呻吟語 / 内篇・問學・心術・學術・政術
心術、學術、政術,此三者不可不辨也。心術要辨個誠偽,學術要辨個邪正,政術要辨個王伯。總是心術誠了,別個再不差。
新字:心術、学術、政術,此三者不可不弁也。心術要弁個誠偽,学術要弁個邪正,政術要弁個王伯。総是心術誠了,別個再不差。
書き下し
心術・學術・政術、此の三つの者は辨ぜざる可からざるなり。心術は個の誠偽を辨ずるを要し、學術は個の邪正を辨ずるを要し、政術は個の王伯を辨ずるを要す。總て是れ心術誠なりと了はらば、別個再び差はず。
現代語訳
心の持ち方、学びの立て方、政のやり方。この三つは見分けねばなりません。心の持ち方では誠か偽かを見分け、学びの立て方では邪か正かを見分け、政のやり方では王道か覇道かを見分けます。しかしすべて、心の持ち方が誠であれば、他の二つは狂いません。
解説
三つの領域に、それぞれ見分けるべき対を割り当てます。誠と偽、邪と正、王と覇。そして最後に、心術さえ誠なら残りは狂わないと言い切ります。三つを並列に扱わず、一つを根に置いたところが要点で、順序が示されているので迷いません。前に出てきた、根を一つにせよという主張の応用になっています。三つを並列に扱わず、一つを根に置いたところが要点です。
この章句が説くこと
心術学術政術誠順序
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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『武士道』第七章 至誠信實・礼に過ぐれば諂いとなる礼もし誠を欠かば諧謔となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『礼に過ぐれば諂ひとなる』と。又た菅公が誠の歌に、『心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん』とあるは、ポローニアスが、『自から已に誠なるべし。さらば人に誠無き能はず』との訓言に比するに、義はなはだ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を帰し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す』と曰ひ、且つ流麗快達の弁を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動かさずして変じ、無為にして成すと説く。其旨の深玄にして神秘の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトン学説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。