易経 / 繋辞上
是故,吉凶者,失得之象也。悔吝者,懮虞之象也。變化者,進退之象也。剛柔者,晝夜之象也。六爻之動,三極之道也。是故,君子所居而安者,易之序也。所樂而玩者,爻之辭也。
新字:是故,吉凶者,失得之象也。悔吝者,懮虞之象也。変化者,進退之象也。剛柔者,昼夜之象也。六爻之動,三極之道也。是故,君子所居而安者,易之序也。所楽而玩者,爻之辞也。
書き下し
是の故に、吉凶とは、失得の象なり。悔吝(かいりん)とは、憂虞(ゆうぐ)の象なり。変化とは、進退の象なり。剛柔とは、昼夜の象なり。六爻の動は、三極の道なり。是の故に、君子の居りて安んずる所の者は、易の序なり。楽しみて玩(もてあそ)ぶ所の者は、爻の辞なり。
現代語訳
そういうわけで、吉と凶とは、失うことと得ることのかたちである。悔(くい)と吝(やぶさかさ)とは、憂え気づかうことのかたちである。変と化とは、進むことと退くことのかたちである。剛と柔とは、昼と夜のかたちである。六つの爻の動きは、天・地・人という三つの極みの道を表している。だからこそ、君子が身を置いて安んじるのは易の秩序であり、楽しんで味わうのは爻に付けられた言葉である。
解説
易に出てくる言葉づかいを、一つひとつ現実の何に対応するのかへ翻訳してみせた一段です。吉凶は得失、悔吝は憂い、変化は進退、剛柔は昼夜。つまり卦や爻の用語は神秘的な符牒ではなく、私たちが日々経験している浮き沈みや迷い、前進と撤退を映した記号だというのです。とりわけ「悔吝」を憂えるかたちだと押さえた点が印象的です。悔いは行き過ぎを引き戻す力、吝は惜しんで動けない滞りであり、どちらも吉と凶の手前にある小さな兆しにあたります。大きな失敗の前には、たいてい小さな引っかかりがある。そこに気づけるかどうかが分かれ目だ、という読み方ができます。仕事でも、決算の数字が崩れる前に現場の小さな違和感が先に出るものです。君子が易の秩序に安んじ、爻の言葉を楽しんで味わうというのは、日々の兆しを言葉にして眺める習慣を持つということでしょう。
この章句が説くこと
吉凶悔吝六爻三極進退
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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