牧民忠告 / 上任
諸執事參謁,不可默然無一言。第曰:「誤蒙國恩,托茲重寄,芒背汗顏,期與諸君滌慮洗心,以宣大化也。汝或餘違,國有常憲,非所敢私,諸君其慎之。」
新字:諸執事参謁,不可黙然無一言。第曰:「誤蒙国恩,托茲重寄,芒背汗顏,期与諸君滌慮洗心,以宣大化也。汝或余違,国有常憲,非所敢私,諸君其慎之。」
書き下し
諸執事の参謁(さんえつ)には、黙然として一言無かるべからず。第(ただ)曰わく、「誤りて国恩を蒙り、茲(こ)の重寄(ちょうき)を托(たく)せらる、背に芒(ぼう)し顔に汗す、諸君と慮(おもんぱか)りを滌(あら)い心を洗い、以て大化を宣べんことを期す。汝或いは違(たが)うこと余(あ)らば、国に常憲(じょうけん)有り、敢えて私する所に非ず、諸君其れ之を慎め。」と。
現代語訳
諸役人が着任の挨拶に来た際には、黙って一言も発しないというわけにはいかない。ただこう言えばよい。「思いがけず国の恩を蒙り、この重い任務を託された。背に芒(いばら)を負うように恐れ多く、顔に汗するほどである。諸君とともに雑念を洗い流し、心を清めて、この地に大いなる教化を広めたいと願っている。もし諸君の中に法に背く者があれば、国には常の法がある。私が勝手に取り計らうことではない。諸君はどうかそれを慎んでほしい。」
解説
この条は着任時に部下たちを前にして述べるべき第一声の例を具体的に示す。自身の謙虚さと責任の重さを述べつつ、共に善政を目指すことを呼びかけ、最後に法の存在を示して規律を保つという構成になっている。単なる形式的な挨拶ではなく、着任早々に組織の方向性と規律の基準を明確に示すことで、以後の統治の土台を作る意図が読み取れる。現代の組織においても、新任のリーダーが最初の挨拶で自らの姿勢と組織の規律の両方を示すことは、その後のマネジメントの前提を作る重要な機会だと言える。
この章句が説くこと
受謁挨拶常憲大化
関連する章句
-
牧民忠告・拜命命下るの日、則ち心を拊(う)ちて自ら省みる、何の勛閥(くんばつ)行能ありてか、茲の異数に膺(あた)る、と。苟(いやし)くも其の廩禄(りんろく)を要(もと)め、其の威権を仮(か)り、惟(ただ)己が私を済(な)し、報国を思う靡(な)くんば、天監(てんかん)伊(こ)れ邇(ちか)く、将に汝を容れざらんとす。夫れ人の直(ね)を受けて其の工(こう)を怠り、人の爵を儋(にな)いて其の事を曠(むな)しくせば、己は則ち逸するも、公道を如何(いかん)せん、百姓を如何せん。
-
牧民忠告・上任其の境に入るに比(およ)びて、民瘼(みんばく)の軽重、吏弊(りへい)の深浅、前官の良否、強宗の有無、控訴の人の多寡、皆須(すべから)く尽心して詢訪(じゅんぼう)すべきなり。至れば則ち遠く数舎(すうしゃ)に居り、之を掌る者を召し、其の詳を語らしめ、其の概を疏(の)べしめ、先に其の情を得、下車の日、参考して以て断ず。若(も)し素より備うる所無く、卒然(そつぜん)として部に至り、訟を聴くの際、百姓聚(あつ)まり観、一語乖張(かいちょう)せば、則ち必ず闔境(こうきょう)に笑いを貽(のこ)さん。況んや民心動き易く、尤も厥(そ)の初めに在り、初めに焉(これ)其の心を厭服(えんぷく)する無くんば、後為す有りと雖も、亦将(まさ)に奚(なん)ぞ信ぜんとするや。然らずんば、其の訟を受けて翼日(よくじつ)に之を理するも亦可なり。殆(ほとん)ど軽率に応答して、士民をして失望せしむべからざるなり。
-
牧民忠告・上任官を治むるは家を治むるが如し、古人嘗(かつ)て是の訓(おし)え有り。蓋し一家の事、緩急巨細と無く、皆当に知るべき所なり。知らざる所有れば、則ち治めざる所有るなり。況んや民を牧するの長は、百責の叢(あつ)まる所、庠序(しょうじょ)の若き、伝置(でんち)の若き、倉廥(そうかい)の若き、囹圄(れいご)の若き、溝洫(こうきょく)の若き、橋障(きょうしょう)の若き、凡そ司(つかさど)る所の者甚だ衆(おお)し。時を相(み)力を度(はか)り、弊るる者は之を葺(ふ)き、汚るる者は之を潔くし、堙(うず)もるる者は之を疏(とお)し、缺くる者は之を補い、旧(もと)より無き所の者は之を経営す。若し曰わく、「彼の修めざる、何ぞ我が事に預(あずか)らん、瞬夕代(か)わり去らば、自ら苦しむこと奚(なん)為れぞ」と。此の念一たび萌さば、則ち庶務皆墮(おこた)らん。前輩謂う、「公家の務め、一毫も其の心を尽くさざれば、即ち苟禄(こうろく)と為り、罪を天に獲(う)」と。
-
牧民忠告・受代代(か)わる者来たると聞かば、則ち居る所を避けて郊(こう)に之を迎え、其の己に代わるを以(もっ)て之を疾(にく)み、之を簿(うす)んじ、旧政を以て之に告げざるべからず。大抵天下の善は、彼も猶お此に在り。人に善を為すを勧むるは、即ち己の善を為すなり。詎(なん)ぞ惟(た)だ己の善を為すのみを許して、他人の善を為すを願わざるべけんや。
-
牧民忠告・上任故事に、牧民官既に上(のぼ)らば、必ず境内当(まさ)に祀るべき所の神に告げ、宜しく賄(まかない)せざるを以て自ら誓いと為すべし、庶(こいねが)わくは其の善に遷るの心を堅くせんことを。爾後(じご)転移せんと欲すと雖も、亦必ず畏るる所有りて敢えてせず。
-
牧民忠告・拜命普天率土(ふてんそっと)、生人窮まり無きなり、然れども国の寵霊(ちょうれい)を受けて民の司牧(しぼく)と為る者、能(よ)く幾何(いくばく)の人ぞ。既に命を受けて以て斯の民を牧すれば、而(しか)も公廉の心を守る能わざれば、是れ自ら愛せざるなり、寧(なん)ぞ世の誚(そし)る所と為らざらんや。況んや一身の微、享(う)くる所能く幾ばくぞ、厥(そ)の心溪壑(けいがく)にして、適(まさ)に以て自ら賊(そこな)う。一たび罪及べば、上は国恩を孤(そむ)き、中は親を辱めに貽(のこ)し、下は郷鄰朋友をして詬(はじ)を蒙り羞(はじ)を包ましむ、千金を任(にな)うと雖も、一夕縲紲(るいせつ)の苦しみを償うに足らず。其の已に敗るるを戚(うれ)うるよりは、曷(なん)ぞ未然を厳にするに若かんや。嗟(ああ)爾(なんじ)官有る者、宜しく深く戒むべき所なり。