呂氏春秋 / 正名①
名正則治,名喪則亂。使名喪者,淫說也。說淫則可不可而然不然,是不是而非不非。故君子之說也,足以言賢者之實、不肖者之充而已矣,足以喻治之所悖、亂之所由起而已矣,足以知物之情、人之所獲以生而已矣。
新字:名正則治,名喪則乱。使名喪者,淫説也。説淫則可不可而然不然,是不是而非不非。故君子之説也,足以言賢者之実、不肖者之充而已矣,足以喻治之所悖、乱之所由起而已矣,足以知物之情、人之所獲以生而已矣。
書き下し
名正しければ則ち治まり、名喪わるれば則ち亂る。名をして喪わしむる者は、淫説なり。説くこと淫なれば、則ち可ならざるを可として、然らざるを然りとし、是ならざるを是として、非ならざるを非とす。故に君子の説くや、以て賢者の實、不肖者の充を言うに足るのみ。治の悖る所、亂の由りて起こる所を喩すに足るのみ。以て物の情、人の獲て以て生ずる所を知るに足るのみ。
現代語訳
名(名分・概念)が正しければ世は治まり、名が失われれば乱れる。名を失わせるのは、でたらめな言論である。言論がでたらめだと、不可を可とし、そうでないものをそうだとし、正しくないものを正しいとし、間違っていないものを間違いとする。だから君子の言論は、賢者の実質と愚者の実態を言い表すのに足りればよく、政治が乱れる原因と混乱の起こるもとを明らかにするのに足りればよく、事物の実情と、人が何によって生きているかを知るのに足りればよいのである。
解説
名すなわち名分や概念が正しいかどうかが治乱を分けると説く、篇の総論です。名を狂わせるでたらめな言論は、可を不可に、是を非にと価値を逆転させます。だから君子の言葉は、賢愚の実質や治乱の原因、物事の実情を的確に言い表すことに徹すべきだとします。言葉と実体を一致させる正名の思想は、孔子以来の儒家の核心でもあります。概念の混乱が判断を狂わせるという指摘は、言葉が軽んじられ意味がすり替わりがちな現代の議論にも鋭く通じるものです。
この章句が説くこと
正名名実淫説治乱概念の混乱儒家
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論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
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荀子・正名篇異形にして心を離れて交々喩り、異物にして名実玄紐たり、貴賤明らかならず、同異別たれず。是くの如くんば、則ち志に必ず喩らざるの患い有り、而して事に必ず困廃の禍い有り。故に知者は之が為に分別し名を制して以て実を指し、上は以て貴賤を明らかにし、下は以て同異を弁ず。貴賤明らかに、同異別たれ、是くの如くんば則ち志に喩らざるの患い無く、事に困廃の禍い無し。此れ名有る所以なり。
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呂氏春秋・審分⑥今、此に人有り、牛を求むるに則ち馬と名び、馬を求むるに則ち牛と名べば、求むる所必ず得ず。而るに因りて威怒を用うれば、有司必ず誹怨し、牛馬必ず擾亂す。百官は、衆有司なり。萬物は、群牛馬なり。其の名を正さず、其の職を分かたずして、數々刑罰を用うれば、亂焉より大なるは莫し。夫れ說くに智通を以てして實たすに遇悗を以てし、譽むるに高賢を以てして充つるに卑下を以てし、贊するに潔白を以てして隨うに汙德を以てし、任ずんるに公法を以てして處るに貪枉を以てし、用うるに勇敢を以てして堙つるに罷怯を以てす。此の五者は、皆牛を以て馬と為し、馬を以て牛と為す、名正しからざるなり。故に名正しからざれば、則ち人主、憂勞勤苦して、官職、煩亂悖逆す。國の亡ぶるや、名の傷わるるや、此れ從り生ず。之を白くせんとして顧って黑を益し、之を求めんとして愈々得ざるは、其れ此の義か。故に至治の務は、名を正すに在り。名正しければ則ち人主、憂勞せず。憂勞せざれば則ち其の耳目の主を傷わず。問いて詔げず、知りて為さず、和して矜らず、成して處らず。止まる者は行らしめず、行る者は止めず、形に因りて之に任ず。物に制せられず、肯て使と為ること無く、清靜にして以て公、神は六合に通じ、德は海外に耀き、意は無窮に觀れ、譽は無止に流る。此を之れ性を大湫に定むと謂う。之を命づけて無有と曰う。故に路を得て人を忘るれば、乃ち大いに人を得るなり、夫れ其れ道とするに非ずや。德を知り知を忘るれば、乃ち大いに知を得るなり。夫れ其れ德とするに非ずや。至知は幾せず、靜なれば乃ち幾を明らかにするなり。夫れ其れ明ならずや。大明は小事せず。假なれば乃ち事を理むるなり。夫れ其れ假ならずや。莫人は能くせず、全ければ乃ち能を備うるなり。夫れ其れ全からずや。是の故に全に於いては能を去り、假に於いては事を去り、知に於いては幾を去れば、知る所の者は妙たり。此くの若くなれば、則ち能く其の天に順い、意氣は寂寞の宇に游ぶことを得、形性は自然の所に安んずることを得。萬物を全くして宰せず、澤は天下を被いて、其の自りて始まる所を知ること莫し。五者を備えずと雖も、其の之を好む者は是なり。