牧民忠告 / 上任
比入其境,民瘼輕重,吏弊深淺,前官良否,強宗有無,控訴之人多與寡,皆須盡心詢訪也。至則遠居數舍,召掌之者,語其詳,疏其概,先得其情,下車之日,參考以斷。若素無所備,卒然至部,聽訟之際,百姓聚觀,一語乖張,則必貽笑闔境。況民心易動,尤在厥初,初焉無以厭服其心,後雖有為,亦將奚信。不然,受其訟而翼日理之亦可。殆不宜輕率應答,使士民失望也。
新字:比入其境,民瘼軽重,吏弊深浅,前官良否,強宗有無,控訴之人多与寡,皆須尽心詢訪也。至則遠居数舎,召掌之者,語其詳,疏其概,先得其情,下車之日,参考以断。若素無所備,卒然至部,聴訟之際,百姓聚観,一語乖張,則必貽笑闔境。況民心易動,尤在厥初,初焉無以厭服其心,後雖有為,亦将奚信。不然,受其訟而翼日理之亦可。殆不宜軽率応答,使士民失望也。
書き下し
其の境に入るに比(およ)びて、民瘼(みんばく)の軽重、吏弊(りへい)の深浅、前官の良否、強宗の有無、控訴の人の多寡、皆須(すべから)く尽心して詢訪(じゅんぼう)すべきなり。至れば則ち遠く数舎(すうしゃ)に居り、之を掌る者を召し、其の詳を語らしめ、其の概を疏(の)べしめ、先に其の情を得、下車の日、参考して以て断ず。若(も)し素より備うる所無く、卒然(そつぜん)として部に至り、訟を聴くの際、百姓聚(あつ)まり観、一語乖張(かいちょう)せば、則ち必ず闔境(こうきょう)に笑いを貽(のこ)さん。況んや民心動き易く、尤も厥(そ)の初めに在り、初めに焉(これ)其の心を厭服(えんぷく)する無くんば、後為す有りと雖も、亦将(まさ)に奚(なん)ぞ信ぜんとするや。然らずんば、其の訟を受けて翼日(よくじつ)に之を理するも亦可なり。殆(ほとん)ど軽率に応答して、士民をして失望せしむべからざるなり。
現代語訳
その土地に入るにあたっては、民の苦しみの軽重、役人の弊害の深さ、前任の長官の良し悪し、有力な一族の有無、訴訟を起こす人の多寡について、すべて心を尽くして調べ尋ねておくべきである。到着する前は、まだ遠く数十里離れたところに滞在し、事情に通じた者を呼び寄せて、詳しく語らせ、概略を述べさせ、あらかじめその実情をつかんでおき、正式に着任した日には、それを参考にして判断を下す。もし前もって何も準備をせず、いきなり任地に着き、訴訟を裁く際に、民衆が集まって見ている中で一言でも食い違いがあれば、必ず領内すべてに笑いものにされてしまう。まして民の心は動きやすく、特に最初が肝心であり、最初にその心を十分に納得させられなければ、後でどれほど善政を行っても、もはや信用されないだろう。そうでなければ、訴えを受けても翌日にそれを処理するのでもよい。決して軽率に即答して、役人や民を失望させてはならない。
解説
この章句が説くこと
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牧民忠告・上任諸執事の参謁(さんえつ)には、黙然として一言無かるべからず。第(ただ)曰わく、「誤りて国恩を蒙り、茲(こ)の重寄(ちょうき)を托(たく)せらる、背に芒(ぼう)し顔に汗す、諸君と慮(おもんぱか)りを滌(あら)い心を洗い、以て大化を宣べんことを期す。汝或いは違(たが)うこと余(あ)らば、国に常憲(じょうけん)有り、敢えて私する所に非ず、諸君其れ之を慎め。」と。
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牧民忠告・拜命命下るの日、則ち心を拊(う)ちて自ら省みる、何の勛閥(くんばつ)行能ありてか、茲の異数に膺(あた)る、と。苟(いやし)くも其の廩禄(りんろく)を要(もと)め、其の威権を仮(か)り、惟(ただ)己が私を済(な)し、報国を思う靡(な)くんば、天監(てんかん)伊(こ)れ邇(ちか)く、将に汝を容れざらんとす。夫れ人の直(ね)を受けて其の工(こう)を怠り、人の爵を儋(にな)いて其の事を曠(むな)しくせば、己は則ち逸するも、公道を如何(いかん)せん、百姓を如何せん。
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牧民忠告・上任官を治むるは家を治むるが如し、古人嘗(かつ)て是の訓(おし)え有り。蓋し一家の事、緩急巨細と無く、皆当に知るべき所なり。知らざる所有れば、則ち治めざる所有るなり。況んや民を牧するの長は、百責の叢(あつ)まる所、庠序(しょうじょ)の若き、伝置(でんち)の若き、倉廥(そうかい)の若き、囹圄(れいご)の若き、溝洫(こうきょく)の若き、橋障(きょうしょう)の若き、凡そ司(つかさど)る所の者甚だ衆(おお)し。時を相(み)力を度(はか)り、弊るる者は之を葺(ふ)き、汚るる者は之を潔くし、堙(うず)もるる者は之を疏(とお)し、缺くる者は之を補い、旧(もと)より無き所の者は之を経営す。若し曰わく、「彼の修めざる、何ぞ我が事に預(あずか)らん、瞬夕代(か)わり去らば、自ら苦しむこと奚(なん)為れぞ」と。此の念一たび萌さば、則ち庶務皆墮(おこた)らん。前輩謂う、「公家の務め、一毫も其の心を尽くさざれば、即ち苟禄(こうろく)と為り、罪を天に獲(う)」と。
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牧民忠告・拜命普天率土(ふてんそっと)、生人窮まり無きなり、然れども国の寵霊(ちょうれい)を受けて民の司牧(しぼく)と為る者、能(よ)く幾何(いくばく)の人ぞ。既に命を受けて以て斯の民を牧すれば、而(しか)も公廉の心を守る能わざれば、是れ自ら愛せざるなり、寧(なん)ぞ世の誚(そし)る所と為らざらんや。況んや一身の微、享(う)くる所能く幾ばくぞ、厥(そ)の心溪壑(けいがく)にして、適(まさ)に以て自ら賊(そこな)う。一たび罪及べば、上は国恩を孤(そむ)き、中は親を辱めに貽(のこ)し、下は郷鄰朋友をして詬(はじ)を蒙り羞(はじ)を包ましむ、千金を任(にな)うと雖も、一夕縲紲(るいせつ)の苦しみを償うに足らず。其の已に敗るるを戚(うれ)うるよりは、曷(なん)ぞ未然を厳にするに若かんや。嗟(ああ)爾(なんじ)官有る者、宜しく深く戒むべき所なり。
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風憲忠告・詢訪苐三今政を為す者、往往にして先入の言を以て主と為すは、彼一偏に狃(な)れ徇(したが)うに非ず、蓋し上下の情に通ぜざるに由るが故なり。故に其の情に通ずるは、悉心詢訪(じゅんぽう)するに如くは莫し。小にしては一県一州、大にしては一郡一国、吏孰(いず)れか貪邪、官孰れか廉正、何事か衆を病ましめ、何政か民を利するか、豪横の有無、風俗の厚薄、既にその凡(あらまし)を得て、他日詳らかに綜覈(そうかく)を加え、復た験(あか)すに事を以てせば、其れ孰か隠るるを得んや。苟しくも廉ならば、即ちこれを優しみ、これを礼貌し、これを薦挙せば、則ち善なる者勧む。苟しくも貪ならば、極品の貴と雖も、即ちこれを蔑(なみ)し、これを威拒し、これを紏劾せば、則ち悪を為す者懲む。推して士を待ち吏を遇するに至るも、亦然らざるは莫し。大抵一道の任は、猶お一家の務のごとし。善く家を為す者は、その子弟族属、下は奴隷に逮(およ)ぶまで、その情性の良否、皆当に知るべき所なり。一たび或いは及ばざれば、則ち将に甘んじて弄せらるる所と為りて悟らず、久しければ必ず是非顛倒し、佞を以て忠と為し、貪を以て廉と為し、無能を以て有能と為すに致り、政令行われずして紀綱替(すた)らん。前輩云う有り、「宰相為ること難からず、一心正しく、両眼眀らかならば足れり」と。烏呼、彼の風憲を長たる者、其の責任の重き、亦豈に夫の宰相に下らんや。之を若何ぞ前輩の言を以て法と為さざる。
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牧民忠告・御下治を為すの道、其の要は心を省(はぶ)くに如(し)くは莫し。心省けば則ち事省け、事省けば則ち民安し、民安ければ則ち吏資(と)る所無し。一(ひと)たび或いは紛然たれば、上下胥(みな)其の擾(みだ)れに罹(かか)る。然れども事も亦(また)必ず省く能わざる者有り、則ち又夫(か)の措画堤防(そかくていぼう)の術如何(いかん)に在るのみ。古人謂う、「算多きは算少なきに勝ち、算少なきは算無きに勝つ」と。特(ひと)り兵を用うるを然りと為すのみならず、一役(いちえき)の修め、一宴の設け、一獄の興り、誠に能く思慮周詳(しりょしゅうしょう)にして繁略畢(ことごと)く挙がれば、則ち民の賜を受くること浅からず。某(それがし)嘗て県を為(おさ)むるに、胥吏(しょり)輩(はい)春には則ち農を追いて以て農桑を報じ、夏には則ち尉を檄(げき)して以て卒伍を練り、秋には則ち社を会して以て義糧を検し、冬には則ち芻(すう)を賦(ふ)して以て尚馬(しょうば)を飼い、其の它(た)逃兵(とうへい)・亡戸(ぼうこ)・逸盗(いっとう)及び積年逋税(ふぜい)の民の若きは、動(やや)もすれば百余を集め、賄(まいな)わざれば釈(ゆる)さず。某其の然るを見て、常に牘(とく)を揮(ふる)いて署を為さず。暇あれば則ち一二の謹厚(きんこう)の吏を将(ひき)いて、親(みずか)ら其の地に詣(いた)りて之を按(あん)ず、擬す可き者は擬し、行う可き者は行う。是(これ)に由りて一切惟(た)だ信版(しんぱん)を以て事を集め、吏人志を失い、百姓安きを獲(え)たり。今に至るまで旁郡(ぼうぐん)以て例と為す。