徒然草 / 第200段
呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁壽殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
新字:呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
書き下し
呉竹は葉ほそく、河竹は葉ひろし。御溝にちかきは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり。
現代語訳
呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。御溝(みかわ)に近い方にあるのは河竹で、仁寿殿の方に寄せて植えられているのは呉竹である。
解説
宮中に植えられた竹の種類とその配置について記した考証の一段です。呉竹(くれたけ)と河竹(かわたけ)という二種の竹を、葉の細さ・広さという見た目の特徴で見分け、さらにそれぞれが御所のどこに植えられているかという具体的な位置まで記しています。仁寿殿は清涼殿に近い紫宸殿の後方に位置する殿舎で、宮廷の内部事情に通じていなければ書けない細やかな観察です。徒然草には、このように自然物の見分け方や宮中の故実を淡々と書き留めた段が数多くあり、兼好の博識と観察眼の広さを物語っています。現代においても、身近な植物の名前や違いを正しく知り、それを言葉で残しておくことは、知識を後世に伝える営みの基本です。何気ない事物にも名前と由来があるという意識を持つことの大切さを、この段は静かに伝えています。
この章句が説くこと
呉竹河竹御溝仁寿殿竹宮中
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