徒然草 / 第238段
御隨身近友が自讚とて、七箇條かきとゞめたる事あり。みな馬藝させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讚のこと七つあり。 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて落つべし、しばし見給へ。」とて立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。 一、當代いまだ坊におはしまししころ、萬里小路殿御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて參りたりしに、論語の四五六の卷をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱うばふ事を惡むといふ文を、御覽ぜられたき事ありて、御本を御覽ずれども、御覽じ出されぬなり。なほよくひき見よと仰せ事にて、求むるなり。」と仰せらるゝに、「九の卷のそこそこの程に侍る。」と申したりしかば、「あなうれし。」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、兒どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讚したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなむや。」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、 秋の野の草のたもとか花すゝきほに出でて招く袖と見ゆらむ と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覺悟す、道の冥加なり、高運なり。」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讚せられたり。 一、常在光院の撞鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鑄型にうつさせむとせしに、奉行の入道かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば聲百里に聞ゆ。」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか。」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり。」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし。」と返り事はべりき。「數行。」もいかなるべきにか、もし「數歩」の意か、おぼつかなし。 一、人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、横川の常行堂の中、龍華院と書けるふるき額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し傳へたり。」と堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず。」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署名字年號さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。 一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ。」といひしを、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや。」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。 一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず。」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それもとめておはせよ。」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。 一、二月十五日、月あかき夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、すがた匂ひ人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひてすり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなむありし。情なしと恨み奉る人なむある。」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房をつくり立てて、出し給ひて、「便よくばことばなどかけむものぞ。そのありさま參りて申せ、興あらむ。」とてはかり給ひけるとぞ。
新字:御随身近友が自讃とて、七箇条かきとゞめたる事あり。みな馬芸させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讃のこと七つあり。 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて落つべし、しばし見給へ。」とて立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乗れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。 一、当代いまだ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて参りたりしに、論語の四五六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱うばふ事を悪むといふ文を、御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。なほよくひき見よと仰せ事にて、求むるなり。」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程に侍る。」と申したりしかば、「あなうれし。」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、児どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讃したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなむや。」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、 秋の野の草のたもとか花すゝきほに出でて招く袖と見ゆらむ と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覚悟す、道の冥加なり、高運なり。」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讃せられたり。 一、常在光院の撞鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型にうつさせむとせしに、奉行の入道かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば声百里に聞ゆ。」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか。」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり。」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。数行となほさるべし。」と返り事はべりき。「数行。」もいかなるべきにか、もし「数歩」の意か、おぼつかなし。 一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行堂の中、竜華院と書けるふるき額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し伝へたり。」と堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず。」といひたりしに、裏は塵つもり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署名字年号さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。 一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ。」といひしを、所化みな覚えざりしに、局のうちより、「これこれにや。」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。 一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず。」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それもとめておはせよ。」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。 一、二月十五日、月あかき夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聴聞し侍りしに、優なる女の、すがた匂ひ人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひてすり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなむありし。情なしと恨み奉る人なむある。」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局のうちより、人の御覧じ知りて、さぶらふ女房をつくり立てて、出し給ひて、「便よくばことばなどかけむものぞ。そのありさま参りて申せ、興あらむ。」とてはかり給ひけるとぞ。
書き下し
御随身近友が自讃とて、七箇条かきとゞめたる事あり。みな馬芸させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讃のこと七つあり。 一、人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の辺にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて落つべし、しばし見給へ。」とて立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乗れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。 一、当代いまだ坊におはしまししころ、万里小路殿御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて参りたりしに、論語の四五六の巻をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱うばふ事を悪むといふ文を、御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。なほよくひき見よと仰せ事にて、求むるなり。」と仰せらるゝに、「九の巻のそこそこの程に侍る。」と申したりしかば、「あなうれし。」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、児どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讃したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなむや。」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、 秋の野の草のたもとか花すゝきほに出でて招く袖と見ゆらむ と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覚悟す、道の冥加なり、高運なり。」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九条相国伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讃せられたり。 一、常在光院の撞鐘の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣清書して、鋳型にうつさせむとせしに、奉行の入道かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば声百里に聞ゆ。」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか。」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり。」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。数行となほさるべし。」と返り事はべりき。「数行。」もいかなるべきにか、もし「数歩」の意か、おぼつかなし。 一、人あまた伴ひて、三塔巡礼の事侍りしに、横川の常行堂の中、竜華院と書けるふるき額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し伝へたり。」と堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず。」といひたりしに、裏は塵つもり、虫の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署名字年号さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。 一、那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ。」といひしを、所化みな覚えざりしに、局のうちより、「これこれにや。」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。 一、賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず。」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それもとめておはせよ。」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。 一、二月十五日、月あかき夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聴聞し侍りしに、優なる女の、すがた匂ひ人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひてすり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなむありし。情なしと恨み奉る人なむある。」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聴聞の夜、御局のうちより、人の御覧じ知りて、さぶらふ女房をつくり立てて、出し給ひて、「便よくばことばなどかけむものぞ。そのありさま参りて申せ、興あらむ。」とてはかり給ひけるとぞ。
現代語訳
御随身近友が自賛として、七箇条書き留めたことがある。皆たいしたことのないことばかりである。その例にならって、自賛のことが七つある。 一、大勢連れて花見に出歩いていた時、最勝光院の辺りで、男が馬を走らせるのを見て、「もう一度馬を馳せたら、馬は倒れて落ちるだろう、しばらく見ていなさい」と言って立ち止まっていたところ、また馬を馳せた。止まる所で馬を引き倒し、乗っていた人が泥の中に転げ込んだ。その言葉が誤っていなかったことに、皆が感心した。 一、今上天皇がまだ東宮でいらっしゃった頃、万里小路殿の御所であった折、堀河大納言殿が伺候なさっていた御部屋へ、用があって参上したところ、論語の四五六の巻を繰り広げなさって、「ただ今御所で『紫の朱を奪うことを憎む』という文章をご覧になりたいことがあって、御本をご覧になるが見つけられない。なおよく探せとの仰せで、探しているのだ」とおっしゃるので、「九の巻のそのあたりにございます」と申し上げたところ、「ああ嬉しい」と言って、持って参上なさった。これくらいのことは子供でも普通のことだが、昔の人は些細なことでも大変自賛したものだ。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂とを一首の中に使ってはよくないだろうか」と定家卿にお尋ねになったところ、「秋の野の草のたもとか花すすきほに出でて招く袖と見ゆらむ」とありますので、何の差し支えがございましょうかと申し上げたことも、「時にあたって本歌を思い出す、歌道の冥加である、高運である」などと仰々しく記し置かれている。九条相国伊通公の款状にも、特にどうということもない事柄まで書き載せて、自賛なさっている。 一、常在光院の撞鐘の銘は、在兼卿の草稿である。行房朝臣が清書して鋳型に写させようとしたところ、奉行の入道がその草稿を取り出して見せたので、「花の外に夕を送れば声百里に聞こゆ」という句がある。「陽唐の韻と見えるのに、百里は誤りではないか」と申したところ、「よくぞ見せてくださった。あなたの手柄だ」と言って、筆者の所へ言ってやったところ、「誤りでございました。数行と直されるべきです」と返事があった。「数行」もどうであるべきか、もしや「数歩」の意味か、はっきりしない。 一、大勢を伴って三塔巡礼をした折、横川の常行堂の中に、龍華院と書いた古い額がある。「佐理・行成のどちらか疑いがあって、まだ決まっていないと言い伝えている」と堂僧が仰々しく申したのを、「行成なら裏書があるはずだ。佐理なら裏書はないはずだ」と言ったところ、裏は塵が積もり虫の巣で薄気味悪かったのを、よく掃き拭って皆で見たところ、行成の位署名字年号がはっきり見えたので、皆興に入った。 一、那蘭陀寺で道眼上人が談義した時、八災ということを忘れて、「誰か覚えていますか」と言ったが、弟子たちは皆覚えていなかったところ、局の中から「これこれではないですか」と言い出したので、大変感心された。 一、賢助僧正に伴って加持香水を見た時、まだ終わらないうちに僧正が帰ってしまったので、陣の外まで僧都の姿が見えない。法師たちを帰らせて捜させたところ、「同じような大勢の人がいて、見つけられません」と言って、大変長くかかって出てきたので、「ああ困ったことだ。それを捜していらっしゃい」と言われたところ、また入って行き、すぐに連れて出てきた。 一、二月十五日、月の明るい夜、夜更けに千本の寺に参詣し、後ろから入って一人顔を深く隠して聴聞していたところ、優美な女性で姿と匂いが人と違う者が、分け入って膝に寄りかかってきたので、匂いなどが移るほどだったのでまずいと思ってすり退いたが、なお寄り添ってきて同じ様子だったので立ち去った。その後、ある御所方の古株の女房が、雑談のついでに、「まったく色気のない人でいらっしゃったと、見下し申し上げたことがありました。情けないと恨み申し上げる人がいます」とおっしゃったので、「まったく心当たりがございません」と申して終わった。この事を後で聞いたところ、あの聴聞の夜、御局の中から人がご覧になって、お仕えする女房を装わせて出しなさり、「都合が良ければ言葉などかけよう、その様子を参って申せ、面白かろう」と企てなさったのだそうだ。
解説
この章句が説くこと
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徒然草・第137段花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるにはやく散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて罷らで。」なども書けるは、「花を見て。」といへるに劣れる事かは。花の散り月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし。」などはいふめる。万の事も始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さをおもひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心ふかう、青みたる様にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覚ゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、偏にすける様にも見えず、興ずる様もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なり。」とて、奥なる屋にて、酒飮みもの食ひ、囲棊双六など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候。」といふときに、おのおの肝つぶるやうに争ひ走りあがりて、落ちぬべきまで、簾張りいでて、押しあひつゝ、一事も見洩らさじとまもりて、とありかゝりと物事にいひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで。」といひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りていとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾畳も取り払ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ、かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが数多あるにて知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらむに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立といふものを、双六の石にてつくりて、立て並べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、数へ当ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまたかぞふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奥、無常の敵きほひ来らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。
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徒然草・第134段高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事を、余りに心憂く覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。御堂の勤め許りにあひて、籠り居たりと聞き伝へしこそ、あり難く覚えしか。かしこげなる人も人の上をのみ計りて、己をば知らざるなり。我を知らずして外を知るといふ理あるべからず。されば、己を知るを、物知れる人といふべし。貌醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず、身の上の非をも知らねば、まして外の譏りを知らず。たゞし貌は鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。貌を改め齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞやがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ閑に身をやすくせざる。行ひ愚かなりと知らば、何ぞこれを思ふ事これにあらざる。すべて人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。貌みにくく心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の芸をもちて堪能の座に連なり、雪の頭を戴きて壮りなる人にならび、況んや及ばざることを望み、叶はぬことを憂へ、来らざる事を待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥しむるなり。貪ることのやまざるは、命を終ふる大事今こゝに来れりと、たしかに知らざればなり。
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徒然草・第48段光親卿、院の最勝講奉行してさぶらひけるを、御前へ召されて、供御をいだされて食はせられけり。もの食ひ散らしたる衝重を、御簾の中へさし入れてまかり出でにけり。女房、「あな汚な。誰に取れとてか。」など申しあはれければ、「有職のふるまひ、やんごとなき事なり。」とかへすがへす感ぜさせ給ひけるとぞ。
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『玉勝間』兼好法師が詞のあげつらひけんかう法師がつれづれ草に、花は盛りに、月はくまなきをのみ見る物かはとか云えるは、いかにぞや。古への歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとい、あるは待ち惜しむ心つくしを詠めるぞ多くて、心深きも、ことにさる歌に多かるは、みな花は盛りをのどかに見まほしく、月はくまなからむ事を思う心のせちなるからこそ、さもえあらぬを歎きたるなれ。いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲をねがいたるは有らん。さるをかの法師が云えるごとくなるは、人の心にさかいたる、後の世のさかしら心の、つくり風流にして、まことのみやび心には有らず。
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徒然草・第226段後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心憂き事にして、学問をすてて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。この行長入道平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。さて山門のことを殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事は能く知らざりけるにや、多くの事どもを記しもらせり。武士の事弓馬のわざは、生仏東国のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏がうまれつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。
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徒然草・第70段玄応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬を弾じ給ひけるに、座につきてまづ柱をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御ふところに続飯をもち給ひたるにて付けられにければ、神供の参るほどに、よく干て事故なかりけり。いかなる意趣かありけむ、物見ける衣被の、よりて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。