呻吟語 / 内篇・修身・其の身有るは以て天下を為む可からず
《易》稱「道濟天下」,而吾儒事業動稱行道濟時、濟世安民。聖人未嘗不貴濟也。舟覆矣,而保得舟在,謂之濟可乎?故為天下者,患知有其身,有其身不可以為天下。
新字:《易》称「道済天下」,而吾儒事業動称行道済時、済世安民。聖人未嘗不貴済也。舟覆矣,而保得舟在,謂之済可乎?故為天下者,患知有其身,有其身不可以為天下。
書き下し
《易》に「道もて天下を濟ふ」と稱す。而して吾が儒の事業は動もすれば道を行ひ時を濟ひ、世を濟ひ民を安んずと稱す。聖人は未だ嘗て濟ふを貴ばずんばあらず。舟覆るも、而も舟の在るを保ち得ば、之を濟ふと謂ひて可ならんや。故に天下を為むる者は、其の身有るを知るを患ふ。其の身有るは以て天下を為む可からず。
現代語訳
易には、道によって天下を救うとあります。そして我々儒者の仕事は、何かにつけて道を行い時を救い、世を救い民を安んずると称します。聖人が救うことを尊ばなかったことはありません。しかし舟がひっくり返ったのに、舟だけは残っていると言って、それを救ったと言えるでしょうか。だから天下を治める者は、自分の身があることを意識するのを恐れます。自分の身があるようでは天下を治められません。
解説
舟が沈んだのに舟だけ残っても救ったとは言わない。この一言で、名目だけの救済を切り捨てます。そして結論は身の始末に及び、自分の身を勘定に入れているうちは天下を治められないと言います。前に出てきた、克己から無我へという道筋の、政の場での言い換えです。自分の安全を確保したうえで人を救うことはできないという、厳しい線引きになっています。
この章句が説くこと
救済無我責任名目身
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