戦国策 / 鄭同北見趙王
鄭同北見趙王。趙王曰:「子南方之傳士也,何以教之?」鄭同曰:「臣南方草鄙之人也,何足問?雖然,王致之於前,安敢不對乎?臣少之時,親嘗教以兵。」趙王曰:「寡人不好兵。」鄭同因撫手仰天而笑之曰:「兵固天下之狙喜也,臣故意大王不好也。臣亦嘗以兵說魏昭王,昭王亦曰:『寡人不喜。』臣曰:『王之行能如許由乎?許由無天下之累,故不受也。今王既受先王之傳,欲宗廟之安,壤地不削,社稷之血食乎?』王曰:『然。』今有人操隨侯之珠,持丘之環,萬金之財,時宿於野,內無孟賁之威,荊慶之斷,外無弓弩之禦,不出宿夕,人必危之矣。今有強貪之國,臨王之境,索王之地,告以理則不可,說以義則不聽。王非戰國守圉之具,其將何以當之?王若無兵,鄰國得志矣。」趙王曰:「寡人請奉教。」
新字:鄭同北見趙王。趙王曰:「子南方之伝士也,何以教之?」鄭同曰:「臣南方草鄙之人也,何足問?雖然,王致之於前,安敢不対乎?臣少之時,親嘗教以兵。」趙王曰:「寡人不好兵。」鄭同因撫手仰天而笑之曰:「兵固天下之狙喜也,臣故意大王不好也。臣亦嘗以兵説魏昭王,昭王亦曰:『寡人不喜。』臣曰:『王之行能如許由乎?許由無天下之累,故不受也。今王既受先王之伝,欲宗廟之安,壤地不削,社稷之血食乎?』王曰:『然。』今有人操随侯之珠,持丘之環,万金之財,時宿於野,内無孟賁之威,荊慶之断,外無弓弩之禦,不出宿夕,人必危之矣。今有強貪之国,臨王之境,索王之地,告以理則不可,説以義則不聴。王非戦国守圉之具,其将何以当之?王若無兵,鄰国得志矣。」趙王曰:「寡人請奉教。」
書き下し
鄭同北のかた趙王に見ゆ。趙王曰く、「子は南方の伝士なり、何を以て之を教えんとするか」と。鄭同曰く、「臣は南方草鄙の人なり、何ぞ問うに足らんや。然りと雖も、王之を前に致せば、安んぞ敢えて対えざらんや。臣少きの時、親嘗て教うるに兵を以てせり」と。趙王曰く、「寡人兵を好まず」と。鄭同因りて手を撫し天を仰ぎて之を笑いて曰く、「兵は固より天下の狙喜なり、臣故に大王の好まざるを意えり。臣も亦た嘗て兵を以て魏の昭王に説けり、昭王も亦た曰く、『寡人喜ばず』と。臣曰く、『王の行いは能く許由の若くならんや。許由は天下の累無し、故に受けざるなり。今王既に先王の伝を受け、宗廟の安きを欲し、壌地削られず、社稷の血食せんことを欲するか』と。王曰く、『然り』と。今人有りて随侯の珠を操り、丘の環を持ち、万金の財あり、時に野に宿らば、内に孟賁の威、荊慶の断無く、外に弓弩の禦無くんば、宿夕を出でずして、人必ず之を危うくせん。今強貪の国有り、王の境に臨みて、王の地を索む、告ぐるに理を以てすれば則ち不可、説くに義を以てすれば則ち聴かず。王戦国守圉の具に非ずんば、其れ将に何を以て之に当たらんとするか。王若し兵無くんば、鄰国志を得ん」と。趙王曰く、「寡人請う教えを奉ぜん」と。
現代語訳
鄭同が北へ向かい趙王に謁見した。趙王は言った。「そなたは南方から来た遊説の士だそうだが、何を教えてくれるのか。」鄭同は言った。「私は南方の田舎者にすぎません、どうしてお尋ねになるに値しましょうか。とはいえ、王が私をこの御前にお召しになった以上、あえてお答えしないわけにはまいりません。私は若いころ、親から兵法を教わりました。」趙王は言った。「私は兵を好まぬ。」鄭同はそこで手を打ち、天を仰いで笑いながら言った。「兵とはもともと天下の人々がひそかに求めてやまないものです。ですから私は、大王が兵を好まぬとおっしゃるだろうと予想しておりました。私もかつて兵法をもって魏の昭王に説いたことがあります。昭王もまた『私は好まぬ』と言われました。私は申し上げました。『王の行いは、あの許由のようになれましょうか。許由は天下の重責を負う必要がなかったからこそ、帝位を受けなかったのです。ところが今、王はすでに先王からの伝統を受け継いでおられます。宗廟の安泰を望み、領地が削られず、社稷(国家)がいつまでも祭祀を絶やさぬことを望んでおられるのではありませんか。』王は『その通りだ』と言われました。今、ある人が随侯の珠のような貴重な玉や、丘の環のような宝、万金の財産を持ちながら、たまたま野宿することがあったとして、内に孟賁のような勇者の威も、荊軻や豫譲のような果断な護衛もなく、外に弓や弩による防備もなければ、一晩を過ごさぬうちに、その人は必ず危険にさらされるでしょう。今、強欲な国があり、王の国境に迫って、王の領地を求めています。道理を説いても聞き入れず、大義を説いても従いません。王が国を守るための備えを持たなければ、一体何をもってこれに対抗なさるのですか。王にもし軍備がなければ、隣国は思い通りに事を運ぶでしょう。」趙王は「私は謹んで教えをお受けしよう」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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戦国策・魏使人因平原君請從於趙魏、人をして平原君に因りて従を趙に請わしむ。三たび之を言うも、趙王聴かず。出でて虞卿に遇いて曰く、「入らば必ず従を語れ」と。虞卿入る。王曰く、「今者平原君魏の為に従を請う、寡人聴かず。其れ子に於いて何如」と。虞卿曰く、「魏過てり」と。王曰く、「然り、故に寡人聴かざるなり」と。虞卿曰く、「王も亦た過てり」と。王曰く、「何ぞや」と。曰く、「凡そ強弱の事を挙ぐるや、強きは其の利を受け、弱きは其の害を受く。今魏従を求めて、王聴かず、是れ魏は害を求めて、王は利を辞するなり。臣故に曰く、魏過てり、王も亦た過てりと」と。
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戦国策・秦攻趙秦趙を攻む、蘇子秦王の爲に謂いて曰く、「臣聞く、明王の其の民に於けるや、博く論じて之に技藝せしむ、是の故に官に事を乏しくすること無くして力困しまず。其の言に於けるや、多く聽きて時に之を用う、是の故に事に敗業無くして惡章れず。臣願わくは王臣の謁する所を察して、之を一時の用に效さんことを。臣聞く、重寶を懷く者は、夜を以て行かず。大功を任ずる者は、敵を輕んぜず。是を以て賢者は任重くして行い恭しく、知者は功大にして辭順う。故に民其の尊きを惡まずして、世其の業を妒まず。臣之を聞く、百倍の國なる者は、民後るるを樂しまざるなり。功業世に高き者は、人主再び行わざるなり。力盡くるの民は、仁者用いざるなり。求めて得て反りて靜かなるは、聖主の制なり。功大にして民を息うるは、用兵の道なり。今兵を用いて終身休まず、力盡くるも罷めず、趙の怒り必ず其の己の邑に於てせん、趙僅かに存するかな。然れども四輪の國なり、今邯鄲を得と雖も、國の長利に非ず。意うに、地廣くして耕さず、民羸れて休まず、又之を嚴にするに刑罰を以てせば、則ち從うと雖も止まざらん。語に曰く、『戰い勝ちて國危うき者は、物斷たざればなり。功大にして權輕き者は、地入らざればなり』と。故に過任の事は、父も子に得ず、已む無きの求めは、君も臣に得ず。故に微を著と爲すは強く、民を息うるの用と爲るを察するは伯たり、輕きの重きと爲るを明らかにするは王たり。」秦王曰く、「寡人兵を案じ民を息わば、則ち天下必ず從を爲し、將に以て秦に逆らわんとせん。」蘇子曰く、「臣天下の從を爲して以て秦に逆らう能わざるを知る有り。臣田單・如耳を以て大過と爲す。豈に獨り田單・如耳のみ大過と爲さんや、天下の主も亦盡く過てり。夫れ亡齊・罷楚・敝魏と知る可からざるの趙とを收めんことを慮り、以て秦を窮し韓を折らんと欲す、臣以て至愚と爲す。夫れ齊の威・宣は、世の賢主なり、德博くして地廣く、國富みて民を用い、將武にして兵彊し。宣王之を用い、後韓を富ませ魏を威し、南のかた楚を伐ち、西のかた秦を攻め、齊の兵の爲に殽塞の上に困しめられ、十年地を攘い、秦人遠く迹して服せず、而して齊虛戾と爲る。夫れ齊の兵の破るる所以、韓・魏の僅かに存する所以は、何ぞや。是れ則ち楚を伐ち秦を攻めて、後に其の殃を受くればなり。今富は齊の威・宣の餘有るに非ず、精兵は富韓勁魏の庫有るに非ず、而して將は田單・司馬の慮有るに非ず。破齊・罷楚・弊魏・知る可からざるの趙を收め、以て秦を窮し韓を折らんと欲す、臣以て至誤と爲す。臣從の一つも成る可からずと以う。客に難ずる者有り、今臣世に患い有り。夫れ刑名の家、皆曰う『白馬は馬に非ず』と。已に白馬實に馬の如くならば、乃ち白馬の爲有らしむ。此れ臣の患うる所なり。「昔者、秦人兵を下して懷を攻め、其の人を服す、三國之に從う。趙奢・鮑佞將たり、楚に四人有りて起ちて之に從う。懷に臨みて救わず、秦人去りて從わず。識らず三國の秦を憎みて懷を愛するか、其の懷を憎みて秦を愛するを忘るるか。夫れ攻めて救わず、去りて從わず、是を以て三國の兵困しみて、趙奢・鮑佞の能なり。故に地を裂きて以て齊に敗る。田單齊の良を將い、兵を以て中に橫行すること十四年、終身敢えて兵を設けて秦を攻め韓を折らず、而して封內に馳す、識らず從の一つ成るや惡くにか存する。」是に於て秦王兵を解きて境より出でず、諸侯休み、天下安く、二十九年相攻めず。
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戦国策・蘇秦說齊閔王臣聞くならく、兵を用いて天下に先んずるを喜ぶ者は憂え、約結して主怨を喜ぶ者は孤なりと。夫れ後に起つ者は藉るなり、而して怨みを遠ざくる者は時なり。是を以て聖人の事を従うるや、必ず権に藉りて時に興るを務む。夫れ権藉なる者は、万物の率なり。而して時勢なる者は、百事の長なり。故に権籍無く、時勢に倍けば、能く事を成す者は寡し。今干将・莫邪と雖も、人の力を得るに非ざれば、則ち割劌する能わず。堅箭利金も、弦機の利を得ざれば、則ち遠く殺す能わず。矢銛からざるに非ず、而して剣利ならざるに非ざるなり、何となれば則ち、権藉存らざればなり。何を以て其の然るを知るや。昔者趙氏衛を襲うに、車舎人休まず傅き、衛国の城割平し、衛の八門土となりて二門墮つ、此れ亡国の形なり。衛君跣行して、遡りて魏に告ぐ。魏王身に甲を被り剣を底ぎ、趙に挑みて戦を索む。邯鄲の中騒ぎ、河・山の間乱る。衛是の藉を得て、亦た余甲を収めて北面し、剛平を残い、中牟の郭を墮す。衛は趙より強きに非ず、之を譬うれば衛は矢にして魏は弦機なり、力を魏に藉りて河東の地を有つ。趙氏懼れ、楚人趙を救いて魏を伐ち、州西に戦い、梁門を出で、軍林中に舎し、馬大河に飲う。趙是の藉を得て、亦た魏の河北を襲いて棘溝を焼き、黄城を墜す。故に剛平の残なるや、中牟の墮なるや、黄城の墜なるや、棘溝の焼なるや、此れ皆趙・魏の欲する所に非ざるなり。然れども二国之を勧め行わしむる者は、何ぞや。衛時権の藉を明らかにすればなり。今世の国を為むる者は然らず。兵弱くして強きに敵するを好み、国罷れて衆怨を好み、事敗れて之を鞠むるを好み、兵弱くして人に下るを憎み、地狭くして大に敵するを好み、事敗れて詐りを長くするを好む。此の六者を行いて伯たらんことを求むれば、則ち遠し。臣聞く、善く国を為むる者は、民の意に順いて、兵の能を料り、然る後に天下に従うと。故に約するに人の主怨を為さず、伐つに人の為に強を挫かず。此くの如くんば、則ち兵費えず、権軽んぜられず、地広むべく、欲成すべきなり。昔者、齊の韓・魏と与に秦・楚を伐つや、戦うこと甚だ疾きに非ざるなり、地を分つこと又た韓・魏より多きに非ざるなり、然れども天下独り咎を齊に帰する者は、何ぞや。其の韓・魏の為に怨みを主とするを以てなり。且つ天下遍く兵を用う、齊・燕戦い、趙氏中山を兼ね、秦・楚戦いて韓・魏休まず、而して宋・越専ら其の兵を用う。此の十国なる者は、皆相敵するを以て意と為すも、独り心を齊に挙ぐる者は、何ぞや。約して主怨を好み、伐ちて強を挫くを好めばなり。且つ夫れ強大の禍は、常に人に王たらんことを以て意と為せばなり。夫れ弱小の殃は、常に人を謀るを以て利と為せばなり。是を以て大国危うく、小国滅ぶ。大国の計は、後に起ちて不義を重ねて伐つに若くは莫し。夫れ後起の籍与多くして兵勁ければ、則ち事衆強を以て罷寡に適る、兵必ず立たん。事天下の心を塞がざれば、則ち利必ず附かん。大国此を行えば、則ち名号攘わずして至り、伯王為さずして立たん。小国の情は、僅静にして諸侯に信を寡くするに如くは莫し。僅静なれば、則ち四鄰反かず。諸侯に信を寡くすれば、則ち天下売らず。外売らず、内反かざれば、則ち禍を擯け朽腐して用いず、幣帛矯蠹して服せず。小国此を道とすれば、則ち祠らずして福あり、貸さずして足るを見ん。故に曰く、仁を祖とする者は王たり、義を立つる者は伯たり、兵を用いて窮する者は亡ぶと。何を以て其の然るを知るや。昔呉王夫差強大を以て天下に先んじ、強いて郢を襲いて越を棲め、身諸侯の君に従わしめ、而して卒に身死し国亡び、天下の戮と為る者は、何ぞや。此れ夫差平居にして王たらんことを謀り、強大にして天下に先んずるを喜ぶの禍なり。昔者萊・莒謀を好み、陳・蔡詐を好み、莒越を恃みて滅び、蔡晋を恃みて亡ぶ、此れ皆内に詐を長じ、外に諸侯を信ずるの殃なり。此に由りて之を観れば、則ち強弱大小の禍、前事に見るべし。語に曰く、「騏驥の衰うるや、駑馬之に先んじ、孟賁の倦むや、女子之に勝つ」と。夫れ駑馬・女子は、筋骨の力勁きこと、騏驥・孟賁より賢るに非ざるなり。何となれば則ち、後起の藉なればなり。今天下の相い与にするや並びに滅びず、有りて兵を案じて後に起ち、怨みを寄せて不直を誅し、微しく兵を用いて義に寄すれば、則ち天下を亡ぼすこと跼足して須つべし。諸侯の故に明らかにして、地形の理に察する者は、約さずして親しみ、相い質せずして固く、趨らずして疾く、衆事にして反かず、交割して相い憎まず、倶に彊くして加うるに親を以てす。何となれば則ち、形同憂にして兵利に趨ればなり。何を以て其の然るを知るや。昔者齊・燕桓の曲に戦い、燕勝たず、十万の衆尽く。胡人燕の楼煩数県を襲い、其の牛馬を取る。夫れ胡の齊と与にするは素より親しきに非ず、而して兵を用うるも又た約質して燕を謀るに非ず、然れども相い趨るに甚だしき者は、何ぞや。何となれば則ち形同憂にして兵利に趨ればなり。此れに由りて之を観れば、同形に約すれば則ち利長く、後起すれば則ち諸侯趨役すべし。故に明主察相、誠に伯王を以て志と為さんと欲すれば、則ち戦攻は先んずる所に非ず。戦なる者は、国の残なり、而して都県の費なり。残費已に先んずれば、能く諸侯に従う者は寡し。彼の戦なる者の残と為すや、士戦を聞けば則ち私財を輸して軍市を富まし、飲食を輸して死士を待ち、轅を折らしめて之を炊がしめ、牛を殺して士に觴す、則ち是れ君を路くすの道なり。中人禱祝し、君醸を翳い、通都小県社を置き、市有るの邑事を止めて王を奉ぜざる莫し、則ち此れ中を虚しくするの計なり。夫れ戦の明日、尸死し傷を扶く、功有るが若しと雖も、軍費を出だし、中哭泣すれば、則ち主の心を傷ましむ。死者は家を破りて葬り、夷傷する者は財を空しくして薬を共し、完き者は内に酺して楽を華にす、故に其の費死傷する者と鈞し。故に民の費やす所や、十年の田も償わざるなり。軍の出だす所、矛戟折れ、鐶弦絶え、弩を傷り、車を破り、馬を罷らし、矢を亡うこと大半なり。甲兵の具は、官の私かに出だす所、士大夫の匿す所、廝養の士の竊む所、十年の田も償わざるなり。天下此の再費有れば、能く諸侯に従う者は寡し。攻城の費は、百姓襜蔽を理め、衝櫓を挙げ、家総を雑え、身窟穴し、中刀金に罷る。而して士土功に困しみ、将甲を釈かず、期数にして能く城を抜く者は亟やかなりと為すのみ。上教うるに倦み、士兵に断たる、故に三たび城を下して能く敵に勝つ者は寡し。故に曰く、彼の戦攻なる者は、先んずる所に非ずと。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤范・中行氏を攻め、其の君を殺し、其の国を滅ぼし、又た西のかた晋陽を囲み、二国を吞兼して、一主を憂う、此れ兵を用うるの盛んなるなり。然れども智伯卒に身死し国亡び、天下の笑いと為る者は、何の謂いぞや。兵戦攻を先んじて、二子の患を滅ぼせばなり。日者、中山悉く起ちて燕・趙を迎え、南のかた長子に戦いて、趙氏を敗り、北のかた中山に戦いて、燕軍に克ち、其の将を殺す。夫れ中山は千乗の国なるに、万乗の国二つに敵し、再戦して北勝す、此れ兵を用うるの上節なり。然れども国遂に亡び、君臣齊に於てする者は、何ぞや。戦攻の患いを嗇まざればなり。此れに由りて之を観れば、則ち戦攻の敗、前事に見るべし。今世の所謂善く兵を用うる者は、終に戦いて勝を比らべ、守りて抜くべからず、天下称して善しと為し、一国得て之を保てば、則ち国の利に非ざるなり。臣聞く、戦いて大いに勝つ者は、其の士死する多くして兵益弱く、守りて抜くべからざる者は、其の百姓罷れて城郭露わるると。夫れ士外に死し、民内に残われ、而して城郭境に露わるれば、則ち王の楽しみに非ざるなり。今夫れ鵠的は人に罪を咎むるに非ざるなり、弓を便め弩を引きて之を射るに、中つる者は則ち善しとし、中てざれば則ち愧ず、少長貴賤、則ち心を之を貫くに同じくする者は、何ぞや。其の人に難きを示すを悪めばなり。今窮戦して勝を比べ、守りて必ず抜くべからざれば、則ち是れ徒に人に難きを示すのみに非ざるなり、又た且つ人を害する者なり、然らば則ち天下之を仇とすること必せり。夫れ士を罷らせ国を露わし、而して多く天下と仇を為せば、則ち明君居らざるなり。素より強兵を用いて之を弱くすれば、則ち察相事とせざるなり。彼の明君察相なる者は、則ち五兵動かずして諸侯従い、辞譲すれども重賂至る。故に明君の攻戦するや、甲兵軍を出でずして敵国勝ち、衝櫓を施さずして辺城降り、士民知らずして王業至る。彼の明君の事に従うや、財を用うること少なく、日を曠しくすること遠くして利を為すこと長き者なり。故に曰く、兵後に起てば則ち諸侯趨役すべしと。臣の聞く所、攻戦の道師に非ざる者は、百万の軍有りと雖も、之を堂上に比げ、闔閭・呉起の将有りと雖も、之を戸内に禽にし、千丈の城も、之を尊俎の間に抜き、百尺の衝も、之を衽席の上に折る。故に鍾鼓竽瑟の音絶えずして、地広むべく欲成すべし。和楽倡優侏儒の笑い之かずして、諸侯同日に致すべし。故に名天地に配するも尊しと為さず、利海内を制するも厚しと為さず。故に夫れ善く王業を為す者は、天下を労して自ら佚し、天下を乱して自ら安んずるに在り、諸侯成謀無ければ、則ち其の国宿憂無きなり。何を以て其の然るを知るや。佚治我に在り、労乱天下に在れば、則ち王の道なり。鋭兵来れば則ち之を拒み、患至れば則ち之に趨き、諸侯をして成謀無からしめば、則ち其の国宿憂無し。何を以て其の然るを知るや。昔者魏王土千里を擁し、甲を帯ぶる者三十六万、其の強くして邯鄲を抜き、西のかた定陽を囲み、又た十二諸侯を従えて天子に朝せしめ、以て西のかた秦を謀る。秦王之を恐れ、寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、境内に令して、尽く堞中に戦具を為し、竟に守備を為し、死士の為に将を置きて、以て魏氏を待つ。衛鞅秦王に謀りて曰く、「夫れ魏氏は其の功大にして、令天下に行われ、十二諸侯有りて天子に朝せしむ、其の与すること必ず衆し。故に一秦を以て大魏に敵するは、恐らくは如かざらん。王何ぞ臣をして魏王に見えしめざる、則ち臣請う必ず魏を北げしめん」と。秦王許諾す。衛鞅魏王に見えて曰く、「大王の功大なり、令天下に行わる。今大王の従う所の十二諸侯は、宋・衛に非ざれば、則ち鄒・魯・陳・蔡なり、此れ固より大王の鞭箠を以て使う所にして、以て天下に王たるに足らず。大王は北のかた燕を取り、東のかた齊を伐つに若かず、則ち趙必ず従わん。西のかた秦を取り、南のかた楚を伐てば、則ち韓必ず従わん。大王齊・楚を伐つの心有りて、天下の志に従わば、則ち王業見われん。大王は先ず王服を行い、然る後に齊・楚を図るに如かず」と。魏王衛鞅の言を説び、故に身公宮を広め、丹衣柱を制し、九斿を建て、七星の旟に従う。此れ天子の位なるに、魏王之に処る。是に於て齊・楚怒り、諸侯齊に奔り、齊人魏を伐ち、其の太子を殺し、其の十万の軍を覆す。魏王大いに恐れ、跣行して国に兵を按じ、東のかた齊に次る、然る後に天下乃ち之を舍す。是の時に当り、秦王垂拱して西河の外を受け、而して魏王を徳とせず。故に曰く、衛鞅の始め秦王と計るや、謀約席を下らずして、尊俎の間に言い、謀堂上に成りて、魏将に齊に禽にせられんとす。衝櫓未だ施さずして、西河の外秦に入る。此れ臣の所謂堂上に比げ、将を戸内に禽にし、城を尊俎の間に抜き、衝を衽席の上に折るという者なり。
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戦国策・蘇秦將為從北說燕文侯蘇秦、將に從を為さんとし、北のかた燕の文侯に說きて曰く、「燕は東に朝鮮・遼東有り、北に林胡・樓煩有り、西に雲中・九原有り、南に呼沱・易水有り。地は方二千餘里、帶甲數十萬、車七百乘、騎六千疋、粟は十年を支う。南に碣石・鴈門の饒有り、北に棗粟の利有り、民田作に由らずと雖も、棗栗の實、民を食うに足れり。此れ所謂天府なり。夫れ安樂無事にして、覆軍殺將の憂いを見ざること、燕に過ぐるは無し。大王其の然る所以を知るか。夫れ燕の寇を犯され兵を被らざる所以の者は、趙の南に蔽を為すを以てなり。秦・趙五たび戰い、秦再び勝ちて趙三たび勝つ。秦・趙相弊れて、王全燕を以て其の後を制す、此れ燕の難を犯されざる所以なり。且つ夫れ秦の燕を攻むるや、雲中・九原を踰え、代・上谷を過ぎ、埊を彌ぎり道を踵ぐこと數千里、燕城を得と雖も、秦の計固より守る能わざるなり。秦の燕を害する能わざること亦明らかなり。今趙の燕を攻むるや、號令を發興し、十日に至らずして、數十萬の眾、東垣に軍せん。呼沱を度り、易水を涉り、四五日に至らずして、國都に距らん。故に曰く、秦の燕を攻むるや、千里の外に戰い、趙の燕を攻むるや、百里の內に戰うと。夫れ百里の患を憂えずして、千里の外を重んず、計此れより過つ者無し。是の故に願わくは大王趙と從親し、天下一と為らば、則ち國必ず患無からんと。」燕王曰く、「寡人國小さく、西のかた強秦に迫られ、南のかた齊・趙に近し。齊・趙は強國なり、今主君幸いに之を教詔せば、從を合わせて以て燕を安んぜん、敬んで國を以て從わん」と。是に於て蘇秦に車馬金帛を齎らして以て趙に至らしむ。
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戦国策・為齊獻書趙王斉の為に書を趙王に献ず。臣をして復丑と与に曰わしむ、「臣一たび見えて、能く王をして坐しながら天下をして名宝を致さしむ。而るに臣竊かに王の試みに臣を見えずして、臣を窮せしむるを怪しむ。群臣必ず多く臣を以て能わずと為す、故に王重ねて臣に見えず。臣を以て能わずと為す者は他に非ず、王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち交わり偏する所有る者なり。然らずんば、則ち知足らざる者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を恐れしめて、王に行を取らんと欲する者なり。臣は斉を以て王に循事すれば、王は能く燕を亡ぼし、能く韓・魏を亡ぼし、能く秦を攻め、能く秦を孤にせしむ。臣以為えらく、斉、尊名を王に致さば、天下孰か敢えて尊名を王に致さざらんや。臣、斉を以て地を王に致さば、天下孰か敢えて地を王に致さざらんや。臣、斉の為に王の名を燕及び韓・魏に求めば、孰か敢えて之を辞せんや。臣の能や、其の前すでに見るべし。斉先ず王を重んず、故に天下尽く王を重んず。斉無くば、天下必ず尽く王を軽んぜん。秦の彊きも、斉無きの故を以て王を重んじ、燕・魏も自ら斉無きを以ての故に王を重んず。今王斉無くんば、独り安んぞ天下に重んぜられざるを得んや。故に王に斉無からしめんと勧むる者は、知足らざるに非ざれば、則ち不忠なる者なり。然らずんば、則ち王の兵を用いて其の私を成さんと欲する者なり。然らずんば、則ち天下の重きを以て王を軽んじ、王に行を取らんと欲する者なり。然らずんば、則ち位尊くして能く卑しき者なり。願わくは王の斉無きの利害を熟慮せんことを。」
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戦国策・建信君貴於趙建信君趙に貴し。公子魏牟趙を過ぐ、趙王之を迎え、顧みて反りて坐に至れば、前に尺帛有り、且に工をして以て冠を為さしめんとす。工客の来たるを見るや、因りて辟く。趙王曰く、「公子乃ち後車を駆り、幸いに以て寡人に臨む、願わくは天下を為むる所以を聞かん」と。魏牟曰く、「王能く王の国を重んずること此の尺帛の若くせば、則ち王の国大いに治まらん」と。趙王説ばず、顔色に形れて曰く、「先生寡人の不肖にして、社稷を奉ぜしむるを知らずして、豈に敢えて国を軽んずること此くの若くせんや」と。魏牟曰く、「王怒る無かれ、請う王の為に之を説かん」と。曰く、「王此の尺帛有り、何ぞ前の郎中をして以て冠を為さしめざる」と。王曰く、「郎中冠を為るを知らず」と。魏牟曰く、「冠を為りて之を敗るとも、奚ぞ王の国に虧けんや。而るに王は必ず工を待ちて后に乃ち之を使う。今天下の工為る者、或いは非なり、社稷虚戻と為り、先王血食せずして、王工に以てせずして、乃ち幼艾に与う。且つ王の先帝、犀首を駕して馬服を驂とし、以て秦と角逐す。秦当時其の鋒に適う。今王憧憧として、乃ち建信を輦して以て強秦と角逐す、臣恐らくは秦王の椅を折らんことを」と。