万民徳用 / 農人日用・答前半
答て云はく、農業則ち佛行なり。意得惡しき時は、賤しき業也。信心堅固なる時は、菩薩の行なり。隙を得て後生願はんと思ふは誤なり。かならず成佛をとげんと思ふ人は、身心を責めて、樂欲する心ありて後生願ふ人は、萬劫を經るとも成佛すべからず。極寒極熱の辛苦の業をなし、鋤鍬鎌を用ゐ得て、煩惱の叢茂き此の身心を敵となし、すきかへしかり取り、心を着けてひた責めに責めて耕作すべし。身に隙を得る時は、煩惱の叢增長す。辛苦の業をなして、身心を責むる時は、此の心に煩なし。如此四時ともに佛行をなす、農人何とて別の佛行を好むべきや。縱ひ道塲に入て、恭敬禮拜專する人なりとも、我執の念すたらずは、何たる殊勝をなすとも、皆以て輪廻の業なり。去れは成佛墮獄は、心に有りて業になし。簡要は、唯正直の旨を守て、因果の理をしるへし。農業を勤むる者には、覺えす功德ろなはれり。三寶を供養し、神明を祭て、國土萬民世を持つ事、唯是れ耕夫の德なり。畜類等に至る迄、此の德受けざるはなし。是れ則ち我德にむくはざらんや。かほど大功德をなす農人、一心のむけやうあしくして、還て三惡道の業となす事、口をしきにあらすや。偏に道理を知て、一心を定むへし。夫れ農人と生を受くる事は、天より授け給へる世界養育の役人なり。
新字:答て云はく、農業則ち仏行なり。意得悪しき時は、賤しき業也。信心堅固なる時は、菩薩の行なり。隙を得て後生願はんと思ふは誤なり。かならず成仏をとげんと思ふ人は、身心を責めて、楽欲する心ありて後生願ふ人は、万劫を経るとも成仏すべからず。極寒極熱の辛苦の業をなし、鋤鍬鎌を用ゐ得て、煩悩の叢茂き此の身心を敵となし、すきかへしかり取り、心を着けてひた責めに責めて耕作すべし。身に隙を得る時は、煩悩の叢增長す。辛苦の業をなして、身心を責むる時は、此の心に煩なし。如此四時ともに仏行をなす、農人何とて別の仏行を好むべきや。縦ひ道塲に入て、恭敬礼拝専する人なりとも、我執の念すたらずは、何たる殊勝をなすとも、皆以て輪廻の業なり。去れは成仏堕獄は、心に有りて業になし。簡要は、唯正直の旨を守て、因果の理をしるへし。農業を勤むる者には、覚えす功徳ろなはれり。三宝を供養し、神明を祭て、国土万民世を持つ事、唯是れ耕夫の徳なり。畜類等に至る迄、此の徳受けざるはなし。是れ則ち我徳にむくはざらんや。かほど大功徳をなす農人、一心のむけやうあしくして、還て三悪道の業となす事、口をしきにあらすや。偏に道理を知て、一心を定むへし。夫れ農人と生を受くる事は、天より授け給へる世界養育の役人なり。
書き下し
答て云はく、農業則ち仏行なり。意得悪しき時は、賤しき業也。信心堅固なる時は、菩薩の行なり。隙を得て後生願はんと思ふは誤なり。かならず成仏をとげんと思ふ人は、身心を責めて、楽欲する心ありて後生願ふ人は、万劫を経るとも成仏すべからず。極寒極熱の辛苦の業をなし、鋤鍬鎌を用ゐ得て、煩悩の叢茂き此の身心を敵となし、すきかへしかり取り、心を着けてひた責めに責めて耕作すべし。身に隙を得る時は、煩悩の叢增長す。辛苦の業をなして、身心を責むる時は、此の心に煩なし。如此四時ともに仏行をなす、農人何とて別の仏行を好むべきや。縦ひ道塲に入て、恭敬礼拝専する人なりとも、我執の念すたらずは、何たる殊勝をなすとも、皆以て輪廻の業なり。去れは成仏堕獄は、心に有りて業になし。簡要は、唯正直の旨を守て、因果の理をしるへし。農業を勤むる者には、覚えす功徳ろなはれり。三宝を供養し、神明を祭て、国土万民世を持つ事、唯是れ耕夫の徳なり。畜類等に至る迄、此の徳受けざるはなし。是れ則ち我徳にむくはざらんや。かほど大功徳をなす農人、一心のむけやうあしくして、還て三悪道の業となす事、口をしきにあらすや。偏に道理を知て、一心を定むへし。夫れ農人と生を受くる事は、天より授け給へる世界養育の役人なり。
現代語訳
答えて言う。農業はそのまま仏行である。心得が悪いときは賤しい仕事だが、信心が堅固なときは菩薩の行である。暇を得てから後生を願おうと思うのは誤りである。必ず成仏を遂げようと思う人は、身と心を責め、楽を求める心があって後生を願う人は、万劫を経ても成仏できない。極寒や極熱の辛苦の仕事をし、鋤・鍬・鎌を使いこなし、煩悩が茂ったこの身心を敵として、鋤き返し刈り取り、心を留めてひたすら責めに責めて耕作しなさい。身に暇ができると煩悩の草むらは増え育つ。辛苦の仕事をして身心を責めるときには、この心に煩いがない。このように四季ともに仏行をするのだから、農人が別の仏行を好む必要がどこにあるだろうか。たとえ道場に入って恭しく礼拝をひたすら行う人であっても、我執の念を捨てなければ、どれほど立派に見えても、すべて輪廻の業である。だから成仏も地獄に落ちるのも、心にあって行いにあるのではない。肝要はただ正直の旨を守って因果の理を知ることである。農業を勤める者には、知らぬ間に功徳が備わっている。三宝を供養し、神々を祭り、国土や万民が世を保てるのは、ただこれ耕す者の徳である。畜類に至るまで、この徳を受けないものはない。これは私の徳に報いないでいられようか。これほど大きな功徳をなす農人が、心の向け方が悪くて、かえって三悪道の業とすることは、悔しくないだろうか。ひたすら道理を知って、一心を定めなさい。そもそも農人として生を受けたのは、天から授けられた、世界を養う役人なのである。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷上師壬辰八月日、武州鳩谷宝勝禅寺に至る。時に近里の百姓等数十人来り法要を問ふ。師示して曰く、農業便ち仏行也、別に用心を求むべからす。各も体は是れ仏体、心は是れ仏心、業は是れ仏業也。然れども心向けの一つ悪敷故に善根を造りながら還て地獄に入らるゝ也。或は憎い愛い慳い貪い抔と様々私に悪心を作出し、今生は日夜苦み、未来は永劫悪道に堕するは、口惜事に非すや。然る間農業を以て業障を尽すべしと大願力を起し、一鍬々々に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と耕作せは、必ず仏果に至るべし。
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万民徳用・農人日用・答後半去れは此の身を一筋に天道に任せ奉り、かりにも身のためをおもはずして、正しく天道の奉公に農業をなし、五穀を作出して、仏陀神明を祭り、万民の命をたすけ、虫類等に至る迄施すべしと大誓願をなして、一鍬一鍬に南無阿弥陀仏なむあみた仏と唱へ、一鎌一鎌に住して、他念なく農業をなさんには、田畑も清浄の地となり、五穀も清浄食と成りて、食する人、煩悩を消滅するの薬なるへし。天道此の人を守護したまはざらんや。若し貪欲の心に住して、一大事を忘れて農業をなさしめは、田畑も不浄地となり、作出す五穀も不浄食たるへし。善悪共にかならず本にむくふの理を能くしるべし。三毒の心を恣にする人には、天道の加護なくして、念仏信心有りて、念々怠らす、勇猛堅固の心に住せざる則は、福消えて災難来る、万人にいやしめられ、現世の苦患隙なくして、未来永劫、悪道に堕在せん事、何ぞ恐れざらんや。夫れ人間の一生涯は、夢の中の夢なり。楽身にあまるとも、楽はつべきにあらず。偏に一大事の理を知て、後世菩提に思ひ入り、勇猛の念仏間断なく、一念の中に農業をなさは、覚ゑす誠の心極つて、離相離名の徳そなはり、大解脱大自在の人と成りて、尽未来際、極楽浄土の快楽を受くべき事、是れをよろこばざらんや。信得せよ信得せよ。
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万民徳用・職人日用・答答て云はく、何の事業も、皆仏行なり。人々の所作の上においては成仏したまふへし。仏行の外なる作業有るべからず。一切の所作、皆以て世界のためとなる事を以てしるへし。仏体をうけ、仏性そなはりたる人間、意得あしくして、好て悪道に入ることなかれ。本覚真如の一仏、百億分身して世界を利益したまふなり。鍛冶、番匠をはじめ、諸職人なくしては、世界の用所調ふべからず。武士なくして、世治るへからず。農人なくして、世界の食物あるべからず。商人なくして、世界の自由なるべからず。此の外所有事業出来て、世のためとなる。天地をさたじたる人もあり、文字を造出したる人も有り、五臓を分けて医道を施す人もあり、其の品々限なく出て、世のためとなるといへども、唯是れ一仏の徳用なり。如此ありかたき仏性を人々具足すといへ共、この理をしらずして、我と此の身を賤しくなし、悪心悪業を専として、好て悪道に入るを迷の凡夫とはいふなり。三世の諸仏出世ありて、衆生則ち仏なる事を直にしめしたまへり。眼に色を見、耳に声を聞き、鼻に香をかぎ、口に物を云つて、思ふ事の自由をなす、手の自由、足の自由、唯是れ一仏の自由なり。去る間、後世を願ふといふは、我身を信ずるを本意とす。誠に成仏を願ふ人ならば、唯自身を信ずべし。自身を信ずるといふは、自身則ち仏なれは、仏の心を信すへし。仏に欲心なし、仏の心に嗔恚なし、仏の心に愚痴なし、仏の心に生死なし、仏の心に是非なし、仏の心に煩悩なし、仏の心に悪事なし、如此の理を信せずして、私に貪欲を作出し嗔恚を発し、愚痴に住在して、日々夜々、我執我慢、邪見妄想を主として、彼に従て苦痛悩乱の心休む時なく、本有の自性を失て、一生空しく大地獄を造堅めて、未来永劫すみかとせん事、かなしまざるべけんや。是れを恐れ是れをなげきて、一大事のこゝろざしをはげまし、万念を放下して、所作所為の上に就て、切に急に真実勇猛の念仏を以て、自己の真仏を信仰せは、気の熟するに従て、自然に誠の心至極して、終に信得し究る時、覚ゑす無我無人無住所の境に入て、自己の真仏顕然たるべし。一筋に信仰せよ信仰せよ。
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万民徳用・農人日用・問農人問ふて云はく、後生一大事疎ならすといへども、農業時を遂て隙なし、あさましき渡世の業をなし、今生むなしくして、未来の苦を受くべき事、無念の至なり。何として仏果に至るへきや。
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段曰く、汝の云へる行ひと云ふは、礼儀三千三百を習ひ、威儀を正することに候や。左様のことなれば、我ら如き農人などの行ふことは、叶はざる所なり。彼の学者の云ふごとく、不学者の及ぶべきことに非ずと云へるも、断りなり。答ふ、否、左にはあらず。汝の云へるは、孔子子張を謂ひて、師は辟なりとのたまふ所なり。辟とのたまふは、威儀に習ひて実少なきを云ふ。行ひのことを、汝が聞き易き所にて語らん。行ひと云ふは、農人ならば、朝は未明より農に出で、夕べには星を見て家に入り、我が身を労して人を使ひ、春は耕し、夏は芸り、秋の蔵むるに至るまで、田畠より、五穀一粒なりとも、をほく作り出だすことを忘れず、御年貢に不足なきやうにと思ひ、其の余りにて父母の衣食を足し、安楽に養ひ、諸事油断なく勉むる時は、身は苦労すといへども、邪なきゆへに心は安楽なり。身を肆にし、年貢不足する時は、心の苦と成る。我が教ふる所は、心を知りて、身を苦労し勉むれば、日々に安楽に至ることを知らしむ。心を知りて行ふときは、自ら威儀正しくなり、安きを知ることなれば、何をか疑はんや。
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『驢鞍橋』卷下誠に然るへきこと也何れの道の輩も、正直にその道を守り、家職をだに勤め居たらば、どこにありても天然と食分断ゆべからず諸人是れを知らす、家職を忘れて、非分に衣食を求る間、天命に叶はす、殊に出家人抔は、何くの野の末、山の奥にありても、仏制に背かす、仏行を正くし、真の道をだに守り居らば、食尽くべからずと也
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