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説苑 / 建本

今夫闢地殖谷,以養生送死,銳金石,雜草藥以攻疾,各知構室屋以避暑雨,累台榭以避潤濕,入知親其親,出知尊其君,內有男女之別,外有朋友之際,此聖人之德教,儒者受之傳之,以教誨於後世。今夫晚世之惡人,反非儒者曰:何以儒為?如此人者,是非本也,譬猶食谷衣絲,而非耕織者也;載於船車,服而安之,而非主匠者也;食於釜甑,須以生活,而非陶冶者也;此言違於情而行蒙於心者也。如此人者,骨肉不親也,秀士不友也,此三代之棄民也,人君之所不赦也。故詩云:「投畀豺虎,豺虎不食,投畀有北,有北不受,投畀有昊。」此之謂也。

新字:今夫闢地殖谷,以養生送死,銳金石,雑草薬以攻疾,各知構室屋以避暑雨,累台榭以避潤湿,入知親其親,出知尊其君,內有男女之別,外有朋友之際,此聖人之徳教,儒者受之伝之,以教誨於後世。今夫晩世之悪人,反非儒者曰:何以儒為?如此人者,是非本也,譬猶食谷衣糸,而非耕織者也;載於船車,服而安之,而非主匠者也;食於釜甑,須以生活,而非陶冶者也;此言違於情而行蒙於心者也。如此人者,骨肉不親也,秀士不友也,此三代之棄民也,人君之所不赦也。故詩云:「投畀豺虎,豺虎不食,投畀有北,有北不受,投畀有昊。」此之謂也。

書き下し

今夫れ地を闢き谷を殖え、以て生を養い死を送り、金石を鋭くし草薬を雑えて以て疾を攻め、各室屋を構えて以て暑雨を避くるを知り、台榭を累ねて以て潤湿を避け、入りては其の親を親しむを知り、出でては其の君を尊ぶを知り、内に男女の別有り、外に朋友の際有り、此れ聖人の徳教にして、儒者之を受けて之を伝え、以て後世に教誨す。今夫れ晩世の悪人、反りて儒者を非りて曰わく、何を以て儒と為すやと。此くの如き人は、是れ本を非とするなり。譬えば猶お穀を食い絲を衣て耕織する者を非るがごとし。船車に載りて服して之を安んじながら主匠を非るがごとし。釜甑に食して以て生活を須いながら陶冶を非るがごとし。此れ情に違いて行い心に蒙わるる者を言うなり。此くの如き人は、骨肉親しまず、秀士友とせず、此れ三代の棄民なり、人君の赦さざる所なり。故に詩に云う、「畀す豺虎に投げよ、豺虎食わずんば、之を有北に投げよ、有北受けずんば、之を有昊に投げよ」と。此を之れ謂うなり。

現代語訳

そもそも土地を開墾し穀物を植えて生者を養い死者を送り、金属や石を鋭利にし薬草を調合して病を治し、それぞれが家屋を建てて暑さや雨を避けることを知り、高殿を重ねて湿気を避け、家庭内では親を親しみ、外では君主を尊び、家庭内には男女の区別があり、対外的には朋友との交わりがある――これは聖人の徳による教えであり、儒者はこれを受け継ぎ後世に伝え教えてきた。ところが今の世の悪人は、かえって儒者を非難して「儒者など何の役に立つのか」と言う。このような人は物事の根本を否定しているのである。たとえば穀物を食べ絹を着ながら耕作や機織りをする者を非難するようなものであり、船や車に乗って安んじながらその作り手を非難するようなものであり、釜や甑で煮炊きして生活しながら陶工や鋳物師を非難するようなものである。これは実情に反し、心が道理に暗い者の言うことである。このような人は肉親からも親しまれず、優れた士人からも友とされない。これは三代(夏殷周)の時代に見捨てられるべき民であり、君主が赦さない者である。だから詩経に「豺や虎に投げ与えよ、豺や虎が食わなければ、北の果てに投げよ、北の果てが受け入れなければ、天に投げ与えよ」とあるのは、まさにこのことを言うのである。

解説

恩恵を受けながらその恩恵を作り出す者を軽んじる態度への痛烈な批判である。穀物を食べながら農民を蔑み、乗り物を使いながら職人を蔑む矛盾を並べることで、儒者の教えを軽視する者の欺瞞を鮮やかに暴き出す。現代でも、教育や医療、行政といった目に見えにくい基盤を支える人々の労苦を忘れ、その恩恵だけを当然のものとして享受しながら批判する構図は形を変えて存在する。自分が依拠している基盤への感謝を欠いた批判は、結局のところ自分自身の足元を掘り崩すことに等しいと、この章は教えている。

この章句が説くこと

恩義矛盾儒者

この一句を、あなたの毎日に。

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