呻吟語 / 外篇・廣喻・君子は經に反るのみ
進香叫佛某不禁,同僚非之。餘憮然曰:「王道荊榛而後蹊逕多。彼所為誠非善事,而心且福利之,為何可弗禁?所賴者緣是以自戒,而不敢為惡也。故歲饑不禁草木之實,待年豐彼自不食矣。善乎孟子之言曰『君子反經而已矣』。『而已矣』三字,旨哉妙哉!涵蓄多少趣味!」
新字:進香叫仏某不禁,同僚非之。余憮然曰:「王道荊榛而後蹊逕多。彼所為誠非善事,而心且福利之,為何可弗禁?所頼者縁是以自戒,而不敢為悪也。故歳饑不禁草木之実,待年豊彼自不食矣。善乎孟子之言曰『君子反経而已矣』。『而已矣』三字,旨哉妙哉!涵蓄多少趣味!」
書き下し
進香叫佛を某禁ぜず。同僚之を非とす。余憮然として曰く、「王道荊榛にして而る後に蹊逕多し。彼の為す所は誠に善事に非ず。而るに心且つ之を福利とす。何為れぞ禁ず可からざらんや。賴る所の者は是に緣りて以て自ら戒めて、敢へて惡を為さざるなり。故に歲饑ゑなば草木の實を禁ぜず、年豐かなるを待たば彼自ら食らはざらん。善いかな孟子の言に曰く『君子は經に反るのみ』と。『而已矣』の三字、旨いかな妙なるかな。涵蓄すること多少の趣味ぞ」と。
現代語訳
香を供え仏を唱えることを、私は禁じませんでした。同僚はこれを非としました。私は気落ちして言いました。王の道が茨に覆われてから、脇道が多くなりました。彼らのしていることは確かに善い事ではありません。しかし心の中でそれを福利だと思っています。どうして禁じられないでしょうか。頼りにするのは、それによって自ら戒め、あえて悪をなさないことです。だから凶作の年には草木の実を禁じません。豊作を待てば彼らは自ずと食べなくなります。孟子の言葉が優れています、君子は常道に返るだけだと。だけだという三字が、実に味わい深い。どれほどの趣きを含んでいることでしょう。
解説
民間の信仰を禁じない理由を説きます。王の道が塞がったから脇道が多くなったのであって、脇道だけを塞いでも意味がありません。しかも彼らはそれで悪をなさずにいます。そして飢饉の例が置かれます。凶作の年に草木の実を禁じないのは、豊作になれば自ずと食べなくなるからです。代わりを用意せずに禁じないという、実際的な判断になっています。代わりを用意せずに禁じない、という判断です。脇道が多いのは、本道が塞がったからだとされます。
この章句が説くこと
信仰禁じない脇道飢饉反経
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