呻吟語 / 外篇・治道・吾が利なるや否やを計るのみ
當事者,須有賢聖心腸,英雄才識。其謀國憂民也,出於惻怛至誠;其圖事揆策也,必極詳慎精密、躊躕及於九有,計算至於千年,其所施設,安得不事善功成、宜民利國?今也懷貪功喜事之念,為孟浪苟且之圖,工粉飾彌縫之計,以遂其要榮取貴之奸,為萬姓造殃不計也,為百年開釁不計也,為四海耗蠹不計也,計吾利否耳。嗚呼!可勝歎哉!
新字:当事者,須有賢聖心腸,英雄才識。其謀国憂民也,出於惻怛至誠;其図事揆策也,必極詳慎精密、躊躕及於九有,計算至於千年,其所施設,安得不事善功成、宜民利国?今也懐貪功喜事之念,為孟浪苟且之図,工粉飾弥縫之計,以遂其要栄取貴之奸,為万姓造殃不計也,為百年開釁不計也,為四海耗蠹不計也,計吾利否耳。嗚呼!可勝嘆哉!
書き下し
當事者は、須らく賢聖の心腸、英雄の才識有るべし。其の國を謀り民を憂ふるや、惻怛至誠より出づ。其の事を圖り策を揆るや、必ず詳慎精密を極め、躊躕して九有に及び、計算して千年に至る。其の施設する所、安んぞ事善く功成り、民に宜しく國を利せざるを得んや。今や貪功喜事の念を懷き、孟浪苟且の圖を為し、粉飾彌縫の計を工にし、以て其の榮を要し貴を取るの奸を遂ぐ。萬姓の為に殃を造るも計らざるなり。百年の為に釁を開くも計らざるなり。四海の為に耗蠹するも計らざるなり。吾が利なるや否やを計るのみ。嗚呼、歎ずるに勝ふ可けんや。
現代語訳
事に当たる者は、聖賢の心と英雄の才識を持つべきです。国を謀り民を憂えるのは、痛み悼む誠から出ます。事を図り策を測るのは、必ず詳しく慎み精密を極め、ためらいは天下の隅々に及び、計算は千年に至ります。その施策が、どうして事が善く功が成り、民に合い国を利さないでしょうか。今は功を貪り事を喜ぶ思いを抱き、軽はずみで間に合わせの企てを立て、取り繕い縫い合わせる計らいを巧みにして、栄えを求め貴さを取る奸を遂げます。万民のために災いを作っても考えません。百年のために亀裂を開いても考えません。天下のために食い潰しても考えません。ただ自分の利になるかどうかを考えるだけです。ああ、嘆ききれるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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