牧民忠告 / 閑居
世俗以窮達進退皆本夫命,謂命之窮者,雖竭蹶求進而亦窮;命之達者,雖遠逝深藏而亦不能退。此星翁、術士之常談,非君子所尚也。君子則以義處命,而不倚命以害義,可以進則進,可以退則退,吾不謂命也。樂則行之,憂則違之,吾豈謂命哉?彼淪胥富貴利達之境而不能出者,則往往託命以自誣,宜乎接武禍機而卒不能悟,悲夫!
新字:世俗以窮達進退皆本夫命,謂命之窮者,雖竭蹶求進而亦窮;命之達者,雖遠逝深蔵而亦不能退。此星翁、術士之常談,非君子所尚也。君子則以義処命,而不倚命以害義,可以進則進,可以退則退,吾不謂命也。楽則行之,憂則違之,吾豈謂命哉?彼淪胥富貴利達之境而不能出者,則往往託命以自誣,宜乎接武禍機而卒不能悟,悲夫!
書き下し
世俗は窮達進退(きゅうたつしんたい)を皆夫(か)の命に本(もと)づくを以(もっ)てし、命の窮する者は、竭蹶(けっけつ)して進むを求むと雖も亦た窮し、命の達する者は、遠く逝(ゆ)き深く蔵(かく)ると雖も亦た退くこと能わずと謂う。此れ星翁(せいおう)・術士の常談にして、君子の尚(とうと)ぶ所に非ざるなり。君子は則ち義を以て命に処り、命に倚(よ)りて以て義を害せず。以て進むべければ則ち進み、以て退くべければ則ち退き、吾は命を謂わざるなり。楽しめば則ち之を行い、憂うれば則ち之に違(たが)う、吾豈(あに)命を謂わんや。彼の富貴利達の境に淪胥(りんしょ)して出づる能わざる者は、則ち往往にして命に託して以て自ら誣(し)い、宜(うべ)なるかな武(あと)を禍機(かき)に接して卒(つい)に悟る能わざるは。悲しいかな。
現代語訳
世間の人は、困窮するか栄達するか、進むか退くかは皆あの「運命」に基づくものだと考え、運命が窮しているものは、あがいて進もうとしても結局は窮し、運命が栄達しているものは、遠く隠遁しようとしてもやはり退くことができないと言う。これは星占い師や占術師の常套句であって、君子が尊ぶところではない。君子は道義によって運命に対処し、運命に頼って道義を損なうことはしない。進んでよいなら進み、退いてよいなら退く、それを私は運命とは呼ばない。楽しめるなら行い、憂うべきなら退く、それをどうして運命と呼べようか。あの富貴栄達の境地に溺れて抜け出せない者は、しばしば運命のせいにして自分をごまかし、そのため災いの機に足を踏み入れながらついに悟ることができないのも当然である。悲しいことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・九変篇将に五危有り。必死は殺すべきなり。必生は虜にすべきなり。忿速は侮るべきなり。廉潔は辱むべきなり。愛民は煩わすべきなり。
-
易経・繋辞上是の故に、吉凶とは、失得の象なり。悔吝(かいりん)とは、憂虞(ゆうぐ)の象なり。変化とは、進退の象なり。剛柔とは、昼夜の象なり。六爻の動は、三極の道なり。是の故に、君子の居りて安んずる所の者は、易の序なり。楽しみて玩(もてあそ)ぶ所の者は、爻の辞なり。
-
孟子・告子章句上公都子問うて曰く、「鈞しく是れ人なり。或いは大人と為り、或いは小人と為るは、何ぞや。」孟子曰く、「其の大體に從えば大人と為り、其の小體に從えば小人と為る。」曰く、「鈞しく是れ人なり。或いは其の大體に從い、或いは其の小體に從うは、何ぞや。曰く、「耳目の官は思わずして、物に蔽わる。物、物に交われば、則ち之を引くのみ。心の官は則ち思う。思えば則ち之を得るも、思わざれば則ち得ざるなり。此れ天の我に與うる所の者、先づ其の大なる者を立つれば、則ち其の小なる者奪うこと能わざるなり。此れ大人為るのみ。」
-
論語 里仁篇子曰わく、『如何せん、如何せん』と言わぬ者は、我もまた如何ともすること無し。
-
論語 憲問篇子曰わく、『如何せん、如何せん』と言わぬ者は、我もまた如何ともすること無し。
-
論語 述而篇子曰わく、束脩以上を行う者に於いては、吾いまだ誨うること無からざるなり。