商君書 / 賞刑
萬乘之國、不敢蘇其兵中原。千乘之國、不敢捍城。萬乘之國、若有蘇其兵中原者、戰將覆其軍。千乘之國、若有捍城者、攻將凌其城。戰必覆人之軍、攻必凌人之城、盡城而有之、盡賓而致之、雖厚慶賞、何費匱之有矣。昔湯封於贊茅、文王封於岐周、方百里。湯與桀戰於鳴條之野、武王與紂戰於牧野之中、大破九軍、卒裂土封諸侯、士卒坐陳者里有書社、車休息不乘、從馬華山之陽、從牛於農澤、從之老而不收、此湯武之賞也。
新字:万乗之国、不敢蘇其兵中原。千乗之国、不敢捍城。万乗之国、若有蘇其兵中原者、戦将覆其軍。千乗之国、若有捍城者、攻将凌其城。戦必覆人之軍、攻必凌人之城、尽城而有之、尽賓而致之、雖厚慶賞、何費匱之有矣。昔湯封於賛茅、文王封於岐周、方百里。湯与桀戦於鳴条之野、武王与紂戦於牧野之中、大破九軍、卒裂土封諸侯、士卒坐陳者里有書社、車休息不乗、従馬華山之陽、従牛於農沢、従之老而不収、此湯武之賞也。
書き下し
萬乘の國は、敢えてその兵を中原に蘇せず。千乘の國は、敢えて城を捍がず。萬乘の國、若しその兵を中原に蘇する者有らば、戰いて將にその軍を覆さんとす。千乘の國、若し城を捍ぐ者有らば、攻めて將にその城を凌がんとす。戰えば必ず人の軍を覆し、攻むれば必ず人の城を凌ぎ、城を盡くしてこれを有ち、賓を盡くしてこれを致さば、慶賞を厚くすと雖も、何ぞ費匱の有らんや。昔、湯は贊茅に封ぜられ、文王は岐周に封ぜらる、方百里なり。湯は桀と鳴條の野に戰い、武王は紂と牧野の中に戰い、大いに九軍を破る。卒に土を裂きて諸侯を封じ、士卒の陳に坐する者は、里に書社有り。車は休息して乘らず、馬を華山の陽に從え、牛を農澤に從え、これに從いて老いて收めず。これ湯武の賞なり。
現代語訳
万乗の大国も、あえてその軍を中原に休ませようとはしない。千乗の国も、あえて城にこもって防ごうとはしない。万乗の国でもし軍を中原に休ませる者があれば、戦ってその軍を覆すことになる。千乗の国でもし城にこもる者があれば、攻めてその城を乗り越えることになる。戦えば必ず相手の軍を覆し、攻めれば必ず相手の城を乗り越え、城をことごとく取ってこれを保ち、寄る者をことごとく招き寄せれば、褒賞をどれだけ厚くしても、どうして費用が足りなくなることがあろうか。昔、湯王は贊茅に封じられ、文王は岐周に封じられた。どちらも百里四方である。湯王は桀と鳴条の野で戦い、武王は紂と牧野で戦って、大いに九軍を破った。ついに土地を裂いて諸侯を封じ、陣に加わった士卒には、村ごとに名簿に記して土地を与えた。戦車は休ませて乗らず、馬は華山の南に放ち、牛は農地の沢に放ち、そのまま老いるまで回収しなかった。これが湯王・武王の賞である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『商君書』賞刑故に曰く、贊茅岐周の粟を以て、天下の人に賞せば、人ごとに一升を得ず。その錢を以て天下の人に賞せば、人ごとに一錢を得ず、と。故に曰く、百里の君にして、その臣を侯に封じ、その舊を大にす。士卒の陳に坐する者よりして、里に書社有り、と。賞の加うる所、牛馬よりも寬きは、何ぞや。善く天下の貨に因りて、以て天下の人に賞すればなり。故に曰く、「明賞は費やさず」と。湯武、既に桀紂を破り、海內に害無く、天下は大いに定まる。五庫を築き、五兵を藏め、武事を偃せ、文教を行い、干戈を倒に載せ、笏を搢み樂を作為して以てその德を申ぶ。この時に當たるや、賞祿行われずして、民は整齊たり。故に曰く、「明賞の猶きは、賞無きに至るなり」と。
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『商君書』錯法夫れ削らるる國、亡ぶる主は、爵祿無きに非ざるなり、その道く所の過てるなり。三王五霸は、その道く所、爵祿に過ぎずして、功の相い萬なる者は、その道く所の明らかなればなり。是を以て明君のその臣を使うや、用は必ずその勞に出で、賞は必ずその功に加わる。功賞明らかなれば、則ち民は功を競う。國を為めて能くその民をして力を盡くして以て功を競わしむれば、則ち兵は必ず彊し。
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呂氏春秋・簡選③武王は、虎賁三千人、簡車三百乘、以て甲子の事を牧野に要して、紂、禽と為る。賢者の位を顯かにし、殷の遺老を進めて、民の欲する所を問い、賞を行うこと禽獸に及び、罰を行うこと天子を辟けず。殷を親しむこと周の如く、人を視ること己の如し。天下、其の德を美し、萬民其の義を説ぶ。故に立ちて天子と為る。
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説苑・指武武王將に紂を伐たんとす。太公望を召して之に問いて曰く、「吾戰わずして勝ちを知り、卜せずして吉を知らんと欲す、其の人に非ざるを使うに、之を為すに道有りや」と。太公對えて曰く、「道有り。王眾人の心を得て、以て不道を圖らば、則ち戰わずして勝ちを知らん。賢を以て不肖を伐たば、則ち卜せずして吉を知らん。彼之を害すれば、我之を利す。吾が民に非ずと雖も、得て使うべし」と。武王曰く、「善し」と。乃ち周公を召して之に問いて曰く、「天下の事を圖る者、皆殷を以て天子と為し、周を以て諸侯と為す、諸侯を以て天子を攻む、之に勝つに道有りや」と。周公對えて曰く、「殷信に天子たり、周信に諸侯たらば、則ち勝つの道無し、何ぞ攻むべけんや」と。武王忿然として曰く、「汝の言說有るか」と。周公對えて曰く、「臣之を聞く、禮を攻むる者は賊と為し、義を攻むる者は殘と為し、其の民を制するを失えば匹夫と為ると。王は其の民を失う者を攻むるなり、何ぞ天子を攻めんや」と。武王曰く、「善し」と。乃ち眾を起こし師を舉げ、殷と牧の野に戰い、大いに殷人を敗る。堂に上り玉を見て、曰く、「誰の玉ぞや」と。曰く、「諸侯の玉なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王財に廉なり」と。室に入り女を見て、曰く、「誰の女ぞや」と。曰く、「諸侯の女なり」と。即ち取りて之を諸侯に歸す。天下之を聞き、曰く、「武王色に廉なり」と。是に於て巨橋の粟を發し、鹿臺の財金錢を散じて以て士民に與え、其の戰車を黜けて乘らず、其の甲兵を弛めて用いず、馬を華山に縱ち、牛を桃林に放ち、復た用いざるを示す。天下之を聞く者、咸武王天下に義を行うと謂う、豈に大ならずや。
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『商君書』賞刑所謂る壹賞なる者は、利祿官爵、摶して兵より出でて、異施有る無きなり。夫れ固より知愚、貴賤、勇怯、賢不肖、皆なその胸臆の知を盡くし、その股肱の力を竭くし、死を出だして上の用と為るなり。天下の豪傑賢良はこれに從うこと流水の如し。是の故に兵に敵無くして、令は天下に行わる。
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荀子・儒効篇客に道う有りて曰く、孔子曰く、周公は其れ盛んなるかな。身貴くして愈々恭しく、家富みて愈々倹に、敵に勝ちて愈々戒む、と。之に応えて曰く、是れ殆ど周公の行いに非ず、孔子の言に非ざるなり。武王崩じ、成王幼くして、周公は成王を屏けて武王に及び、天子の籍を履み、扆に負いて立ち、諸侯は堂下に趨走す。是の時に当たりてや、夫れ又た誰にか恭しくせんや。天下を兼制し七十一国を立て、姫姓独り五十三人を居く。周の子孫、苟くも狂惑ならざる者は、天下の顕たる諸侯と為らざる莫し。孰か周公を倹と謂わんや。武王の紂を誅するや、行くの日は兵忌を以てし、東面して太歳を迎う。氾に至りて汎れ、懐に至りて壊れ、共頭に至りて山隧つ。霍叔懼れて曰く、出でて三日にして五災至る、乃ち不可なること無からんや、と。周公曰く、比干を刳きて箕子を囚え、飛廉・悪来政を知る、夫れ又た悪くんぞ不可なること有らんや、と。遂に馬を選びて進み、朝に戚に食し、暮に百泉に宿し、旦を牧の野に厭う。之を鼓して紂の卒郷を易え、遂に殷人に乗じて紂を誅す。蓋し殺す者は周人に非ず、殷人に因るなり。故に首虜の獲無く、難を蹈むの賞無し。反りて三革を定め、五兵を偃せ、天下を合し、声楽を立つ。是に於て武象起こりて韶護廃る。四海の内、心を変じ慮を易えて以て之に化順せざる莫し。故に外闔閉ざさず、天下を跨ぎて蘄ぐ無し。是の時に当たりてや、夫れ又た誰をか戒めんや。