説苑 / 臣術
趙簡主從晉陽之邯鄲,中路而止,引車吏進問何為止,簡主曰:「董安于在後。」吏曰:「此三軍之事也,君奈何以一人留三軍也?」簡主曰:「諾。」驅之百步又止,吏將進諫,董安于適至,簡主曰:「秦道之與晉國交者,吾忘令人塞之。」董安于曰:「此安于之所為後也。」簡主曰:「官之寶璧吾忘令人載之。」對曰:「此安于之所為後也。」簡主可謂內省外知人矣哉!故身佚國安,御史大夫周昌曰:「人主誠能如趙簡主,朝不危矣。」晏子侍於景公,朝寒請進熱食,對曰:「嬰非君之廚養臣也,敢辭。」公曰:「請進服裘。」對曰:「嬰非田澤之臣也,敢辭。」公曰:「然,夫子於寡人奚為者也?」對曰:「社稷之臣也。」公曰:「何謂社稷之臣?」對曰:「社稷之臣,能立社稷,辨上下之宜,使得其理;制百官之序,使得其宜;作為辭令,可分佈於四方。」自是之後,君不以禮不見晏子也。
新字:趙簡主従晉陽之邯鄲,中路而止,引車吏進問何為止,簡主曰:「董安于在後。」吏曰:「此三軍之事也,君奈何以一人留三軍也?」簡主曰:「諾。」駆之百歩又止,吏将進諫,董安于適至,簡主曰:「秦道之与晉国交者,吾忘令人塞之。」董安于曰:「此安于之所為後也。」簡主曰:「官之宝璧吾忘令人載之。」対曰:「此安于之所為後也。」簡主可謂内省外知人矣哉!故身佚国安,御史大夫周昌曰:「人主誠能如趙簡主,朝不危矣。」晏子侍於景公,朝寒請進熱食,対曰:「嬰非君之廚養臣也,敢辞。」公曰:「請進服裘。」対曰:「嬰非田沢之臣也,敢辞。」公曰:「然,夫子於寡人奚為者也?」対曰:「社稷之臣也。」公曰:「何謂社稷之臣?」対曰:「社稷之臣,能立社稷,弁上下之宜,使得其理;制百官之序,使得其宜;作為辞令,可分佈於四方。」自是之後,君不以礼不見晏子也。
書き下し
趙の簡主晋陽より邯鄲に従く、中路にして止まる。引車の吏進みて何為れぞ止まるかを問う。簡主曰く、「董安于後に在り」と。吏曰く、「此れ三軍の事なり、君奈何ぞ一人を以て三軍を留むるや」と。簡主曰く、「諾」と。之を駆りて百歩、又止まる。吏将に進みて諫めんとするに、董安于適々至る。簡主曰く、「秦道の晋国と交わる者、吾人をして之を塞がしむるを忘る」と。董安于曰く、「此れ安于の後たる所以なり」と。簡主曰く、「官の宝璧吾人をして之を載せしむるを忘る」と。対えて曰く、「此れ安于の後たる所以なり」と。簡主内省外知人と謂うべきかな。故に身佚して国安し。御史大夫周昌曰く、「人主誠に能く趙簡主の如くならば、朝危うからず」と。晏子景公に侍す。朝寒く熱食を進めんことを請う。対えて曰く、「嬰は君の廚養の臣に非ず、敢えて辞す」と。公曰く、「請う服裘を進めん」と。対えて曰く、「嬰は田沢の臣に非ず、敢えて辞す」と。公曰く、「然らば夫子寡人に於いて奚を為す者ぞや」と。対えて曰く、「社稷の臣なり」と。公曰く、「何をか社稷の臣と謂うや」と。対えて曰く、「社稷の臣は、能く社稷を立て、上下の宜しきを弁じ、其の理を得しめ、百官の序を制して、其の宜しきを得しめ、辞令を作為して、四方に分布すべし」と。是自り後、君礼を以てせずんば晏子に見えざるなり。
現代語訳
趙の簡主が晋陽から邯鄲に向かう途中、道の途中で止まった。車を引く役人が進み出て、なぜ止まるのかと尋ねた。簡主は「董安于が後方にいる」と言った。役人は「これは三軍全体の行軍です。君はどうして一人のために三軍を留めるのですか」と言った。簡主は「わかった」と言って、また百歩進ませたが、また止まった。役人がまさに諫めようとしたところ、董安于がちょうど到着した。簡主は「秦の道が晋国と交わる場所を、私は人に命じて塞がせるのを忘れていた」と言った。董安于は「これが私が遅れた理由です」と言った。簡主は「役所の宝石を、私は人に命じて積ませるのを忘れていた」と言った。董安于は答えた、「これも私が遅れた理由です」と。簡主は内省と外の人物を知ることを兼ね備えていたというべきである。だからその身は安逸で国も安泰であった。御史大夫の周昌は「君主が本当に趙簡主のようであれば、朝廷は危うくならない」と言った。晏子が景公に仕えていた。ある朝寒かったので、温かい食事を進めようとした。晏子は「私は君の料理番の臣下ではありません、失礼させていただきます」と答えた。公は「では毛皮の衣を進めよう」と言った。晏子は「私は狩猟の管理をする臣下ではありません、失礼させていただきます」と答えた。公は「それではあなたは私にとって何をする者なのか」と尋ねた。晏子は「社稷(国家)の臣です」と答えた。公は「社稷の臣とはどういうことか」と尋ねた。晏子は答えた。「社稷の臣とは、国家を立て、上下の宜しきを弁え、その道理を得させ、百官の秩序を整えて、その適切さを得させ、外交辞令を作って、四方に広く行き渡らせることができる者です。」これ以後、公は礼を尽くさなければ晏子に会うことはなかった。
解説
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説苑・臣術晏子朝す、敝車に乗り駑馬に駕す。景公之を見て曰く、「嘻、夫子の禄寡なきか、何ぞ乗ること任えざるの甚だしきや」と。晏子対えて曰く、「君の賜に頼りて、以て三族及び国の交遊を寿からしめ皆生を得しむ。臣暖衣飽食を得、敝車駑馬、以て其の身を奉ずるは、臣に於いて足れり」と。晏子出づ。公梁丘拠をして輅車乗馬を遺らしむ。三たび返して受けず。公悦ばず、趣ぎて晏子を召す。晏子至る。公曰く、「夫子受けざれば、寡人も亦た乗らじ」と。晏子対えて曰く、「君臣をして百官の吏に臨ましめ、其の衣服飲食の養を節して、以て斉国の人に先んぜしむ。然れども猶お其の侈靡にして其の行いを顧みざらんことを恐る。今輅車乗馬、君之に上に乗り、臣も亦た之に下に乗らば、民の義無くして、其の衣食を侈にして其の行いを顧みざる者は、臣以て之を禁ずる無し」と。遂に譲りて受けず。
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説苑・臣術晏子方に食す、君の使者至る、食を分かちて之を食わしむ、晏子飽かず。使者返りて之を景公に言う。景公曰く、「嘻、夫子の家是くの若く其れ貧しきか、寡人知らざるなり、是れ寡人の過ちなり」と。吏をして千家の県一を晏子に致さしむ。晏子再拝して辞して曰く、「嬰の家貧しからず、君の賜を以て、沢三族に覆い、延いて交遊に及び、以て百姓を振う、君の賜厚し、嬰の家貧しからざるなり。嬰聞く、厚く之を君に取りて厚く之を人に施すは、君に代わりて君と為すなり、忠臣為さざるなり。厚く之を君に取りて之を蔵するは、是れ筐筴の存するなり、仁人為さざるなり。厚く之を君に取りて之を施す所無きは、身死して財遷る、智者為さざるなり。嬰聞く、人臣為るは、進みて上に事うるに忠を以てせず、退きて下に克たざるを以て廉と為す、八升の布、一豆の食、足れり」と。使者三たび返り、遂に辞して受けず。陳成子鴟夷子皮に謂いて曰く、「常に何を与にせん」と。対えて曰く、「君死せば吾死せず、君亡ぶれば吾亡びず」と。陳成子曰く、「然らば子何を以て常に与にせん」と。対えて曰く、「未だ死せずして死を去り、未だ亡びずして亡を去る、其れ何の死亡か之有らんや。命に従いて君を利するを之れ順と謂い、命に従いて君を病ましむるを之れ諛と謂い、命に逆らいて君を利するを之れ忠と謂い、命に逆らいて君を病ましむるを之れ乱と謂う。君過ち有りて諫諍せず、将に国を危うくし社稷を殞さんとするに、能く言を君に尽くす者有り、用いらるれば則ち之に留まり、用いられざれば則ち之を去る、之を諫と謂う。用いらるれば則ち生くべく、用いられざれば則ち死す、之を諍と謂う。能く比和同力して群下を率いて相い与に君を強矯する者有り、君安からずと雖も、聴かざる能わず、遂に国の大患を解き、国の大害を除き、尊君安国に成る、之を輔と謂う。能く君の命に亢い、君の事に反し、君の重きを竊みて以て国の危を安んじ、主の辱を除去し攻伐して以て国の大利を成すに足る者有り、之を弼と謂う。故に諫諍輔弼の人は、社稷の臣なり。明君の尊礼する所にして、闇君以て己が賊と為す。故に明君の賞する所は、闇君の殺す所なり。明君問を好み闇君独りを好み、明君賢を上げ能を使いて其の功を享け、闇君賢を畏れ能を妒みて其の業を減じ、其の忠を罰して、其の賊を賞す。夫れ是を之れ至闇と謂う、桀紂の亡ぶる所以なり。詩に云う、『曾て是れ聴くこと莫く、大命以て傾く』と、此を之れ謂うなり」と。
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説苑・反質晏子景公に酒を飲ましむ、日暮れて、公火を具えしめんと呼ぶ、晏子辭して曰く、「詩に曰く、『側牟の俄たり。』德を失うを言うなり。『屢々舞いて傞傞たり。』容を失うを言うなり。『既に醉うに酒を以てし、既に飽くに德を以てす。』『既に醉いて出で、並びに其の福を受く。』賓主の禮なり。『醉いて出でざる、是を伐德と謂う。』賓主の罪なり。嬰已に其の日を卜せるも、未だ其の夜を卜せざるなり。」と。公曰く、「善し。」と。酒を舉げて之を祭り、再拜して出で、曰く、「豈に我を過つや?吾國を晏子に託するなり。其の家貧しくして寡人を善くするを以て、淫侈を欲せざるなり、而るを況んや寡人と國を謀るをや?」と。
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説苑・君道斉の景公、晏子に問いて曰く、「寡人夫子に従いて斉国の政を善くせんと欲す」と。対えて曰く、「嬰之を聞く、国官を具えて后政善くすべしと」と。景公色を作して曰く、「斉国小なりと雖も、則ち何為れぞ官を具えざらんや」と。対えて曰く、「此れ臣の復する所に非ざるなり。昔先君桓公、身体墮懈し、会を辞して給せざれば、則ち隰朋侍り。左右過多く、刑罰中らざれば、則ち弦章侍り。居処肆縦にして、左右懾畏すれば、則ち東郭牙侍り。田野修まらず、人民安からざれば、則ち甯戚侍り。軍吏怠り、戎士偷ければ、則ち王子成父侍り。徳義中らず、信行衰微すれば、則ち筦子侍り。先君能く人の長を以て其の短を続ぎ、人の厚きを以て其の薄きを補う。是を以て辞令窮遠にして逆らわず、兵有罪に加えて頓せず。是の故に諸侯其の徳に朝して天子其の胙を致す。今君の失多し、未だ一士の以て聞こゆる者有らざるなり、故に未だ具わらずと曰う」と。景公曰く、「善し。吾聞く高繚夫子と遊ぶと。寡人請う之に見えん」と。晏子曰く、「臣聞く、地の為に戦う者は王を成す能わず、禄の為に仕うる者は政を成す能わずと。高繚と嬰と兄弟為ること久し、未だ嘗て嬰の過ちを干し、嬰の闕を補わず、特だ進仕の臣なるのみ、何ぞ以て君を補うに足らんや」と。
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説苑・臣術景公酒を飲む、陳桓子侍り、晏子を望み見て公に復して曰く、「請う晏子を浮せん」と。公曰く、「何の故ぞや」と。対えて曰く、「晏子緇布の衣、麋鹿の裘、棧軫の車にして駑馬を駕して以て朝す、是れ君の賜を隠すなり」と。公曰く、「諾」と。酌者觴を奉じて之を進めて曰く、「君子に浮せよと命ず」と。晏子曰く、「何の故ぞや」と。陳桓子曰く、「君卿位を賜いて以て其の身を尊くし、之を百万に寵して以て其の家を富ませ、群臣の爵、子より尊きは莫く、禄子より厚きは莫し。今子布衣の衣、麋鹿の裘、棧軫の車にして駑馬を駕して以て朝す、則ち是れ君の賜を隠すなり、故に子を浮す」と。晏子席を避けて曰く、「請う飲みて而る後に辞せんか、其れ辞して而る後に飲まんか」と。公曰く、「辞して然る後に飲め」と。晏子曰く、「君卿位を賜いて以て其の身を顕かにす、嬰敢えて顕の為に受けざるなり、君令を行うが為なり。之を百万に寵して以て其の家を富ませ、嬰敢えて富の為に受けざるなり、君の賜を通ずるが為なり。臣聞く、古の賢臣厚賜を受けて其の国族を顧みざれば、則ち之を過つ。事に臨みて職を守り其の任に勝えざれば、則ち之を過つ。君の内隸、臣の父兄、若し離散して野鄙に在る者有らば、此れ臣の罪なり。君の外隸、臣の職とする所、若し播亡して四方に在る者有らば、此れ臣の罪なり。兵革完からず、戦車修まらざるは、此れ臣の罪なり。夫の敝車駑馬を若し以て朝主するは、臣の罪に非ざるなり。且つ臣君の賜を以て、臣の父の党車に乗らざる無く、母の党以て衣食に足らざる無く、妻の党凍餒する者無く、国の簡士臣を待ちて後に火を挙ぐる者数百家なり。此くの如きは君の賜を隠すか、君の賜を彰すか」と。公曰く、「善し、我が為に桓子を浮せよ」と。
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説苑・政理晏子、東阿を治むること三年、景公召して之を数めて曰く、「吾子を以て可なりとし、子をして東阿を治めしむ。今子治めて乱る。子退きて自ら察せよ。寡人将に大誅を子に加えんとす。」晏子対えて曰く、「臣請う道を改め行いを易えて東阿を治めん。三年治まらずんば、臣死を請わん。」景公之を許す。是に於て明年上計するに、景公迎えて之を賀して曰く、「甚だ善きかな、子の東阿を治むるや。」晏子対えて曰く、「前に臣の東阿を治むるや、属託行われ、貨賂至り、并せて賦斂を会し、倉庫内るる少なく、便事は左右にし、陂池の魚は権家に入る。此の時に当りて、饑うる者半ばを過ぐ。君乃ち反って迎えて臣を賀す。愚にして復た東阿を治むる能わず、骸骨を乞い、賢者の路を避けんことを願う。」再拝便辟す。景公乃ち席を下りて之に謝して曰く、「子強いて復た東阿を治めよ。東阿は子の東阿なり、寡人復た与らざるなり。」