戦国策 / 楚杜赫說楚王以取趙
楚杜赫說楚王以取趙。王且予之五大夫,而令私行。陳軫謂楚王曰:「赫不能得趙,五大夫不可收也,得賞無功也。得趙而王無加焉,是無善也。王不如以十乘行之,事成,予之五大夫。」王曰:「善」乃以十乘行之。杜赫怒而不行。陳軫謂王曰:「是不能得趙也。」
新字:楚杜赫説楚王以取趙。王且予之五大夫,而令私行。陳軫謂楚王曰:「赫不能得趙,五大夫不可収也,得賞無功也。得趙而王無加焉,是無善也。王不如以十乗行之,事成,予之五大夫。」王曰:「善」乃以十乗行之。杜赫怒而不行。陳軫謂王曰:「是不能得趙也。」
書き下し
楚の杜赫、楚王に説きて以て趙を取らしむ。王且に之に五大夫を予え、私行せしめんとす。陳軫、楚王に謂いて曰わく、「赫趙を得る能わず、五大夫収むべからず、功無くして賞を得るなり。趙を得て王加うる無くんば、是れ善無きなり。王は十乗を以て之を行かしむに如かず、事成らば、之に五大夫を予えよ。」王曰わく、「善し」乃ち十乗を以て之を行かしむ。杜赫怒りて行かず。陳軫、王に謂いて曰わく、「是れ趙を得る能わざるなり。」
現代語訳
楚の杜赫は楚王に、趙を自分の交渉で味方に取り込めると説いた。王は彼に五大夫の位を与え、私的に行かせようとした。陳軫は楚王にこう言った。「杜赫が趙を手に入れられなければ、五大夫の位は取り消せません。それでは功もないのに褒賞を得ることになります。趙を得ても王がそれ以上の加増をしないのであれば、それは杜赫にとって何のよいこともありません。王は十台の車を与えて彼を行かせ、事が成就したときに五大夫の位を与えるのがよいでしょう。」王は「よろしい」と言い、十台の車で行かせた。杜赫は怒って行かなかった。陳軫は王に「これで、彼が趙を手に入れられないことがはっきりしました」と言った。
解説
杜赫が趙を味方に付けられると楚王に説き、先に高位(五大夫)を与えられそうになったところ、陳軫が「功績の前に褒賞を与えるのはおかしい、成功後に与えるべき」と諫め、褒賞を後払いに変えさせた話です。結果、杜赫は不満から出発を拒み、陳軫の見立て通り彼が趙を得る力量を持たなかったことが露呈しました。成果に見合わない先払いの褒賞がいかに組織を歪めるかを示す典型例であり、成果主義的な人事評価の要諦を突いています。現代の契約や人事評価でも、「成果に応じた対価」という原則がなぜ重要かを考えさせる逸話です。
この章句が説くこと
杜赫陳軫論功行賞人事評価楚
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