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戦国策 / 蘇秦說齊閔王

蘇秦說齊閔王曰:「臣聞用兵而喜先天下者憂,約結而喜主怨者孤。夫後起者藉也,而遠怨者時也。是以聖人從事,必藉於權而務興於時。夫權藉者,萬物之率也;而時勢者,百事之長也。故無權籍,倍時勢,而能事成者寡矣。「今雖干將、莫邪,非得人力,則不能割劌矣。堅箭利金,不得弦機之利,則不能遠殺矣。矢非不銛,而劍非不利也,何則?權藉不在焉。何以知其然也?昔者趙氏襲衛,車舍人不休傅,衛國城割平,衛八門土而二門墮矣,此亡國之形也。衛君跣行,告遡於魏。魏王身被甲底劍,挑趙索戰。邯鄲之中騖,河、山之間亂。衛得是藉也,亦收餘甲而北面,殘剛平,墮中牟之郭。衛非強於趙也,譬之衛矢而魏弦機也,藉力魏而有河東之地。趙氏懼,楚人救趙而伐魏,戰於州西,出梁門,軍舍林中,馬飲於大河。趙得是藉也,亦襲魏之河北燒棘溝,墜黃城。故剛平之殘也,中牟之墮也,黃城之墜也,棘溝之燒也,此皆非趙、魏之欲也。然二國勸行之者,何也?衛明於時權之藉也。今世之為國者不然矣。兵弱而好敵強,國罷而好眾怨,事敗而好鞠之,兵弱而憎下人也,地狹而好敵大,事敗而好長詐。行此六者而求伯,則遠矣。「臣聞善為國者,順民之意,而料兵之能,然後從於天下。故約不為人主怨,伐不為人挫強。如此,則兵不費,權不輕,地可廣,欲可成也。昔者,齊之與韓、魏伐秦、楚也,戰非甚疾也,分地又非多韓、魏也,然而天下獨歸咎於齊者,何也?以其為韓、魏主怨也。且天下遍用兵矣,齊、燕戰,而趙氏兼中山,秦、楚戰韓、魏不休,而宋、越專用其兵。此十國者,皆以相敵為意,而獨舉心於齊者,何也?約而好主怨,伐而好挫強也。「且夫強大之禍,常以王人為意也;夫弱小之殃,常以謀人為利也。是以大國危,小國滅也。大國之計,莫若後起而重伐不義。夫後起之籍與多而兵勁,則事以眾強適罷寡也,兵必立也。事不塞天下之心,則利必附矣。大國行此,則名號不攘而至,伯王不為而立矣。小國之情,莫如僅靜而寡信諸侯。僅靜,則四鄰不反;寡信諸侯,則天下不賣。外不賣,內不反,則擯禍朽腐而不用,幣帛矯蠹而不服矣。小國道此,則不祠而福矣,不貸而見足矣。故曰:祖仁者王,立義者伯,用兵窮者亡。何以知其然也?昔吳王夫差以強大為天下先,強襲郢而棲越,身從諸侯之君,而卒身死國亡,為天下戮者,何也?此夫差平居而謀王,強大而喜先天下之禍也。昔者萊、莒好謀,陳、蔡好詐,莒恃越而滅,蔡恃晉而亡,此皆內長詐,外信諸侯之殃也。由此觀之,則強弱大小之禍,可見於前事矣。「語曰:『麒驥之衰也,駑馬先之;孟賁之倦也,女子勝之。』夫駑馬、女子,筋骨力勁,非賢於騏驥、孟賁也。何則?後起之藉也。今天下之相與也不並滅,有而案兵而後起,寄怨而誅不直,微用兵而寄於義,則亡天下可跼足而須也。明於諸侯之故,察於地形之理者,不約親,不相質而固,不趨而疾,眾事而不反,交割而不相憎,俱彊而加以親。何則?形同憂而兵趨利也。何以知其然也?昔者齊、燕戰於桓之曲,燕不勝,十萬之眾盡。胡人襲燕樓煩數縣,取其牛馬。夫胡之與齊非素親也,而用兵又非約質而謀燕也,然而甚於相趨者,何也?何則形同憂而兵趨利也。由此觀之,約於同形則利長,後起則諸侯可趨役也。「故明主察相,誠欲以伯王也為志,則戰攻非所先。戰者,國之殘也,而都縣之費也。殘費已先,而能從諸侯者寡矣。彼戰者之為殘也,士聞戰則輸私財而富軍巿,輸飲食而待死士,令折轅而炊之,殺牛而觴士,則是路君之道也。中人禱祝,君翳釀,通都小縣置社,有巿之邑莫不止事而奉王,則此虛中之計也。夫戰之明日,尸死扶傷,雖若有功也,軍出費,中哭泣,則傷主心矣。死者破家而葬,夷傷者空財而共藥,完者內酺而華樂,故其費與死傷者鈞。故民之所費也,十年之田而不償也。軍之所出,矛戟折,鐶弦絕,傷弩,破車,罷馬,亡矢之大半。甲兵之具,官之所私出也,士大夫之所匿,廝養士之所竊,十年之田而不償也。天下有此再費者,而能從諸侯寡矣。攻城之費,百姓理襜蔽,舉衝櫓,家雜總,身窟穴,中罷於刀金。而士困於土功,將不釋甲,期數而能拔城者為亟耳。上倦於教,士斷於兵,故三下城而能勝敵者寡矣。故曰:彼戰攻者,非所先也。何以知其然也?昔智伯瑤攻范、中行氏,殺其君,滅其國,又西圍晉陽,吞兼二國,而憂一主,此用兵之盛也。然而智伯卒身死國亡,為天下笑者,何謂也?兵先戰攻,而滅二子患也。日者,中山悉起而迎燕、趙,南戰於長子,敗趙氏;北戰於中山,克燕軍,殺其將。夫中山千乘之國也,而敵萬乘之國二,再戰北勝,此用兵之上節也。然而國遂亡,君臣於齊者,何也?不嗇於戰攻之患也。由此觀之,則戰攻之敗,可見於前事。「今世之所謂善用兵者,終戰比勝,而守不可拔,天下稱為善,一國得而保之,則非國之利也。臣聞戰大勝者,其士多死而兵益弱;守而不可拔者,其百姓罷而城郭露。夫士死於外,民殘於內,而城郭露於境,則非王之樂也。今夫鵠的非咎罪於人也,便弓引弩而射之,中者則善,不中則愧,少長貴賤,則同心於貫之者,何也?惡其示人以難也。今窮戰比勝,而守必不拔,則是非徒示人以難也,又且害人者也,然則天下仇之必矣。夫罷士露國,而多與天下為仇,則明君不居也;素用強兵而弱之,則察相不事。彼明君察相者,則五兵不動而諸侯從,辭讓而重賂至矣。故明君之攻戰也,甲兵不出於軍而敵國勝,衝櫓不施而邊城降,士民不知而王業至矣。彼明君之從事也,用財少,曠日遠而為利長者。故曰:兵後起則諸侯可趨役也。「臣之所聞,攻戰之道非師者,雖有百萬之軍,比之堂上;雖有闔閭、吳起之將,禽之戶內;千丈之城,拔之尊俎之間;百尺之衝,折之衽席之上。故鍾鼓竽瑟之音不絕,地可廣而欲可成;和樂倡優侏儒之笑不之,諸侯可同日而致也。故名配天地不為尊,利制海內不為厚。故夫善為王業者,在勞天下而自佚,亂天下而自安,諸侯無成謀,則其國無宿憂也。何以知其然?佚治在我,勞亂在天下,則王之道也。銳兵來則拒之,患至則趨之,使諸侯無成謀,則其國無宿憂矣。何以知其然矣?昔者魏王擁土千里,帶甲三十六萬,其強而拔邯鄲,西圍定陽,又從十二諸侯朝天子,以西謀秦。秦王恐之,寢不安席,食不甘味,令於境內,盡堞中為戰具,竟為守備,為死士置將,以待魏氏。衛鞅謀於秦王曰:『夫魏氏其功大,而令行於天下,有十二諸侯而朝天子,其與必眾。故以一秦而敵大魏,恐不如。王何不使臣見魏王,則臣請必北魏矣。』秦王許諾。衛鞅見魏王曰:『大王之功大矣,令行於天下矣。今大王之所從十二諸侯,非宋、衛也,則鄒、魯、陳、蔡,此固大王之所以鞭箠使也,不足以王天下。大王不若北取燕,東伐齊,則趙必從矣;西取秦,南伐楚,則韓必從矣。大王有伐齊、楚心,而從天下之志,則王業見矣。大王不如先行王服,然後圖齊、楚。』魏王說於衛鞅之言也,故身廣公宮,制丹衣柱,建九斿,從七星之旟。此天子之位也,而魏王處之。於是齊、楚怒,諸侯奔齊,齊人伐魏,殺其太子,覆其十萬之軍。魏王大恐,跣行按兵於國,而東次於齊,然後天下乃舍之。當是時,秦王垂拱受西河之外,而不以德魏王。故曰衛鞅之始與秦王計也,謀約不下席,言於尊俎之間,謀成於堂上,而魏將以禽於齊矣;衝櫓未施,而西河之外入於秦矣。此臣之所謂比之堂上,禽將戶內,拔城於尊俎之間,折衝席上者也。」

新字:蘇秦説斉閔王曰:「臣聞用兵而喜先天下者憂,約結而喜主怨者孤。夫後起者藉也,而遠怨者時也。是以聖人従事,必藉於権而務興於時。夫権藉者,万物之率也;而時勢者,百事之長也。故無権籍,倍時勢,而能事成者寡矣。「今雖干将、莫邪,非得人力,則不能割劌矣。堅箭利金,不得弦機之利,則不能遠殺矣。矢非不銛,而剣非不利也,何則?権藉不在焉。何以知其然也?昔者趙氏襲衛,車舎人不休傅,衛国城割平,衛八門土而二門堕矣,此亡国之形也。衛君跣行,告遡於魏。魏王身被甲底剣,挑趙索戦。邯鄲之中騖,河、山之間乱。衛得是藉也,亦収余甲而北面,残剛平,堕中牟之郭。衛非強於趙也,譬之衛矢而魏弦機也,藉力魏而有河東之地。趙氏懼,楚人救趙而伐魏,戦於州西,出梁門,軍舎林中,馬飲於大河。趙得是藉也,亦襲魏之河北焼棘溝,墜黄城。故剛平之残也,中牟之堕也,黄城之墜也,棘溝之焼也,此皆非趙、魏之欲也。然二国勧行之者,何也?衛明於時権之藉也。今世之為国者不然矣。兵弱而好敵強,国罷而好眾怨,事敗而好鞠之,兵弱而憎下人也,地狭而好敵大,事敗而好長詐。行此六者而求伯,則遠矣。「臣聞善為国者,順民之意,而料兵之能,然後従於天下。故約不為人主怨,伐不為人挫強。如此,則兵不費,権不軽,地可広,欲可成也。昔者,斉之与韓、魏伐秦、楚也,戦非甚疾也,分地又非多韓、魏也,然而天下独帰咎於斉者,何也?以其為韓、魏主怨也。且天下遍用兵矣,斉、燕戦,而趙氏兼中山,秦、楚戦韓、魏不休,而宋、越専用其兵。此十国者,皆以相敵為意,而独舉心於斉者,何也?約而好主怨,伐而好挫強也。「且夫強大之禍,常以王人為意也;夫弱小之殃,常以謀人為利也。是以大国危,小国滅也。大国之計,莫若後起而重伐不義。夫後起之籍与多而兵勁,則事以眾強適罷寡也,兵必立也。事不塞天下之心,則利必附矣。大国行此,則名号不攘而至,伯王不為而立矣。小国之情,莫如僅静而寡信諸侯。僅静,則四鄰不反;寡信諸侯,則天下不売。外不売,內不反,則擯禍朽腐而不用,幣帛矯蠹而不服矣。小国道此,則不祠而福矣,不貸而見足矣。故曰:祖仁者王,立義者伯,用兵窮者亡。何以知其然也?昔吳王夫差以強大為天下先,強襲郢而棲越,身従諸侯之君,而卒身死国亡,為天下戮者,何也?此夫差平居而謀王,強大而喜先天下之禍也。昔者萊、莒好謀,陳、蔡好詐,莒恃越而滅,蔡恃晉而亡,此皆內長詐,外信諸侯之殃也。由此観之,則強弱大小之禍,可見於前事矣。「語曰:『麒驥之衰也,駑馬先之;孟賁之倦也,女子勝之。』夫駑馬、女子,筋骨力勁,非賢於騏驥、孟賁也。何則?後起之藉也。今天下之相与也不並滅,有而案兵而後起,寄怨而誅不直,微用兵而寄於義,則亡天下可跼足而須也。明於諸侯之故,察於地形之理者,不約親,不相質而固,不趨而疾,眾事而不反,交割而不相憎,俱彊而加以親。何則?形同憂而兵趨利也。何以知其然也?昔者斉、燕戦於桓之曲,燕不勝,十万之眾尽。胡人襲燕楼煩数県,取其牛馬。夫胡之与斉非素親也,而用兵又非約質而謀燕也,然而甚於相趨者,何也?何則形同憂而兵趨利也。由此観之,約於同形則利長,後起則諸侯可趨役也。「故明主察相,誠欲以伯王也為志,則戦攻非所先。戦者,国之残也,而都県之費也。残費已先,而能従諸侯者寡矣。彼戦者之為残也,士聞戦則輸私財而富軍巿,輸飲食而待死士,令折轅而炊之,殺牛而觴士,則是路君之道也。中人禱祝,君翳醸,通都小県置社,有巿之邑莫不止事而奉王,則此虚中之計也。夫戦之明日,尸死扶傷,雖若有功也,軍出費,中哭泣,則傷主心矣。死者破家而葬,夷傷者空財而共薬,完者內酺而華楽,故其費与死傷者鈞。故民之所費也,十年之田而不償也。軍之所出,矛戟折,鐶弦絶,傷弩,破車,罷馬,亡矢之大半。甲兵之具,官之所私出也,士大夫之所匿,廝養士之所竊,十年之田而不償也。天下有此再費者,而能従諸侯寡矣。攻城之費,百姓理襜蔽,舉衝櫓,家雑総,身窟穴,中罷於刀金。而士困於土功,将不釈甲,期数而能抜城者為亟耳。上倦於教,士断於兵,故三下城而能勝敵者寡矣。故曰:彼戦攻者,非所先也。何以知其然也?昔智伯瑤攻范、中行氏,殺其君,滅其国,又西囲晉陽,吞兼二国,而憂一主,此用兵之盛也。然而智伯卒身死国亡,為天下笑者,何謂也?兵先戦攻,而滅二子患也。日者,中山悉起而迎燕、趙,南戦於長子,敗趙氏;北戦於中山,克燕軍,殺其将。夫中山千乗之国也,而敵万乗之国二,再戦北勝,此用兵之上節也。然而国遂亡,君臣於斉者,何也?不嗇於戦攻之患也。由此観之,則戦攻之敗,可見於前事。「今世之所謂善用兵者,終戦比勝,而守不可抜,天下称為善,一国得而保之,則非国之利也。臣聞戦大勝者,其士多死而兵益弱;守而不可抜者,其百姓罷而城郭露。夫士死於外,民残於內,而城郭露於境,則非王之楽也。今夫鵠的非咎罪於人也,便弓引弩而射之,中者則善,不中則愧,少長貴賤,則同心於貫之者,何也?悪其示人以難也。今窮戦比勝,而守必不抜,則是非徒示人以難也,又且害人者也,然則天下仇之必矣。夫罷士露国,而多与天下為仇,則明君不居也;素用強兵而弱之,則察相不事。彼明君察相者,則五兵不動而諸侯従,辞譲而重賂至矣。故明君之攻戦也,甲兵不出於軍而敵国勝,衝櫓不施而辺城降,士民不知而王業至矣。彼明君之従事也,用財少,曠日遠而為利長者。故曰:兵後起則諸侯可趨役也。「臣之所聞,攻戦之道非師者,雖有百万之軍,比之堂上;雖有闔閭、吳起之将,禽之戶內;千丈之城,抜之尊俎之間;百尺之衝,折之衽席之上。故鍾鼓竽瑟之音不絶,地可広而欲可成;和楽倡優侏儒之笑不之,諸侯可同日而致也。故名配天地不為尊,利制海內不為厚。故夫善為王業者,在労天下而自佚,乱天下而自安,諸侯無成謀,則其国無宿憂也。何以知其然?佚治在我,労乱在天下,則王之道也。銳兵来則拒之,患至則趨之,使諸侯無成謀,則其国無宿憂矣。何以知其然矣?昔者魏王擁土千里,帯甲三十六万,其強而抜邯鄲,西囲定陽,又従十二諸侯朝天子,以西謀秦。秦王恐之,寝不安席,食不甘味,令於境內,尽堞中為戦具,竟為守備,為死士置将,以待魏氏。衛鞅謀於秦王曰:『夫魏氏其功大,而令行於天下,有十二諸侯而朝天子,其与必眾。故以一秦而敵大魏,恐不如。王何不使臣見魏王,則臣請必北魏矣。』秦王許諾。衛鞅見魏王曰:『大王之功大矣,令行於天下矣。今大王之所従十二諸侯,非宋、衛也,則鄒、魯、陳、蔡,此固大王之所以鞭箠使也,不足以王天下。大王不若北取燕,東伐斉,則趙必従矣;西取秦,南伐楚,則韓必従矣。大王有伐斉、楚心,而従天下之志,則王業見矣。大王不如先行王服,然後図斉、楚。』魏王説於衛鞅之言也,故身広公宮,制丹衣柱,建九斿,従七星之旟。此天子之位也,而魏王処之。於是斉、楚怒,諸侯奔斉,斉人伐魏,殺其太子,覆其十万之軍。魏王大恐,跣行按兵於国,而東次於斉,然後天下乃舎之。当是時,秦王垂拱受西河之外,而不以徳魏王。故曰衛鞅之始与秦王計也,謀約不下席,言於尊俎之間,謀成於堂上,而魏将以禽於斉矣;衝櫓未施,而西河之外入於秦矣。此臣之所謂比之堂上,禽将戶內,抜城於尊俎之間,折衝席上者也。」

書き下し

臣聞くならく、兵を用いて天下に先んずるを喜ぶ者は憂え、約結して主怨を喜ぶ者は孤なりと。夫れ後に起つ者は藉るなり、而して怨みを遠ざくる者は時なり。是を以て聖人の事を従うるや、必ず権に藉りて時に興るを務む。夫れ権藉なる者は、万物の率なり。而して時勢なる者は、百事の長なり。故に権籍無く、時勢に倍けば、能く事を成す者は寡し。今干将・莫邪と雖も、人の力を得るに非ざれば、則ち割劌する能わず。堅箭利金も、弦機の利を得ざれば、則ち遠く殺す能わず。矢銛からざるに非ず、而して剣利ならざるに非ざるなり、何となれば則ち、権藉存らざればなり。何を以て其の然るを知るや。昔者趙氏衛を襲うに、車舎人休まず傅き、衛国の城割平し、衛の八門土となりて二門墮つ、此れ亡国の形なり。衛君跣行して、遡りて魏に告ぐ。魏王身に甲を被り剣を底ぎ、趙に挑みて戦を索む。邯鄲の中騒ぎ、河・山の間乱る。衛是の藉を得て、亦た余甲を収めて北面し、剛平を残い、中牟の郭を墮す。衛は趙より強きに非ず、之を譬うれば衛は矢にして魏は弦機なり、力を魏に藉りて河東の地を有つ。趙氏懼れ、楚人趙を救いて魏を伐ち、州西に戦い、梁門を出で、軍林中に舎し、馬大河に飲う。趙是の藉を得て、亦た魏の河北を襲いて棘溝を焼き、黄城を墜す。故に剛平の残なるや、中牟の墮なるや、黄城の墜なるや、棘溝の焼なるや、此れ皆趙・魏の欲する所に非ざるなり。然れども二国之を勧め行わしむる者は、何ぞや。衛時権の藉を明らかにすればなり。今世の国を為むる者は然らず。兵弱くして強きに敵するを好み、国罷れて衆怨を好み、事敗れて之を鞠むるを好み、兵弱くして人に下るを憎み、地狭くして大に敵するを好み、事敗れて詐りを長くするを好む。此の六者を行いて伯たらんことを求むれば、則ち遠し。臣聞く、善く国を為むる者は、民の意に順いて、兵の能を料り、然る後に天下に従うと。故に約するに人の主怨を為さず、伐つに人の為に強を挫かず。此くの如くんば、則ち兵費えず、権軽んぜられず、地広むべく、欲成すべきなり。昔者、齊の韓・魏と与に秦・楚を伐つや、戦うこと甚だ疾きに非ざるなり、地を分つこと又た韓・魏より多きに非ざるなり、然れども天下独り咎を齊に帰する者は、何ぞや。其の韓・魏の為に怨みを主とするを以てなり。且つ天下遍く兵を用う、齊・燕戦い、趙氏中山を兼ね、秦・楚戦いて韓・魏休まず、而して宋・越専ら其の兵を用う。此の十国なる者は、皆相敵するを以て意と為すも、独り心を齊に挙ぐる者は、何ぞや。約して主怨を好み、伐ちて強を挫くを好めばなり。且つ夫れ強大の禍は、常に人に王たらんことを以て意と為せばなり。夫れ弱小の殃は、常に人を謀るを以て利と為せばなり。是を以て大国危うく、小国滅ぶ。大国の計は、後に起ちて不義を重ねて伐つに若くは莫し。夫れ後起の籍与多くして兵勁ければ、則ち事衆強を以て罷寡に適る、兵必ず立たん。事天下の心を塞がざれば、則ち利必ず附かん。大国此を行えば、則ち名号攘わずして至り、伯王為さずして立たん。小国の情は、僅静にして諸侯に信を寡くするに如くは莫し。僅静なれば、則ち四鄰反かず。諸侯に信を寡くすれば、則ち天下売らず。外売らず、内反かざれば、則ち禍を擯け朽腐して用いず、幣帛矯蠹して服せず。小国此を道とすれば、則ち祠らずして福あり、貸さずして足るを見ん。故に曰く、仁を祖とする者は王たり、義を立つる者は伯たり、兵を用いて窮する者は亡ぶと。何を以て其の然るを知るや。昔呉王夫差強大を以て天下に先んじ、強いて郢を襲いて越を棲め、身諸侯の君に従わしめ、而して卒に身死し国亡び、天下の戮と為る者は、何ぞや。此れ夫差平居にして王たらんことを謀り、強大にして天下に先んずるを喜ぶの禍なり。昔者萊・莒謀を好み、陳・蔡詐を好み、莒越を恃みて滅び、蔡晋を恃みて亡ぶ、此れ皆内に詐を長じ、外に諸侯を信ずるの殃なり。此に由りて之を観れば、則ち強弱大小の禍、前事に見るべし。語に曰く、「騏驥の衰うるや、駑馬之に先んじ、孟賁の倦むや、女子之に勝つ」と。夫れ駑馬・女子は、筋骨の力勁きこと、騏驥・孟賁より賢るに非ざるなり。何となれば則ち、後起の藉なればなり。今天下の相い与にするや並びに滅びず、有りて兵を案じて後に起ち、怨みを寄せて不直を誅し、微しく兵を用いて義に寄すれば、則ち天下を亡ぼすこと跼足して須つべし。諸侯の故に明らかにして、地形の理に察する者は、約さずして親しみ、相い質せずして固く、趨らずして疾く、衆事にして反かず、交割して相い憎まず、倶に彊くして加うるに親を以てす。何となれば則ち、形同憂にして兵利に趨ればなり。何を以て其の然るを知るや。昔者齊・燕桓の曲に戦い、燕勝たず、十万の衆尽く。胡人燕の楼煩数県を襲い、其の牛馬を取る。夫れ胡の齊と与にするは素より親しきに非ず、而して兵を用うるも又た約質して燕を謀るに非ず、然れども相い趨るに甚だしき者は、何ぞや。何となれば則ち形同憂にして兵利に趨ればなり。此れに由りて之を観れば、同形に約すれば則ち利長く、後起すれば則ち諸侯趨役すべし。故に明主察相、誠に伯王を以て志と為さんと欲すれば、則ち戦攻は先んずる所に非ず。戦なる者は、国の残なり、而して都県の費なり。残費已に先んずれば、能く諸侯に従う者は寡し。彼の戦なる者の残と為すや、士戦を聞けば則ち私財を輸して軍市を富まし、飲食を輸して死士を待ち、轅を折らしめて之を炊がしめ、牛を殺して士に觴す、則ち是れ君を路くすの道なり。中人禱祝し、君醸を翳い、通都小県社を置き、市有るの邑事を止めて王を奉ぜざる莫し、則ち此れ中を虚しくするの計なり。夫れ戦の明日、尸死し傷を扶く、功有るが若しと雖も、軍費を出だし、中哭泣すれば、則ち主の心を傷ましむ。死者は家を破りて葬り、夷傷する者は財を空しくして薬を共し、完き者は内に酺して楽を華にす、故に其の費死傷する者と鈞し。故に民の費やす所や、十年の田も償わざるなり。軍の出だす所、矛戟折れ、鐶弦絶え、弩を傷り、車を破り、馬を罷らし、矢を亡うこと大半なり。甲兵の具は、官の私かに出だす所、士大夫の匿す所、廝養の士の竊む所、十年の田も償わざるなり。天下此の再費有れば、能く諸侯に従う者は寡し。攻城の費は、百姓襜蔽を理め、衝櫓を挙げ、家総を雑え、身窟穴し、中刀金に罷る。而して士土功に困しみ、将甲を釈かず、期数にして能く城を抜く者は亟やかなりと為すのみ。上教うるに倦み、士兵に断たる、故に三たび城を下して能く敵に勝つ者は寡し。故に曰く、彼の戦攻なる者は、先んずる所に非ずと。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤范・中行氏を攻め、其の君を殺し、其の国を滅ぼし、又た西のかた晋陽を囲み、二国を吞兼して、一主を憂う、此れ兵を用うるの盛んなるなり。然れども智伯卒に身死し国亡び、天下の笑いと為る者は、何の謂いぞや。兵戦攻を先んじて、二子の患を滅ぼせばなり。日者、中山悉く起ちて燕・趙を迎え、南のかた長子に戦いて、趙氏を敗り、北のかた中山に戦いて、燕軍に克ち、其の将を殺す。夫れ中山は千乗の国なるに、万乗の国二つに敵し、再戦して北勝す、此れ兵を用うるの上節なり。然れども国遂に亡び、君臣齊に於てする者は、何ぞや。戦攻の患いを嗇まざればなり。此れに由りて之を観れば、則ち戦攻の敗、前事に見るべし。今世の所謂善く兵を用うる者は、終に戦いて勝を比らべ、守りて抜くべからず、天下称して善しと為し、一国得て之を保てば、則ち国の利に非ざるなり。臣聞く、戦いて大いに勝つ者は、其の士死する多くして兵益弱く、守りて抜くべからざる者は、其の百姓罷れて城郭露わるると。夫れ士外に死し、民内に残われ、而して城郭境に露わるれば、則ち王の楽しみに非ざるなり。今夫れ鵠的は人に罪を咎むるに非ざるなり、弓を便め弩を引きて之を射るに、中つる者は則ち善しとし、中てざれば則ち愧ず、少長貴賤、則ち心を之を貫くに同じくする者は、何ぞや。其の人に難きを示すを悪めばなり。今窮戦して勝を比べ、守りて必ず抜くべからざれば、則ち是れ徒に人に難きを示すのみに非ざるなり、又た且つ人を害する者なり、然らば則ち天下之を仇とすること必せり。夫れ士を罷らせ国を露わし、而して多く天下と仇を為せば、則ち明君居らざるなり。素より強兵を用いて之を弱くすれば、則ち察相事とせざるなり。彼の明君察相なる者は、則ち五兵動かずして諸侯従い、辞譲すれども重賂至る。故に明君の攻戦するや、甲兵軍を出でずして敵国勝ち、衝櫓を施さずして辺城降り、士民知らずして王業至る。彼の明君の事に従うや、財を用うること少なく、日を曠しくすること遠くして利を為すこと長き者なり。故に曰く、兵後に起てば則ち諸侯趨役すべしと。臣の聞く所、攻戦の道師に非ざる者は、百万の軍有りと雖も、之を堂上に比げ、闔閭・呉起の将有りと雖も、之を戸内に禽にし、千丈の城も、之を尊俎の間に抜き、百尺の衝も、之を衽席の上に折る。故に鍾鼓竽瑟の音絶えずして、地広むべく欲成すべし。和楽倡優侏儒の笑い之かずして、諸侯同日に致すべし。故に名天地に配するも尊しと為さず、利海内を制するも厚しと為さず。故に夫れ善く王業を為す者は、天下を労して自ら佚し、天下を乱して自ら安んずるに在り、諸侯成謀無ければ、則ち其の国宿憂無きなり。何を以て其の然るを知るや。佚治我に在り、労乱天下に在れば、則ち王の道なり。鋭兵来れば則ち之を拒み、患至れば則ち之に趨き、諸侯をして成謀無からしめば、則ち其の国宿憂無し。何を以て其の然るを知るや。昔者魏王土千里を擁し、甲を帯ぶる者三十六万、其の強くして邯鄲を抜き、西のかた定陽を囲み、又た十二諸侯を従えて天子に朝せしめ、以て西のかた秦を謀る。秦王之を恐れ、寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、境内に令して、尽く堞中に戦具を為し、竟に守備を為し、死士の為に将を置きて、以て魏氏を待つ。衛鞅秦王に謀りて曰く、「夫れ魏氏は其の功大にして、令天下に行われ、十二諸侯有りて天子に朝せしむ、其の与すること必ず衆し。故に一秦を以て大魏に敵するは、恐らくは如かざらん。王何ぞ臣をして魏王に見えしめざる、則ち臣請う必ず魏を北げしめん」と。秦王許諾す。衛鞅魏王に見えて曰く、「大王の功大なり、令天下に行わる。今大王の従う所の十二諸侯は、宋・衛に非ざれば、則ち鄒・魯・陳・蔡なり、此れ固より大王の鞭箠を以て使う所にして、以て天下に王たるに足らず。大王は北のかた燕を取り、東のかた齊を伐つに若かず、則ち趙必ず従わん。西のかた秦を取り、南のかた楚を伐てば、則ち韓必ず従わん。大王齊・楚を伐つの心有りて、天下の志に従わば、則ち王業見われん。大王は先ず王服を行い、然る後に齊・楚を図るに如かず」と。魏王衛鞅の言を説び、故に身公宮を広め、丹衣柱を制し、九斿を建て、七星の旟に従う。此れ天子の位なるに、魏王之に処る。是に於て齊・楚怒り、諸侯齊に奔り、齊人魏を伐ち、其の太子を殺し、其の十万の軍を覆す。魏王大いに恐れ、跣行して国に兵を按じ、東のかた齊に次る、然る後に天下乃ち之を舍す。是の時に当り、秦王垂拱して西河の外を受け、而して魏王を徳とせず。故に曰く、衛鞅の始め秦王と計るや、謀約席を下らずして、尊俎の間に言い、謀堂上に成りて、魏将に齊に禽にせられんとす。衝櫓未だ施さずして、西河の外秦に入る。此れ臣の所謂堂上に比げ、将を戸内に禽にし、城を尊俎の間に抜き、衝を衽席の上に折るという者なり。

現代語訳

私はこう聞いております。兵を用いて天下に先んじることを好む者は必ず憂いを招き、他国と同盟を結んで自ら怨みを一身に引き受けることを好む者は孤立すると。そもそも他に遅れて事を起こす者は、他人の力を利用できるからであり、怨みを遠ざける者は、時機を見極めているからです。だからこそ聖人が事を行うときは、必ず有利な情勢に頼り、時機の到来に力を尽くすことを心がけます。有利な情勢というものは万物の大本であり、時勢というものはあらゆる事柄の中で最も重んずべきものです。ですから、有利な情勢を頼らず、時勢に背いて事を成し遂げられる者は、めったにいません。たとえ名剣干将・莫邪であっても、人の力を借りなければ物を断ち割ることはできません。堅い矢と鋭利な金属も、弓や弩の力を借りなければ遠くのものを射殺すことはできません。矢が鋭くないわけでも、剣が鋭利でないわけでもないのに、なぜそうなるのか。それは有利な情勢という後ろ盾がそこに無いからです。なぜそう言えるのか。かつて趙が衛を攻めたとき、衛の車と人夫は休みなく守備に追われ、衛の城壁は切り崩され、八つの城門のうち二つが陥落しました。これはまさに亡国の兆しでした。衛の君主ははだしで逃げ、上流の魏に助けを求めました。魏王は自ら甲冑を身にまとい剣を研ぎ、趙に戦いを挑みました。趙の都邯鄲は騒然となり、黄河と山の間は混乱しました。衛はこの魏の後ろ盾を得て、残った兵をかき集めて北へ向かい、逆に剛平を打ち破り、中牟の郭を陥落させました。衛が趙より強かったわけではありません。たとえて言えば、衛は矢であり、魏は弓や弩の弦であり、機械なのです。魏の力を借りることで、衛は黄河東岸の土地を保つことができたのです。趙はこれを恐れ、楚は趙を助けるために魏を攻め、州の西で戦い、梁門を出て、軍を林の中に宿営させ、馬に大河の水を飲ませました。趙はこの後ろ盾を得て、今度は魏の黄河以北を襲い、棘溝を焼き払い、黄城を陥落させました。ですから剛平が破られたのも、中牟が陥落したのも、黄城が落ちたのも、棘溝が焼かれたのも、いずれも趙や魏が自ら望んだことではありません。それなのにこの二国がそう仕向けられたのはなぜでしょうか。それは衛が時勢と情勢という後ろ盾を上手く見極めて利用したからにほかなりません。ところが今の世の為政者たちはそうではありません。自国の兵力が弱いのに強国と敵対することを好み、国が疲弊しているのに多くの怨みを買うことを好み、事に失敗したのになおその責任を追及することを好み、兵力が弱いのに他国にへりくだることを嫌がり、領土が狭いのに大国と張り合うことを好み、事に失敗したのになおも欺瞞を重ねることを好みます。この六つを行いながら覇者になろうとしても、その道はほど遠いでしょう。私はこう聞いております。国を善く治める者は、民意に従い、自国の軍事力を見極めたうえで、初めて天下の情勢に加わっていくものだと。ですから同盟を結んでも自ら主だって怨みを買うようなことはせず、討伐に加わっても自ら進んで強国を挫こうとはしません。このようにすれば、兵力を消耗せず、権勢も軽んじられず、領土を広げることができ、望みを叶えることができます。かつて齊が韓・魏とともに秦・楚を討伐したとき、戦いぶりが特に激しかったわけでもなく、得た領土も韓・魏より多かったわけでもありません。それなのに天下の非難がひとり齊に集中したのはなぜでしょうか。それは齊が韓・魏のために矢面に立ち、怨みを一身に引き受けてしまったからです。しかも今、天下では至るところで戦争が行われています。齊と燕は戦い、趙は中山を併合し、秦と楚は戦い韓・魏も休むことがなく、宋と越もそれぞれに兵を用いています。これら十か国はみな互いに敵対することを当然のこととしているのに、なぜひとり齊にばかり非難の目が向けられるのでしょうか。それは齊が同盟を結ぶたびに自ら怨みの矢面に立つことを好み、討伐に加わるたびに強国を挫くことを好んだからにほかなりません。そもそも強大な国が禍を招くのは、常に他国の上に君臨しようという野心を抱くからです。弱小な国が災いを招くのは、常に他国を出し抜いて利益を得ようとするからです。だからこそ大国は危険にさらされ、小国は滅びるのです。大国にとって最善の策は、事を起こすのを他国より遅らせ、不義を犯した国を繰り返し討伐することです。あとから事を起こす国は、味方となる後ろ盾も多く兵も精強であれば、多くの強い味方をもって疲弊した少数の敵に当たることになり、必ず勝利を収められます。しかもその行動が天下の心情を損なわなければ、利益は自然と自国に集まってきます。大国がこれを実践すれば、名声はわざわざ求めなくても自然と集まり、覇者・王者の地位も、あえて追い求めずして手に入るでしょう。一方、小国の実情としては、静かに己を保ち、諸侯とむやみに信義を結ばないことに勝る策はありません。静かに己を保てば、周囲の隣国から裏切られることもありません。諸侯と軽々しく約束を結ばなければ、天下から見限られることもありません。外に見限られず、内に裏切られなければ、禍は朽ち腐らせて寄せ付けず、贈り物も虫食いのまま使わずに済み、他国に屈服せずに済みます。小国がこの道を実践すれば、神に祈らずとも福が訪れ、他人に貸しを作らずとも満ち足りることでしょう。だからこう言うのです。仁を根本とする者は王者となり、義を打ち立てる者は覇者となり、むやみに兵を用いて行き詰まる者は滅びる、と。なぜそう言えるのか。かつて呉王夫差は強大な国力を頼みに天下に先んじて事を起こし、無理を押して楚の都郢を襲い、越を追い詰めて服属させ、諸侯の君主たちを自らに従わせました。しかし結局は自ら命を落とし国も滅び、天下の笑いものとなりました。これはなぜでしょうか。夫差が平生から天下に王として君臨しようと謀り、強大であることに驕って天下に先んずることを好んだ、まさにその禍なのです。かつて萊と莒は策謀を好み、陳と蔡は欺瞞を好みました。莒は越を頼みにして滅び、蔡は晋を頼みにして滅びました。これはいずれも、国内では欺瞞を重ね、国外では諸侯を軽々しく信じてしまったことの災いです。これらのことから見れば、強弱・大小いずれの国の禍も、過去の事例にはっきりと見て取ることができるのです。ことわざにこうあります。「名馬騏驥も年老いて衰えれば、駄馬にすら先を越され、豪傑孟賁も疲れ果てれば、か弱い女にすら打ち負かされる」と。しかし駄馬や女性が、筋力において名馬騏驥や豪傑孟賁より優れているわけではありません。なぜそうなるのか。それはあとから動く者が持つ利のためです。今、天下の国々は互いに争いながらも、いまだすべてが滅び尽くしたわけではありません。もし兵を控えてじっと機をうかがい、あとから事を起こし、怨みを他国に転嫁して不義の国を討ち、わずかな兵を用いるだけで大義に基づいて事を進めれば、天下を意のままにすることも、足を組んで待つほどの容易さで実現できるでしょう。諸侯の事情に通じ、地形の道理をよく見極める者は、無理に同盟を結ばずとも自然と親しくなり、互いに人質を取り合わずとも堅く結びつき、慌てて走らずとも速やかに事が進み、多くの事に関わりながらも約束に背かず、利害を分かち合っても互いに憎み合うことがなく、ともに強くなりながらいっそう親密になっていきます。なぜそうなるのか。それは互いに同じ憂いを共有し、兵の動きが利益に向かって自然と一致するからです。なぜそう言えるのか。かつて齊と燕が桓の曲で戦ったとき、燕は勝てず、十万の兵をすべて失いました。すると胡人は燕の楼煩の数県を襲い、その牛馬を奪い取りました。そもそも胡人と齊はもとから親しい間柄ではなく、兵を用いたのも燕を討つと約束や人質を交わしていたわけでもありません。それなのにこれほどまでに動きが一致したのはなぜでしょうか。それはやはり、同じ憂いを共有し、兵の動きが利益に向かって自然と一致したからにほかなりません。これらのことから見れば、同じ立場にある者同士が結びつけば利益は長く続き、あとから動けば諸侯を意のままに働かせることができるのです。ですから、明君や賢い宰相が、真に覇者・王者たろうという志を抱くならば、戦争や攻城を第一に選ぶべきではありません。戦争というものは国を疲弊させるものであり、都市や県にとっては費用のかかるものです。まず疲弊と出費が先に立てば、諸侯を従わせられる国はほとんどありません。そもそも戦争が国を疲弊させるというのは、士卒が開戦を聞くと私財を投げ出して軍需の市場を潤し、飲食を提供して死を賭す兵士を待遇し、車の轅を折ってまで薪として炊事し、牛を殺して兵士に酒をふるまう、これはまさに主君の財を路傍に捨てるようなやり方だからです。国中の人々は神に祈り、君主は酒を醸すのを控え、大小の都市はどこも社を建てて祈願し、市場のある町はどこも仕事を止めて王のために祈らない所はありません。これはまさに国内を空にしてしまう計略なのです。そして戦いの翌日には、死者を弔い負傷者を助け、一見すると成果があったように見えても、軍は出費を重ね、国中で泣き声が絶えず、主君の心を痛めます。死者はその家を傾けてまで葬儀を行い、負傷者は家財を使い果たしてまで薬を求め、無事だった者は内輪で酒宴を開いて華やかに楽しみます。それゆえその出費は、死傷者への出費に匹敵するほどになります。民の負担する費用は、十年分の田の収穫をもってしても償いきれません。また軍が消耗するものとしては、矛や戟が折れ、弓弦が切れ、弩が傷み、車が壊れ、馬が疲弊し、矢の大半を失います。甲冑や武器の類は、役所がひそかに支出するもの、士大夫が隠し持つもの、雑用兵が盗み取るものまで含めれば、これもまた十年分の田の収穫をもってしても償いきれません。天下でこのような二重の出費を重ねる国が、諸侯を従わせられることはほとんどありません。城攻めの費用としては、百姓は防御用の垣を整え、衝車や物見櫓を組み立て、家々の家財を集め、身は塹壕に潜み、国中は刀や武具のために疲弊します。そのうえ兵士は土木工事に苦しみ、将軍は甲冑を脱ぐ暇もなく、決められた期日のうちに城を落とせるのはよほど手際のよい場合に限られます。上の者は指揮に疲れ果て、兵士は戦いに消耗し尽くします。だから三度城を攻め落として敵に勝てる者は、めったにいないのです。ですからこう言うのです。戦争や攻城は、決して先に選ぶべきことではないと。なぜそう言えるのか。かつて智伯瑤は范氏・中行氏を攻め、その君主を殺し、その国を滅ぼし、さらに西へ進んで晋陽を包囲し、二国を併呑して残る一人の主君を追い詰めました。これはまさに軍事力の絶頂と言えるものでした。しかし智伯は結局自ら命を落とし国も滅び、天下の笑いものとなりました。これはどういうことでしょうか。戦争と攻城を先に選び、二国を滅ぼしたことによる禍根を軽んじたからです。先ごろ、中山国は総力を挙げて燕・趙の侵攻を迎え撃ち、南は長子で戦って趙軍を破り、北は中山で戦って燕軍に勝ち、その将軍を討ち取りました。中山はわずか千乗の小国でありながら、万乗の大国二つを相手にし、二度戦って二度とも勝利を収めました。これは用兵の妙技の極みと言えるでしょう。それなのに国はついに滅び、その君臣は齊に身を寄せることになりました。これはなぜでしょうか。戦争と攻城がもたらす禍根を惜しまなかったからです。これらのことから見れば、戦争と攻城の失敗は、過去の事例にはっきりと見て取ることができるのです。今の世でいわゆる「用兵に長けた者」とされるのは、戦えば必ず勝利を重ね、守れば決して落とされない者のことです。天下はこれを称えて良しとしますが、一国がこうした評判を得て、それを保ち続けようとすることは、実は国にとって利益にはなりません。私はこう聞いております。戦って大勝を重ねる国は、その分だけ多くの兵士を失い、軍はかえって弱くなり、守って決して落ちない国は、その分だけ百姓が疲弊し、城郭は荒れ果ててしまうのだと。兵士が外で命を落とし、民は国内で疲弊し、城郭が国境で荒れ果てるようでは、それは王にとって決して喜ばしいことではありません。たとえば、的というものは人に罪があって咎められているわけではないのに、人々は弓や弩を引き絞ってこれを射ます。命中すれば喜び、外れれば恥じ入ります。老若貴賤を問わず、誰もが的を射抜こうと同じ気持ちになるのはなぜでしょうか。それは的が人に「難しさ」を見せつけることを人々が嫌うからです。今、戦いを重ねて勝利ばかりを求め、守りが決して破られないというのは、ただ人々に「難しさ」を見せつけるだけでなく、人を害することでもあります。そうなれば天下はこぞってその国を仇とみなすことになるでしょう。兵士を疲弊させ国を荒廃させながら、多くの国と敵対することになれば、賢明な君主はそのような立場に身を置きません。もともと強兵を用いてかえって国を弱めてしまうならば、聡明な宰相はそのようなことをしません。そうした明君や聡明な宰相であれば、あらゆる武器を動かさずとも諸侯は自ずと従い、あえて謙遜し辞退しても、かえって重い贈り物が届くようになります。ですから明君が戦を行う際には、甲冑をまとった兵を軍から出さずして敵国を屈服させ、衝車や物見櫓を用いずして辺境の城を降伏させ、兵士や民が気づかぬうちに王としての大業が成就します。そうした明君の事の運び方は、費やす財が少なく、時間をかけているようでいて、実は長続きする大きな利益を生み出すものなのです。ですからこう言うのです。兵をあとから起こす者こそ、諸侯を意のままに働かせることができるのだ、と。私が聞くところでは、軍隊を用いない攻戦の道というものがあります。それによれば、たとえ百万の大軍があろうとも、これを廟堂の上で無力化することができ、たとえ闔閭や呉起のような名将がいようとも、これを室内にいながら捕らえることができ、千丈もの高さの堅城も、酒宴の席で陥落させることができ、百尺もの衝車も、寝床の上で無力化することができるのです。だからこそ、鐘や太鼓、笛や琴の音楽を絶やすことなく楽しみながらも、領土は広げることができ、望みは叶えられます。歌舞音曲や俳優、道化師たちの笑いを止めることなく、諸侯を同じ日にわが元へ来させることさえできるのです。だから、名声が天地に並ぶほどであっても、それをことさら尊いとは思わず、利益が天下を制するほどであっても、それをことさら豊かだとは思いません。そもそも王としての大業を成し遂げるのが上手な者は、天下を疲弊させながら自らは安逸を保ち、天下を混乱させながら自らは安泰を保つことにその要諦があります。諸侯にまとまった計略が立てられないようにしておけば、自国には積年の憂いが生じることがありません。なぜそう言えるのか。安逸と統治が自国にあり、労苦と混乱が他国にあるようにすること、これこそが王者の道なのです。鋭い兵が攻めてくればこれを防ぎ、禍が迫ればこれに対応する。そうやって諸侯にまとまった計略を立てさせないようにしておけば、自国には積年の憂いが生じないのです。なぜそう言えるのか。かつて魏の恵王は千里四方の領土を有し、甲冑をまとった兵三十六万を擁し、その強盛さで邯鄲を陥落させ、西方では定陽を包囲し、さらに十二の諸侯を従えて周の天子に朝見させ、西方では秦をも狙っていました。秦王はこれを恐れ、寝ても安らかに眠れず、食べても味を感じないほどで、国内に命令を出し、城の垣という垣に戦具を並べさせ、あらゆる守備を固め、死を賭す兵士のために将軍を配置して、魏の来襲に備えさせました。そこで衛鞅は秦王にこう進言しました。「そもそも魏の功績は大きく、その命令は天下に行き渡り、十二の諸侯を天子に朝見させるほどですから、味方する者は必ず多いはずです。ですから秦一国で大国の魏に対抗するのは、恐らく分が悪いでしょう。王はなぜ私を魏王のもとに遣わされないのですか。そうすれば私は必ず魏を退けてご覧に入れましょう」。秦王はこれを許しました。衛鞅は魏王に会ってこう説きました。「大王の功績は大きく、その命令は天下に行き渡っております。しかし今、大王が従えておられる十二の諸侯というのは、宋や衛でなければ、鄒・魯・陳・蔡といった小国に過ぎません。これらはもともと大王が鞭で使役できる程度の国にすぎず、それだけで天下に王として君臨するには不十分です。大王はむしろ北方で燕を取り込み、東方で齊を討伐なさるのがよいでしょう。そうすれば趙は必ず従うはずです。西方で秦を取り込み、南方で楚を討伐なされば、韓も必ず従うはずです。大王に齊・楚を討伐する志があり、天下の情勢に従っていかれるならば、王としての大業もおのずと現れてまいりましょう。大王はまず王者としての礼服・儀礼を整えられ、そのうえで齊・楚を図られるのがよろしいでしょう」。魏王は衛鞅のこの言葉を喜び、みずから宮殿を拡張し、朱塗りの柱を建て、九本の旒のついた旗を掲げ、七星をかたどった旗を従えました。これはまさに天子の位に相応しい儀礼でしたが、魏王はそれをそのまま用いてしまったのです。これに齊・楚は激怒し、諸侯はこぞって齊のもとに走り、齊は魏を討伐して、その太子を殺し、十万の軍を壊滅させました。魏王は大いに恐れ、はだしのまま兵を国内に控えさせ、東方の齊のもとに身を寄せることになり、そこでようやく天下はこれを許しました。このとき、秦王は何もせずして黄河西岸の土地を手に入れ、しかも魏王に恩を感じさせることすらありませんでした。ですから、こう言えるのです。衛鞅が初めて秦王とこの計略を練ったとき、その謀議は座を立つことなく、酒宴の席で語られ、計略は廟堂の上で成し遂げられ、それだけで魏の将軍は齊に捕らえられる運命となりました。衝車や物見櫓を一つも用いることなく、黄河西岸の土地は秦のものとなったのです。これこそ、私が申し上げた「廟堂の上で無力化し、室内にいながら将軍を捕らえ、酒宴の席で城を陥落させ、寝床の上で衝車を無力化する」ということなのです」。

解説

蘇秦が齊の閔王に説いた長大な弁論で、「後起(こうき)」すなわち他国に先んじて動かず、時機と権勢を見極めてから動く外交・軍事戦略を、衛と魏、呉王夫差、智伯瑤、中山国、衛鞅と魏恵王など多くの史実を引きながら説いています。要点は、戦争は勝っても負けても国を疲弊させるため、武力に訴える前に外交と計略で優位を築くべきだという主張にあります。背景には、齊が韓・魏と組んで秦・楚を討伐するたびに諸国の怨みを一身に引き受けてしまうという当時の齊の外交上の弱点があり、蘇秦はそれを是正しようとしました。権謀を無条件に礼賛するのではなく、性急な軍事行動がもたらす人的・財政的損失を具体的に数え上げている点は、当時としては異例なほど費用対効果を重視した分析です。現代の組織運営においても、目先の勝利や対抗心にとらわれず、時機を見極めて動く判断力の重要性を教えてくれます。

この章句が説くこと

蘇秦斉閔王後起権謀戦争の損失

この一句を、あなたの毎日に。

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