商君書 / 修権
世之為治者、多釋法而任私議、此國之所以亂也。先王縣權衡、立尺寸、而至今法之、其分明也。夫釋權衡而斷輕重、廢尺寸而意長短、雖察、商賈不用、為其不必也。
新字:世之為治者、多釈法而任私議、此国之所以乱也。先王県権衡、立尺寸、而至今法之、其分明也。夫釈権衡而断軽重、廃尺寸而意長短、雖察、商賈不用、為其不必也。
書き下し
世の治を為む者は、多く法を釋てて私議に任ず。これ國の亂るる所以なり。先王は權衡を縣け、尺寸を立てて、今に至るまでこれに法るは、その分の明らかなればなり。夫れ權衡を釋てて輕重を斷じ、尺寸を廢して長短を意れば、察と雖も、商賈は用いず。その必ならざるが為なり。
現代語訳
世の中で政治を行う者は、多くが法を捨てて私的な議論に任せる。これが国の乱れる原因である。先王が秤を掛け、物差しの目盛りを立て、今に至るまでそれに従っているのは、その区分が明らかだからである。秤を捨てて目分量で軽重を決め、物差しを廃して感覚で長短を判断すれば、たとえその判断が正確であっても、商人はそれを使わない。必ずそうなるとは限らないからである。
解説
目利きの判断が実際に正確であっても、商人はそれを取引に使わない——なぜなら「必ならず」、いつも当たるとは限らないからだ。この一段は、基準というものの本質を突いている。基準の価値は精度ではなく、誰がやっても同じ結果になるという予測可能性にある。名人の目分量のほうが秤より正確なことはあるだろう。それでも取引は秤で行われる。社内の評価や見積もりも同じで、「あの人が見れば分かる」という状態は、当人が正確であるほど手放しがたく、そして組織を脆くする。
この章句が説くこと
権衡を釈てて軽重を断ずその必ならざるが為なり予測可能性名人の目分量公正
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