則寵名誉之人、急則用介冑之士。今者所養非所用、所用非所養。悲廉直不容於邪枉之臣、観往者得失之変、故作孤憤・五蠹・内外儲・説林・説難十余万言。
書き下し
非、韓の削弱を見、数々書を以て韓王を諫むるも、韓王用ふる能はず。是に於いて韓非、国を治むるに其の法制を修明し勢いを執りて以て其の臣下を御し、国を富まし兵を彊くして以て人を求め賢に任ずるを務めず、反って浮淫の蠹を挙げて之を功実の上に加ふるを疾む。以為らく、儒者は文を用ゐて法を乱し、侠者は武を以て禁を犯す。寛なれば則ち名誉の人を寵し、急なれば則ち介冑の士を用ふ。今は養ふ所は用ふる所に非ず、用ふる所は養ふ所に非ず、と。廉直の邪枉の臣に容れられざるを悲しみ、往者の得失の変を観る。故に孤憤・五蠹・内外儲・説林・説難、十余万言を作る。
現代語訳
韓非は祖国・韓が次第に衰えていくのを見て、何度も書面で韓王を諫めたが、韓王は用いることができなかった。そこで韓非は憤った。国を治めるのに、法制度を明確に整え、権勢を握って臣下を統御し、富国強兵を進めて有能な人材を登用する――そうした本筋に努めず、逆に軽薄で害虫のような連中を、実際に功績を挙げた者より上に取り立てている、と。彼は考えた。儒者は言葉(学問)を振りかざして法を乱し、任侠の徒は武力で禁令を破る。平時には名声のある者をちやほやし、いざ危機になると武人を使う。今は、ふだん養っている者が実際に役立つ者ではなく、実際に使う者はふだん養っていない者だ、と。清廉実直な人物が、よこしまな臣下に受け入れられない現実を嘆き、過去の成功と失敗の変転を見つめて、「孤憤」「五蠹」「内外儲」「説林」「説難」など十万余語の書を著した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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牧民忠告・救荒民或いは火を失えば、則ち鼓を伐(う)ちて衆を集め、親(みずか)ら蒞(のぞ)みて以て之を救う。惻隠(そくいん)の心は、人の共に有する所なり。誠に能く鼓舞して以て其の気を作(おこ)さば、仇人(きゅうじん)と雖も亦将に焦頭爛額(しょうとうらんがく)して相患難に趨(おもむ)かんとす。
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説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
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牧民忠告・救荒故事(こじ):蝗(いなご)境内に生ずれば、必ず馳(は)せて上に聞(もう)す、少しく頃刻(けいこく)を淹(とど)むれば、坐する所軽からず。然れども民に長たる者は亦須(すべか)らく其の小大多寡を相(み)て、害を為すの軽重を為すべし。若し遽然(きょぜん)として以て聞せば、其の上に蒞(のぞ)む者群集族赴(ぞくふ)し、供張征索(きょうちょうせいさく)し、一境騒然として、其の害反って蝗より甚だしき者あり。其れ或いは勢い微にして種稚なれば、則ち当に亟(すみ)やかに衆力を率いて以て之を図るべし、必ずしも細虞(さいぐ)に因りて大難を民に来(きた)すべからざるなり。故に凡そ官に居るは、必ず先ず負荷(ふか)に敢えてして、而る後に以て為す有る可し。