呻吟語 / 内篇・應務・碱蓬は碱地に生ず
不須犯一口說,不須著一意念,只恁真真誠誠行將去,久則自有不言之信,默成之孚,薰之善良,遍為爾德者矣。碱蓬生於碱地,燃之可碱;鹽蓬生於鹽地,燃之可鹽。
新字:不須犯一口説,不須著一意念,只恁真真誠誠行将去,久則自有不言之信,黙成之孚,薫之善良,遍為爾徳者矣。碱蓬生於碱地,燃之可碱;塩蓬生於塩地,燃之可塩。
書き下し
一口の說を犯すを須ひず、一意念を著くるを須ひず、只だ恁く真真誠誠に行ひ將ち去らば、久しければ則ち自ら不言の信、默成の孚有り、之を善良に薰じ、遍く爾の德と為る者ならん。碱蓬は碱地に生じ、之を燃やせば碱とす可し。鹽蓬は鹽地に生じ、之を燃やせば鹽とす可し。
現代語訳
一言も口に出す必要はなく、一つの思いを込める必要もありません。ただそのように真に誠に行い続ければ、長い時を経て自ずと言葉によらない信と、黙って成る信頼が生まれ、人を善良に薫らせ、あまねくあなたの徳となります。灰蓬は灰の土地に生え、焼けば灰になります。塩蓬は塩の土地に生え、焼けば塩になります。
解説
影響を与える方法として、言葉も意図も要らないと言います。ただ誠に行い続ければ、黙っていても信が生まれる。そして二つの草の例が添えられます。灰の土地の草は灰になり、塩の土地の草は塩になる。育った場所がそのまま中身になるという比喩で、人も同じだという含みです。感化が環境として働くことを示した一段です。感化が、環境として働くことを示した一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
感化無言誠環境土壌
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