説苑 / 辨物
楚昭王渡江,有物大如斗,直觸王舟,止於舟中;昭王大怪之,使聘問孔子。孔子曰:「此名萍實。」令剖而食之:「惟霸者能獲之,此吉祥也。」其後齊有飛鳥一足來下,止於殿前,舒翅而跳,齊侯大怪之,又使聘問孔子。孔子曰:「此名商羊,急告民趣治溝渠,天將大雨。」於是如之,天果大雨,諸國皆水,齊獨以安。孔子歸,弟子請問,孔子曰:「異時小兒謠曰:楚王渡江得萍實,大如拳,赤如日,剖而食之,美如蜜。此楚之應也。兒又有兩兩相牽,屈一足而跳,曰:天將大雨,商羊起舞。今齊獲之,亦其應也。夫謠之後,未嘗不有應隨者也,故聖人非獨守道而已也,睹物記也,即得其應矣。」
新字:楚昭王渡江,有物大如斗,直触王舟,止於舟中;昭王大怪之,使聘問孔子。孔子曰:「此名萍実。」令剖而食之:「惟覇者能獲之,此吉祥也。」其後斉有飛鳥一足来下,止於殿前,舒翅而跳,斉侯大怪之,又使聘問孔子。孔子曰:「此名商羊,急告民趣治溝渠,天将大雨。」於是如之,天果大雨,諸国皆水,斉独以安。孔子帰,弟子請問,孔子曰:「異時小児謡曰:楚王渡江得萍実,大如拳,赤如日,剖而食之,美如蜜。此楚之応也。児又有両両相牽,屈一足而跳,曰:天将大雨,商羊起舞。今斉獲之,亦其応也。夫謡之後,未嘗不有応随者也,故聖人非独守道而已也,睹物記也,即得其応矣。」
書き下し
楚の昭王江を渡るに、物有りて大いさ斗の如く、直ちに王の舟に触れ、舟中に止まる。昭王大いに之を怪しみ、使いをして孔子に聘問せしむ。孔子曰わく、「此れ萍実(へいじつ)と名づく。」剖(さ)きて之を食らわしめて曰わく、「惟だ覇者のみ能く之を獲(う)。此れ吉祥なり。」其の後斉に飛鳥一足なる有りて来下し、殿前に止まり、翅を舒(の)べて跳ぶ。斉侯大いに之を怪しみ、又使いをして孔子に聘問せしむ。孔子曰わく、「此れ商羊と名づく。急ぎ民に告げて趣(すみ)やかに溝渠を治めしめよ。天将に大いに雨ふらんとす。」是に於いて之の如くすれば、天果たして大いに雨ふり、諸国皆水す。斉独り以て安し。孔子帰るに、弟子問うことを請う。孔子曰わく、「異時(かつて)小児謠に曰わく、楚王江を渡りて萍実を得たり、大いさ拳の如く、赤きこと日の如し、剖きて之を食らえば、美なること蜜の如しと。此れ楚の応なり。児又両両相牽き、一足を屈して跳び、曰わく、天将に大いに雨ふらんとす、商羊起きて舞うと。今斉之を獲たるも、亦た其の応なり。夫れ謠の後、未だ嘗て応の随う者有らざるなし。故に聖人は独り道を守るのみに非ざるなり、物を睹て記す、即ち其の応を得るなり。」
現代語訳
楚の昭王が長江を渡っていたとき、大きさが斗ほどもある物体が、まっすぐ王の舟にぶつかり、舟の中に留まった。昭王は大いにこれを不思議に思い、使者に孔子へ問い合わせさせた。孔子は言った。「これは萍実(浮き草の実)という。」それを割って食べさせて言った。「これはただ覇者だけが手に入れることができるものです。これは吉兆です。」その後、斉に一本足の飛ぶ鳥が舞い降り、宮殿の前に留まり、翼を広げて跳ねた。斉侯は大いにこれを不思議に思い、また使者に孔子へ問い合わせさせた。孔子は言った。「これは商羊という鳥です。急いで民に告げて速やかに用水路を整備させなさい。まもなく天が大雨を降らせるでしょう。」そこでその通りにすると、果たして天は大雨を降らせ、諸国はみな水害に見舞われたが、斉だけは無事であった。孔子が帰国すると、弟子たちが尋ねたいと請うた。孔子は言った。「かつて子供たちの歌に『楚王が長江を渡って萍実を得た、大きさは拳ほどで、赤いことは太陽のようで、割って食べればその美味しさは蜜のようだ』とあった。これは楚のあの出来事の予兆であった。子供たちはまた、二人ずつ手をつなぎ、片足を曲げて跳びながら『まもなく天が大雨を降らせる、商羊が起きて舞う』と歌っていた。今回斉がこの鳥を得たのも、またその予兆であった。そもそも童謡が歌われた後には、必ずそれに対応する出来事が起こらないことはない。だから聖人はただ道を守っているだけではなく、物事をよく観察して記憶し、そうしてこそその予兆を正しく理解できるのである。」
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・致思楚王江を渡るに、江中に物有り大いさ斗の如く、円くして赤く、直ちに王の舟に触る。舟人之を取り、王大いに之を怪しみ、遍く群臣に問うも、之を識る莫し。王使いを魯に聘せしめ、孔子に問わしむ。子曰わく、「此れ所謂萍実なる者なり。剖きて食う可きなり、吉祥なり。唯だ覇者のみ獲ることを能くす。」 使者反り、王遂に之を食らい、大いに美なり。之を久しくして使い来たりて以て魯の大夫に告ぐ、大夫子遊に因りて問いて曰わく、「夫子何を以て其の然るを知るや。」 曰わく、「吾昔鄭に之き、陳の野を過ぐるとき、童謡を聞くに曰わく、『楚王江を渡りて萍実を得たり、大いさ斗の如く、赤きこと日の如し、剖きて之を食らえば甜きこと蜜の如し』と。此れ是れ楚王の応なり。吾是を以て之を知る。」
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孔子家語・辯政齊に一足の鳥有り、飛びて宮朝に集まり、下りて殿前に止まり、翅を舒べて跳る。齊侯大いに之を怪しみ、使いをして魯に聘わしめ、孔子に問う。孔子曰わく、「此の鳥名づけて商羊と曰う、水祥なり。昔童兒其の一腳を屈むる有り、兩眉を振訊わせ、跳りて且つ謠いて曰わく、『天將に大雨ふらんとす、商羊鼓舞す。』と。今齊之有り、其の應至れり。」急ぎ民に告げて溝渠を治め、堤防を修めしめ、將に大水の災を為さんとするに趨かしむ。頃之にして大霖雨あり、水溢れて諸國に泛れ、民人を傷害す。唯だ齊のみ備え有りて、敗れず。景公曰わく、「聖人の言、信にして征あり。」
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説苑・辨物成王の時、三苗桑を貫きて生じ、同じく一穂と為る有り、大いさ幾ど車に盈つ。民得て之を成王に上る。成王周公に問う、「此れ何ぞや。」周公曰わく、「三苗同じく秀でて一と為る、意うに天下其れ和して一と為らんとするか。」後三年にして越裳氏重訳して朝す。曰わく、「道路悠遠にして、山川阻深し、恐らくは一使の通ぜざらんことを、故に三訳を重ねて来朝するなり。」周公曰わく、「徳沢加えざれば、則ち君子其の質を饗せず。政令施さざれば、則ち君子其の人を臣とせず。」訳曰わく、「吾命を吾が国の黄髪に受くること久し。天の烈風淫雨無きは、意うに中国に聖人有るか。有らば則ち盍(なん)ぞ之に朝せざらんや。」然る後に周公敬んで其の来たる所以を受く。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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説苑・君道楚の昭王疾有り。之を卜して曰く、「河祟を為す」と。大夫三牲を用いんことを請う。王曰く、「止めよ、古の先王は地を割き土を制め、祭は望を過ぎず。江・漢・睢・漳は楚の望なり。禍福の至るや、是に過ぎず。不穀不徳なりと雖も、河は罪を獲る所に非ず」と。遂に祭らず。仲尼之を聞きて曰く、「昭王は天道を知ると謂うべし、其の国を失わざるや宜なるかな」と。
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説苑・辨物季桓子井を穿ちて土缶を得たり。中に羊有り。以て孔子に問うに、狗を得たりと言う。孔子曰わく、「吾が聞く所を以てすれば、狗に非ず、乃ち羊なり。木の怪を夔罔両(きもうりょう)と曰い、水の怪を龍罔象(りゅうもうぞう)と曰い、土の怪を墳羊(ふんよう)と曰う、狗に非ざるなり。」桓子曰わく、「善いかな。」