呂氏春秋 / 精通④
養由基射先,中石,矢乃飲羽,誠乎先也。伯樂學相馬,所見無非馬者,誠乎馬也。宋之庖丁好解牛,所見無非死牛者;三年而不見生牛;用刀十九年,刃若新磨硎,順其理,誠乎牛也。鍾子期夜聞擊磬者而悲,使人召而問之曰:“子何擊磬之悲也?”答曰:“臣之父不幸而殺人,不得生;臣子母得生,而為公家為酒;臣之身得生,而為公家擊磬。臣不睹臣之母三年矣。昔為舍氏睹臣之母,量所以贖之則無有,而身固公家之財也。是故悲也。”鍾子期歎嗟曰:“悲夫,悲夫!心非臂也,臂非椎非石也。悲存乎心而木石應之,故君子誠乎此而諭乎彼,感乎己而發乎人,豈必彊說乎哉?”周有申喜者,亡其母,聞乞人歌於門下而悲之,動於顏色,謂門者內乞人之歌者,自覺而問焉,曰:“何故而乞?”與之語,蓋其母也。故父母之於子也,子之於父母也,一體而兩分,同氣而異息。若草莽之有華實也,若樹木之有根心也,雖異處而相通,隱志相及,痛疾相救,憂思相感,生則相歡,死則相哀,此之謂骨肉之親。神出於忠,而應乎心,兩精相得,豈待言哉?
新字:養由基射先,中石,矢乃飲羽,誠乎先也。伯楽学相馬,所見無非馬者,誠乎馬也。宋之庖丁好解牛,所見無非死牛者;三年而不見生牛;用刀十九年,刃若新磨硎,順其理,誠乎牛也。鍾子期夜聞擊磬者而悲,使人召而問之曰:“子何擊磬之悲也?”答曰:“臣之父不幸而殺人,不得生;臣子母得生,而為公家為酒;臣之身得生,而為公家擊磬。臣不睹臣之母三年矣。昔為舎氏睹臣之母,量所以贖之則無有,而身固公家之財也。是故悲也。”鍾子期嘆嗟曰:“悲夫,悲夫!心非臂也,臂非椎非石也。悲存乎心而木石応之,故君子誠乎此而諭乎彼,感乎己而発乎人,豈必彊説乎哉?”周有申喜者,亡其母,聞乞人歌於門下而悲之,動於顏色,謂門者内乞人之歌者,自覚而問焉,曰:“何故而乞?”与之語,蓋其母也。故父母之於子也,子之於父母也,一体而両分,同気而異息。若草莽之有華実也,若樹木之有根心也,雖異処而相通,隠志相及,痛疾相救,憂思相感,生則相歓,死則相哀,此之謂骨肉之親。神出於忠,而応乎心,両精相得,豈待言哉?
書き下し
養由基、兕を射て、石に中て、矢乃ち飲羽す。兕に誠なればなり。伯樂、馬を相するを學ぶや、見る所馬に非ざる者無し。馬に誠なればなり。宋の庖丁好んで牛を解き、見る所死牛に非ざる者無く、三年にして生牛を見ず。刀を用うること十九年、刃新たに磨研せるが若く、其の理に順う。牛に誠なればなり。鍾子期、夜、磬を撃つ者を聞きて悲しみ、人をして召さしめて之に問いて曰く、「子、何ぞ磬を撃つことの悲しきや。」答えて曰く、「臣の父、不幸にして人を殺し、生を得ず。臣の母は生を得て、公家の為に酒を為り、臣の身は生を得て、公家の為に磬を撃つ。臣、臣の母を睹ざること三年なり。昔、舍氏と為りて臣の母を睹、之を贖う所以を量るに、則ち有る無し。而して身は固より公家の財なり。是の故に悲しむなり。」鍾子期歎嗟して曰く、「悲しいかな、悲しいかな。心は臂に非ざるなり。臂は椎に非ず石に非ざるなり。悲しみ心に存すれば、而ち木石之に應ず。」故に君子、此に誠なれば、而ち彼に諭し、己に感ずれば、而ち人に發すとは、豈に必ずしも彊說ならんや。周に申喜なる者有り。其の母を亡う。乞人の門下に歌うを聞きて、之を悲しんで顏色を動かす。門者に謂いて、乞人の歌う者を内れ、自ら見て焉に問う。曰く、「何の故にして乞う。」之と語れば、蓋し其の母なり。故に父母の子に於けるや、子の父母に於けるや、一體にして兩分、同氣にして異息、草莽の華實有るが若く、樹木の根心有るが若きなり。處を異にすと雖も相通じ、隱志相及び、痛疾相救い、憂思相感じ、生きては則ち相歡び、死しては則ち相哀しむ。此を之れ骨肉の親と謂う。神は忠より出で、心に應ず。兩精相得るは、豈に言を待たんや。
現代語訳
養由基が兕(一角の犀に似た獣)を射ると、実は石に当たったのに、矢は羽まで突き刺さった。獲物である兕に対して心を尽くして集中していたからである。伯楽が馬の鑑定を学ぶと、見るものすべてが馬でないものはなかった。馬に心を尽くしていたからである。宋の庖丁は好んで牛を解体し、見るものすべてが死んだ牛の解体すべき筋目でないものはなく、三年たつと生きた牛の全体が目に入らなくなった。刀を十九年使っても、刃は新たに研いだかのようで、牛の筋理に従った。牛に心を尽くしていたからである。鍾子期が夜、磬(けい)を打つ者の音を聞いて悲しく思い、人にその者を召させて問うた。「そなたはどうしてこれほど悲しげに磬を打つのか」と。答えて言った。「私の父は不幸にも人を殺して、生き延びられませんでした。私の母は生き延びて公家のために酒を造り、私自身は生き延びて公家のために磬を打っています。私は母に三年会っておりません。先ごろ舍氏のもとで母を見かけ、母を贖い出す方法を考えましたが、その手立てはなく、しかも我が身はもとより公家の財産なのです。それゆえ悲しいのです」と。鍾子期は嘆いて言った。「悲しいことよ、悲しいことよ。心は腕ではない。腕は槌でも石でもない。それでも悲しみが心にあれば、木や石の楽器がこれに応えるのだ」と。だから君子はこちら、すなわち自分の心に誠を尽くせば、あちらの相手に伝わり、自分の内に感じれば、他人に伝わり現れるのであって、どうして必ずしも言葉で無理に説く必要があろうか。周に申喜という者がいた。その母と生き別れていた。物乞いが門下で歌うのを聞いて悲しく思い、顔色を変えて、門番に命じてその物乞いの歌う者を中に入れさせ、自ら見て問うた。「どういうわけで物乞いをしているのか」と。その者と語り合うと、なんとそれは自分の母であった。だから、父母の子に対する関係、子の父母に対する関係は、一つの体が二つに分かれ、同じ気でありながら別々に息づいているようなものである。草むらに花と実があるように、樹木に根と芯があるようなものだ。場所を異にしても互いに通じ合い、秘めた思いは互いに及び、痛みや病は互いに救い合い、憂いや思いは互いに感じ合い、生きては互いに歓び、死しては互いに哀しむ。これを骨肉の親(肉親の情)という。精神は真心から発して、相手の心に応じる。二つの精神が互いに通じ合うのに、どうして言葉を待つ必要があろうか。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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