呻吟語 / 内篇・應務・鳥の卵を抱くを孚と曰ふ
中孚,妙之至也。格天動物不在形跡言語。事為之末;苟無誠以孚之,諸皆糟粕耳,徒勤無益於義;鳥抱卵曰孚,從爪從子,血氣潛入而子隨母化,豈在聲色?豈事造作?學者悟此,自不怨天尤人。
新字:中孚,妙之至也。格天動物不在形跡言語。事為之末;苟無誠以孚之,諸皆糟粕耳,徒勤無益於義;鳥抱卵曰孚,従爪従子,血気潜入而子随母化,豈在声色?豈事造作?学者悟此,自不怨天尤人。
書き下し
中孚は、妙の至りなり。天を格し物を動かすは形跡言語に在らず。事為は之れ末なり。苟しくも誠の以て之に孚する無くんば、諸は皆な糟粕のみ。徒らに勤むるも義に益無し。鳥の卵を抱くを孚と曰ふ。爪に從ひ子に從ふ。血氣潛かに入りて子母に隨ひて化す。豈に聲色に在らんや、豈に造作を事とせんや。學者此を悟らば、自ら天を怨み人を尤めず。
現代語訳
中孚は妙の極みです。天を動かし物を動かすのは、形跡や言葉にはありません。事や行いは末です。もし誠がそこに通っていなければ、どれもみな酒かすにすぎません。いくら勤めても義の益になりません。鳥が卵を抱くことを孚と言います。爪と子という字からできています。血の気がひそかに入り、雛は母に随って化していきます。どうして声や色にあるでしょうか。どうして作り事を事とするでしょうか。学ぶ者がこれを悟れば、自ずと天を怨まず人を咎めなくなります。
解説
孚という字の成り立ちから、感化の本質を説きます。親鳥が爪で卵を抱く姿が字の由来で、声も形も無いまま、温もりだけで雛が化していく。言葉や行いは末にすぎず、誠が通っていなければ酒かすだ、と。そして最後に、これを悟れば天も人も怨まなくなると結びます。効かないのは自分の誠が足りないからだ、という筋になっています。
この章句が説くこと
孚感化誠形跡無言
関連する章句
-
『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
-
呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
-
荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
-
言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
-
論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
-
『武士道』第七章 至誠信實・礼に過ぐれば諂いとなる礼もし誠を欠かば諧謔となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『礼に過ぐれば諂ひとなる』と。又た菅公が誠の歌に、『心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん』とあるは、ポローニアスが、『自から已に誠なるべし。さらば人に誠無き能はず』との訓言に比するに、義はなはだ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を帰し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す』と曰ひ、且つ流麗快達の弁を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動かさずして変じ、無為にして成すと説く。其旨の深玄にして神秘の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトン学説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。