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商君書 / 開塞

古之民樸以厚、今之民巧以偽。故效於古者、先德而治、效於今者、前刑而法、此世之所惑也。今世之所謂義者、將立民之所好、而廢其所惡、此其所謂不義者、將立民之所惡、而廢其所樂也。二者名貿實易、不可不察也。

新字:古之民樸以厚、今之民巧以偽。故効於古者、先徳而治、効於今者、前刑而法、此世之所惑也。今世之所謂義者、将立民之所好、而廃其所悪、此其所謂不義者、将立民之所悪、而廃其所楽也。二者名貿実易、不可不察也。

書き下し

古の民は樸にして以て厚く、今の民は巧にして以て偽なり。故に古に效う者は德を先にして治め、今に效う者は刑を前にして法とす。これ世の惑う所なり。今、世の所謂る義なる者は、將に民の好む所を立てて、その惡む所を廢せんとす。この所謂る不義なる者は、將に民の惡む所を立てて、その樂しむ所を廢せんとす。二者は名は貿わり實は易わる、察せざるべからざるなり。

現代語訳

古の人々は素朴で情に厚く、いまの人々は巧みで偽りが多い。だから古に倣う者は徳を先に立てて治め、いまに合わせる者は刑罰を前に置いて法とする。ここが世の人の惑うところである。いま世間でいう「義」とは、民の好むものを立てて、嫌がるものを廃することである。世間でいう「不義」とは、民の嫌がるものを立てて、楽しむものを廃することである。この二つは、名前と中身が入れ替わっている。よく見きわめなければならない。

解説

「名は貿わり実は易わる」——名前と中身が入れ替わっている。世間で義とされていることは、人の好むものを立てて嫌がるものを取り除くことにすぎず、不義とされていることのほうが実は人のためになる、という主張の前置きである。ここから商君書は、義と暴の定義をひっくり返しにかかる。同意するかは別として、名前で判断するなという指摘は常に有効だ。「働き方改革」「風通しのよい職場」——耳あたりのよい名前がついた施策が、実際に何を立てて何を廃しているのか。名前ではなく、それが実際に何を増やし何を減らしたかで見る癖をつけたい。

この章句が説くこと

名は貿わり実は易わる義と不義名前で判断しない古の民は樸正名名実

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