牧民忠告 / 救荒
反風滅火,虎渡河,蝗不入境,全境之水回流,此在長民者之德何如爾,殆不可皆謂之偶然也。
新字:反風滅火,虎渡河,蝗不入境,全境之水回流,此在長民者之徳何如爾,殆不可皆謂之偶然也。
書き下し
風を反(かえ)して火を滅し、虎河を渡り、蝗境に入らず、全境の水回流するは、此れ民に長たる者の徳の何如(いかん)に在るのみ、殆(ほとん)ど皆之を偶然と謂う可からざるなり。
現代語訳
風向きが変わって火が消え、虎が川を渡って立ち去り、蝗が領内に入らず、氾濫していた水が元どおりに流れを戻す。こうしたことは、民を治める者の徳がどうであるかにかかっているのであって、これらをすべて単なる偶然と言うことはほとんどできない。
解説
本条は、風向きの変化や猛獣の退去、蝗害の回避、水害の収束といった自然現象を、為政者の徳の反映として捉える。中国の伝統的な政治思想には、天と為政者の徳とが感応し合うという「天人相関」の考え方があり、本条もその系譜に連なる。現代の目からは科学的根拠のある主張とは言えないが、ここで重要なのは、為政者が自らの徳性や日々の行いを、目に見える結果と切り離さず常に問い直す姿勢である。組織のリーダーについても、業績や事故、トラブルの発生を単なる運や偶然として片付けず、自らの日頃の姿勢や組織運営のあり方に原因や責任を求める謙虚さが、長期的な信頼構築につながるという教訓として読むことができる。
この章句が説くこと
尚徳徳治天人相関謙虚
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