牧民忠告 / 聽訟
近年司憲受詞訟,往往檄州郡官代聽之。代聽者不可承望風旨,邀寵一時,使人茹枉受刑,而靡恤陰理。
新字:近年司憲受詞訟,往往檄州郡官代聴之。代聴者不可承望風旨,邀寵一時,使人茹枉受刑,而靡恤陰理。
書き下し
近年司憲(しけん)詞訟(ししょう)を受くるに、往往にして州郡(しゅうぐん)の官を檄(げき)して之に代わりて聴かしむ。代わりて聴く者は、風旨(ふうし)を承望(しょうぼう)して寵(ちょう)を一時に邀(むか)え、人をして枉(まが)りを茹(く)らい刑を受けしめて、陰理(いんり)を恤(うれ)えざる可(べ)からず。
現代語訳
近年、司法を司る官庁が訴訟を受け付けると、しばしば州や郡の役人に命令書を発してその審理を代行させている。代行して裁く者は、上司の意向におもねって一時の寵愛を得ようとし、人に無実の罪を負わせて刑罰を受けさせ、その裏に隠れた真実を顧みないようなことがあってはならない。
解説
本条は、上級機関から審理を委任された代行者の倫理を説く。代行者は自らの判断ではなく上位者の意向を忖度し、目先の評価を得るために本来の正義を犠牲にする危険を常に抱えている。張養浩はその弊害を「風旨を承望し寵を邀える」と喝破し、隠れた真実(陰理)への配慮を欠かさぬよう戒める。現代の組織においても、上司の意向を忖度して形だけの成果を上げようとする姿勢は、現場の実態や関係者の正当な利益を犠牲にしかねない。権限を委任された者ほど、評価者の顔色ではなく事実そのものに向き合う独立した判断力が求められるという教訓である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
移聴代行審理忖度独立判断
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