戦国策 / 秦二・秦惠王死公孫衍欲窮張儀
秦惠王死,公孫衍欲窮張儀。李讎謂公孫衍曰:「不如召甘茂於魏,召公孫顯於韓,起樗里子於國。三人者,皆張儀之讎也,公用之,則諸侯必見張儀之無秦矣!」
新字:秦恵王死,公孫衍欲窮張儀。李讎謂公孫衍曰:「不如召甘茂於魏,召公孫顕於韓,起樗里子於国。三人者,皆張儀之讎也,公用之,則諸侯必見張儀之無秦矣!」
書き下し
秦の惠王死し、公孫衍張儀を窮せしめんと欲す。李讎公孫衍に謂いて曰わく、「甘茂を魏に召し、公孫顯を韓に召し、樗里子を國に起こすに如かず。三人なる者は、皆張儀の讎なり。公之を用いなば、則ち諸侯必ず張儀の秦に無きを見ん。」
現代語訳
秦の恵王が亡くなり、公孫衍は張儀を窮地に追い込もうとした。李讎は公孫衍に言った。「魏から甘茂を呼び寄せ、韓から公孫顕を呼び寄せ、国内では樗里子を登用するのが得策です。この三人は、みな張儀の敵です。あなたがこの三人を用いれば、諸侯は必ず張儀がもはや秦で力を持っていないことを見て取るでしょう。」
解説
秦の恵王という後ろ盾を失った張儀の政治的立場を切り崩すため、公孫衍が李讎の献策を受けて動いた場面です。ここでの手口は、張儀本人を直接攻撃するのではなく、張儀と敵対関係にある人物たちを次々と要職に登用することで、諸侯の目に「張儀はもはや秦で重んじられていない」と映るように仕向けるというものです。人事の配置そのものが対外的なメッセージとなり、権力者の実質的な影響力を諸侯に印象づける手段になっている点が特徴的です。現代の組織や政治の世界でも、直接の解任や対決を避けつつ、周囲の人事配置によって特定の人物の発言力や求心力を実質的に弱めていく手法は珍しくなく、表向きの地位と実際の影響力は別物であるという見方の重要性を示しています。
この章句が説くこと
公孫衍張儀甘茂李讎権力闘争
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