呻吟語 / 外篇・詞章・一人の面指を惡む
一先達為文示予,令改之,予謙讓。先達曰:「某不護短,即令公笑我,只是一人笑。若為我迴護,是令天下笑也。」予極服其誠,又服其智。嗟夫!惡一人面指,而安受天下之背笑者,豈獨文哉?豈獨一二人哉?觀此可以悟矣。
新字:一先達為文示予,令改之,予謙譲。先達曰:「某不護短,即令公笑我,只是一人笑。若為我迴護,是令天下笑也。」予極服其誠,又服其智。嗟夫!悪一人面指,而安受天下之背笑者,豈独文哉?豈独一二人哉?観此可以悟矣。
書き下し
一先達文を為りて予に示し、之を改めしむ。予謙讓す。先達曰く、「某短を護らず。即ち公をして我を笑はしむるも、只だ是れ一人の笑ひなり。若し我が為に迴護せば、是れ天下をして笑はしむるなり」と。予極めて其の誠に服し、又た其の智に服す。嗟夫、一人の面指を惡みて、天下の背笑を安受する者は、豈に獨り文のみならんや。豈に獨り一二人のみならんや。此れを觀て以て悟る可し。
現代語訳
ある先輩が文を作って私に見せ、直させようとしました。私は遠慮しました。先輩は言いました。私は自分の短所を庇いません。あなたに笑われても、一人に笑われるだけです。もし私のために取り繕えば、天下に笑われることになります。私はその誠にすっかり服し、その智にも服しました。ああ、一人に面と向かって指摘されるのを嫌って、天下に陰で笑われるのを甘んじて受ける者は、文だけのことでしょうか。一人二人だけのことでしょうか。これを見て悟るべきです。
解説
文を直させようとした先輩の言葉を記します。直させれば一人に笑われるだけ、庇えば天下に笑われる。指摘を受けることの損得が、数で示されています。著者はその誠と智の両方に服したと書きます。誠だけでなく智と言われているのが要点で、指摘を受けるのは得だという計算があるからです。文に限らないと結ばれています。指摘を受けるのは得だ、という計算があるからです。

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添削一人天下誠智
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