呻吟語 / 外篇・治道・其の線を提ぐる故なり
一呼吸間,四肢百骸無所不到;一痛癢間,手足心知無所不通,一身之故也。無論人生,即偶提一線而渾身俱動矣,一脈之故也。守令者,一郡縣之線也。監司者,一省路之線也。君相者,天下之線也。心知所及,而四海莫不精神;政令所加,而萬姓莫不鼓舞者何?提其線故也。令一身有痛癢而不知覺,則為癡迷之心矣。手足不顧,則為痿痹之手足矣。三代以來,上下不聯屬久矣。是人各一身,而家各一情也,死生欣戚不相感,其罪不在下也。
新字:一呼吸間,四肢百骸無所不到;一痛癢間,手足心知無所不通,一身之故也。無論人生,即偶提一線而渾身倶動矣,一脈之故也。守令者,一郡県之線也。監司者,一省路之線也。君相者,天下之線也。心知所及,而四海莫不精神;政令所加,而万姓莫不鼓舞者何?提其線故也。令一身有痛癢而不知覚,則為痴迷之心矣。手足不顧,則為痿痹之手足矣。三代以来,上下不聯属久矣。是人各一身,而家各一情也,死生欣戚不相感,其罪不在下也。
書き下し
一呼吸の間、四肢百骸到らざる所無し。一痛癢の間、手足心知通ぜざる所無し。一身の故なり。人生を論ずる無く、即ち偶たま一線を提ぐれば渾身俱に動く。一脈の故なり。守令は、一郡縣の線なり。監司は、一省路の線なり。君相は、天下の線なり。心知の及ぶ所にして、四海精神ならざる莫く、政令の加はる所にして、萬姓鼓舞せざる莫きは何ぞ。其の線を提ぐる故なり。一身をして痛癢有りて知覺せざらしむれば、則ち癡迷の心と為る。手足顧みずんば、則ち痿痹の手足と為る。三代以來、上下聯屬せざること久し。是れ人は各おの一身にして、家は各おの一情なり。死生欣戚相ひ感ぜざるは、其の罪下に在らざるなり。
現代語訳
ひと呼吸のあいだに、四肢百骸すべてに届きます。ひとつの痛みや痒みに、手足も心も通じないところがありません。同じ一つの身だからです。人に限らず、たまたま一本の糸を引けば全身がともに動きます。一つの脈だからです。郡県の長は一郡県の糸です。監司は一省の糸です。君と宰相は天下の糸です。心の知るところが四海すべてに精神として届き、政令の及ぶところで万民が鼓舞されるのはなぜか。その糸を引くからです。もし身に痛みや痒みがあって気づかなければ、それは痴れた心です。手足を顧みなければ、それは萎えた手足です。三代より後、上下が繋がらなくなって久しい。人はそれぞれ一身、家はそれぞれ一情です。死生や喜び悲しみが互いに感じ合わないのは、その罪が下にあるのではありません。
解説

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